子や孫世代の幸せを願って -17ページ目

子や孫世代の幸せを願って

次世代の幸せを願って、日本の社会、経済について考えます。

11月7日の衆議院予算委員会における高市総理の「存立危機事態」に関する答弁が、いまなお日中の間で大きな波紋を広げていることはご承知のところです。

 

 

この「存立危機事態」というのは、2015年の安全保障関連法の定めにより日本が集団的自衛権を行使する際の主要条件の一つになっています。

 

 

中国にとって台湾問題は「内政問題」日本の集団的自衛権の発動(武力介入)に結びつけるのは「内政干渉」であり、「一つの中国」の原則に違反する。

 

 

こういう考えのもとに高市総理を声高に批判しているのですが、果たして彼らの主張は真っ当なものなのでしょうか。

 

 

「一つの中国」原則とは具体的に以下の3点を指します。

  1. 世界に中国は一つしかない。
  2. 台湾は中国の不可分の一部である。
  3. 中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府である。

 

 

まず台湾は明・清の時代から中国の不可分の一部だという彼らの主張はどうでしょうか?

 

 

① 明、清の時代を通じ、「中華思想」に基づき台湾は「化外の地(国家の統治が及ばない土地)」とされてきました。

 
 

②明の時代、オランダ東インド会社による台湾統治が可能であったのもこの認識があったからであり、実際、東アジアに進出したオランダは、明の天啓帝から「我々の領土外に退去」するように告げられ、台湾を支配したのです。

 

 

③清の時代、オランダに替わって台湾を支配していた鄭成功一派を討った際、清の康熙帝「台湾は我が帝国の外にあり、 大きな利益をもたらすものでもない」とし、 オランダに買い戻しを要求しています。

 

 

④清は、鄭成功一派を退けた後、台湾を福建省の一部に組み込んだものの、その扱いは形式的なものであり、基本認識は「化外の地」扱いでした。

 

 

⑤明治の日本の「台湾出兵」の際も、清は台湾は「化外の地」であり、台湾人による琉球民殺害など清の与り知らぬことと責任回避を図りました。ちなみにこの出兵を通じ明治政府は、琉球(沖縄)が日本の領土であることを清に認めさせることになりました。

 

 

⑥清朝末期には、台湾を正式な省に昇格させましたが、これはフランスや日本による進出を避けるための形式的措置でした。

 

 

⑦日清戦争の結果、下関条約(1895年)において台湾は日本に割譲されました。

 

 

 

こうした明、清王朝が台湾を「化外の地」扱いにし、不可分どころか無関係あるいは極めて消極的にしか関わろうとしない歴史を見る限り、とても声高に不可分の領土だとは言えないということです。

 

 

 

次回に続きます。