子や孫世代の幸せを願って -16ページ目

子や孫世代の幸せを願って

次世代の幸せを願って、日本の社会、経済について考えます。

それでは日本の敗戦後、日本領であった台湾はどうなったのか。

実は当時、関係各国の間でその帰属先は「未定」とされ、現在においてもそのままなのです。

 

 

どういうことか。

 

 

1945年、敗戦し「ポツダム宣言」を受諾した日本は、それに従い台湾の領有を放棄することになりました。

 

 

ポツダム宣言第8項では「カイロ宣言の条項は履行せらるべし」とし、そのカイロ宣言において「日本が中国から奪った満洲、台湾、澎湖諸島のような地域を中華民国に返還すること」とされていたからです。

 

 

ただ、「台湾の法的地位」に関しては、将来の平和条約で定めることになり、留保されました。

 

 

そして、その平和条約(サンフランシスコ平和条約を日本と連合国が結ぼうとした際(1951年)、中国では内戦により台湾に逃れた中華民国政府(国民党)と大陸を抑えた中華人民共和国(1949年10月樹立:共産党)が、未だいずれが正当な中国政府かを争っている状態でした。当然ながら、連合国内でも意見が割れることになります。

 

 

結局、国民党、共産党いずれも招かれないまま、サンフランシスコ平和条約が締結され、そこでは、日本政府が「台湾を放棄する」とだけして、帰属先を明確にしませんでした

 

 

その後中共は、多くの国に「一つの中国」原則の受け入れを工作し、1971年には国連から中華民国を追い出すことに成功しましたアルバニア決議中華人民共和国政府を正当な中国政府として認め、中華民国を即時追放する)

 

 

欧米 主要国はこのアルバニア決議に反対票を投じましたが、日本「棄権」、そして中華民国はこの決議に抗議し、自発的に国連を脱退したのです。

 

 

しかしその後日本政府は日中国交正常化に踏み出し、1972年の「日中共同声明」では、日本は「中華人民共和国を中国の唯一の合法政府として承認する」としました。しかしながら、台湾の地位については「理解し、尊重する」に留めたのです。

 

 

中華人民共和国政府の主張は十分理解した、それは尊重するとし、相手のメンツに配慮しつつ、決定的な承認はしないという外交の妙味をもたせた格好です。

 

 

ちなみに米国は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることは明確に承認しつつも、台湾の帰属先については「中国がそのような主張をしているのは知っている」といった日本よりさらに距離を置く形に留めています。

 

 

このように「一つの中国原則」は、サンフランシスコ体制やその後の日米欧との間においては「部分的合意」に過ぎず、その事実を誤魔化して、あたかも完全合意が為され、台湾が正当に中華人民共和国に属しているかのように自己主張を繰り返しているのが現在の中国なのです。

 

 

多くの国が「ひとつの中国原則」を受け入れたようになっているのも、中国の巨大市場への進出という経済的打算によるものであり、またそれをいいことに中国が同原則受け入れを外交関係樹立の絶対条件にしていたからです。

 

 

そして外交を結んだ後は、アメとムチ外交(利益供与、恫喝、報復)を駆使し、黒を白と言いくるめるよう働きかけてきました。

 

 

以上述べてきましたように「台湾は中国の不可分の一部である」と言う主張は、明や清王朝時代において自ら台湾を自国領土ではないとした事実があり、また、現在に至るまで「中華人民共和国(中国共産党)」が台湾を統治したことはなく、「中華民国政府」が台湾を独自に統治し続けていることなど、一連の歴史事実からとても受け入れ難いものです。

 

 

そして「サンフランシスコ体制」において大戦後の台湾の帰属が留保されたままになっていること、「日中共同声明」においても日本は台湾の帰属について中国の主張を完全には受け入れていないことなどから、今般の「台湾問題は中国の内政問題であり、日本の集団的自衛権の発動に結びつけるのは、内政干渉であり、『一つの中国』の原則に違反する」『日中共同声明』の趣旨を根本から覆すもの」との中国の主張は、全く持って当たらないと言えるでしょう。

 

 

しかしながら、反日政党反日マスゴミ事実を捻じ曲げ、「日中共同声明に反する」といった出鱈目をもって、「中国の反発を招き、日本に大きな悪影響が生じる」「発言を撤回しろ」と高市総理を攻撃しています。いったいどこの国の政党、報道機関なのか、呆れるばかりです。

 

 

 

次回に続きます。