戦後レジームに至る真相(7) 反日人種差別米大統領の狂気① | 子や孫世代の幸せを願って

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戦後レジームに至る真相(7)

反日人種差別米大統領の狂気①

 

 

戦争が始まるや、フランクリン・ルーズベルト大統領は、12万人以上の日系米国人を財産没収の上、強制収容所送りとしました。またすでに1936年の段階でハワイの日系人収容計画もあったようです。同じ敵国人であるドイツ系、イタリア系米国人は強制収容されることがなかったのにです。

 

「日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアン達と戦った時と同様に自然なものだ」「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない」「イエローモンキーは抹殺しなければならない」等の暴言を吐き、兎に角日本人に対して異様な憎悪、差別意識を持つ人物でした。

 

国のトップがそうであれば、米兵も右へ倣え。あからさまな差別、残虐行為が行われていました。あの大西洋無着陸横断飛行で有名なリンドバーグが、軍の技術顧問として南太平洋に赴任しそこで見たことを次のように批判しています。

「日本軍捕虜はとにかく残忍に殺す。射殺は当たり前、飛行機から突き落とすこともやった。それを楽しみにしている。動物以下に扱うことが日常であり誰も止めない。日本兵の遺体から金歯を盗む、耳や鼻、さらには頭蓋骨まで『お土産』として持ち帰る。とても文明人のやることとは思えない。」

 

ウィリアム・ハルゼー海軍提督などは、「日本人は猿。下等な猿どもをもっと殺して猿肉を作れ。」「良いジャップは、死んだジャップ。」と言い、彼が掲げた標語は「ジャップを殺せ、ジャップを殺せ、ジャップをもっと殺せ。任務をちゃんとやれ、そうすりゃ黄色いくそ野郎どもを殺せるぞ。」でした。

 

白人というのは、15世紀の大航海時代(白人による世界征服時代)より遣ることは変わっていません。有色人種に対する差別、迫害、虐殺です。彼らにとって白人以外は人ではないのです。米国人にしても19世紀末まで続けていたインディアン(先住民族)虐殺を、その気分のまま日本人相手に平気で繰り返していたのです。

 

米国人による日本人虐殺の最たるものは、非戦闘員を巻き込む無差別爆撃であり、まさにジェノサイドです。差別意識丸出しで独国に対してはこれをしませんでした。いずれにしろ全くの国際法違反です。これこそ人道に対する罪で裁かれるべきでしょう。

 

そもそも米国は日米戦争が始まる前から、日本家屋を研究し、焼夷弾で焼き払えば効果的であると認識していました。軍事施設や戦闘員かどうかなど関係なく、日本人を根絶やしにするつもりで、より威力のある焼夷弾(ナパーム弾)を開発し、日本の各都市を爆撃したのです。極めつけはもちろん広島、長崎に投下された原爆でした。

 

空爆により全国の200以上の都市が焼かれ、1000万人ほどが被災し、死亡者も原爆の犠牲者も含め50万人以上になると言われています(100万人説もある)。原爆の犠牲者は広島市で14万人以上、長崎市で7万人以上。東京大空襲では10万人以上です。これが人類史のなかで1度の攻撃で殺された人間の数トップ3なのです。

 

東京大空襲(1945年3月10日)の一カ月後の4月12日にフランクリン・ルーズベルトは突然亡くなります。脳卒中でした。しかし彼の「マンハッタン計画」(原爆開発計画)は止まりません。すでに日本の18都市への原爆投下命令は下していました

1944年9月にチャーチル英国首相と約した「原爆の標的は日本人。全滅するまで繰り返し行う。」(ハイドパーク合意)をそのまま実行するつもりでした。独国降伏(1945年5月)のはるか以前から、そもそもの原爆開発競争相手国である独国は狙わず、日本人を殺すことに焦点を当てていました。有色人種差別主義者らしい行動です。

 

これを躊躇なく引き継いだのは、ルーズベルトに劣らぬ人種差別主義者、ハリー・トルーマン大統領です。同主義者のジェームズ・バーンズ国務長官とともに反日人種差別を重ねていきます。

 

次回に続きます。