貶められ歪められ続けている大日本帝国憲法 | 子や孫世代の幸せを願って

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貶められ歪められ続けている大日本帝国憲法

 

「大日本帝国憲法」日本人の手によって作られた真っ当な憲法であるにも関わらず、戦後のGHQの洗脳政策や反日勢力の策動によりある種「禁忌」扱いにされ、これが正しく教えられておりません。

前回「教育勅語」を取り上げたこともあり、今回はこの「大日本帝国憲法」について少し触れてみたいと思います。

 

たとえばNHKが提供している学習教材には次のような記載があります。

大日本帝国憲法(中学生向き) NHK for school

「明治22年、1889年2月11日明治天皇は、日本で初めての憲法、「大日本帝国憲法」を発布しました。(略)大日本帝国憲法の特色は、天皇を主権者とし、国の統治者で、元首で、軍の最高責任者と定めている事です。」

 

また学研が提供している「キッズネット(辞典)」では「立憲君主制」を次のように説明しています。

「憲法にしたがって行われる君主政治のこと。19世紀のドイツの君主制に代表され,大日本帝国憲法下の日本も,政治は天皇を中心とした立憲君主制であった。イギリスでは,早くから議会の権限が強く,君主は名目だけのものとなっていたので,同じ立憲君主制せいでも議会制的君主制とよばれる。」

 

前者は、戦前は天皇が絶対君主的な支配者であり、暗に国民は虐げられた存在だったとし、後者は、立憲君主制は建前で、イギリスと違い天皇は実質支配者だった。こうした嘘を並べ、これを規定している帝国憲法は、とんでもない代物との印象操作を行っています。

 

確かに帝国憲法第一条には「天皇が日本を統治する」旨が示されています。しかし、この「統治」は「絶対支配」を意味するのではなく、天皇が「国家運営の最終責任者」であることを指しているのです。

 

また誤解を受けやすい第三条「天皇は神聖であって侵してはならない」は、実は立憲君主国ならではの記載であり、現在でも立憲君主国が模範とするベルギー憲法の条文を参考に作られたものなのです。また、その源流が世界の近代憲法の大本、英国憲法でもあり、言葉から受ける印象ほど大仰なものではありません。

 

そして「神聖」の意味するところは、天皇が神に国家の繁栄と国民の幸福を祈る最高祭祀者であり、また国家の最高儀礼を行う存在でもあることから、国民は不敬であってはならないし、また天皇もそういう存在ゆえに、みだりに政治に介入することは許されないとの趣旨なのです。

 

第四条には、「天皇は、国の元首であって、統治権を総攬し、この憲法の条規により、これを行使する。」、また第十一条には「天皇は、陸海軍を統帥する。」とありますが、その一方で、第五十五条に「1 国務各大臣は、天皇を輔弼し、その責任を負う。2 すべて法律、勅令その他国務に関わる詔勅は、国務大臣の副署を必要とする。」との定めがあり、大臣の副署のない詔勅は無効とされ、第四条の後半部分と併せ、実際の権力は臣下が行使し、その責任を取るということが規定されているのです。

まさに「象徴天皇」であり、その上での立憲君主制であったということです。

 

 

そもそもこの国の歴史において、天皇が臣民に横暴を振るったことなど武烈天皇(第25代:5世紀末)を除いてありません。

 

また33代推古天皇の時代(7世紀)には、聖徳太子「権威」と「権力」を分離し、爾来天皇は権威は持つが、政治権力を臣下に委ねる関係を原則として持ち続けました。

 

さらに民は天皇直下の民「大御宝」(おおみたから)「天下の公民」とされ、権力者が自身の所有物として家畜のように扱ってはならないとされたのです。

 

帝国憲法においては国民を「臣民」としていますが、これも絶対君主国ではありえないのです。「臣」は貴族であり、王とともに特権階級です。それが民と並列に扱われているなどありえません。それどころか日本ではすでに7世紀に天皇も乞食も同じ歌人として一冊の本に編纂されているのです。そう万葉集です。

 

欧州では19世紀初頭になってようやく「国民国家」、つまり、言語や文化、歴史を共有し、「支配と隷属」ではなく、互いに尊厳を認め、あくまで社会を動かす「役割分担」としての上下関係に止まる国家になったのに比べ、日本ではすでに7世紀にしてその域にあったということです。

 

天皇は統治すれども支配せず「君民共治」(天皇と国民が共に協力して国を守り治める)という絶対君主国ではありえない思想ですので、帝国憲法下においても「天皇主権説」は認められておりませんでした。日本人の「和」の思想・文化が生み出した独特な国柄とも言えます。

 

であるからこそ、敗戦に及んでも最後まで守り通そうとしたのは「国体」、すなわち「古から続く天皇を中心とした国民国家体制」であったのです。それを失えば真の意味で国を失うことになるからです。

 

このように西欧各国の憲法を研究して作られた大日本帝国憲法ではありましたが、日本の歴史、文化、伝統に基を置き、それらをきちんと織り込んで作られているのです。

 

大日本帝国憲法の要所に触れただけですが、意外な姿に驚かれたのではないでしょうか。

日本の歴史や国柄が凝縮したものとなっているこの憲法は、やはり日本人が日本を正しく知る上で、そして戦後の洗脳から覚めるために学ぶべきものだと思います。

それゆえに日本衰亡や革命を企む反日勢力は、これをタブー視させ、また悪意ある印象操作、歴史教育を行い続けていると思われます。