教育勅語について | 子や孫世代の幸せを願って

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教育勅語について

 

前回、Yahoo! JAPAN知恵袋での『日本の戦前と戦後だったら、どちらが洗脳教育がひどいですか?』(2017年3月1日)という問いかけに対し、『戦後の民主教育は教師が、壇の上で天皇の作った「教育勅語」を読みあげて、意味もなく生徒に暗唱を強いるような 洗脳教育はしません。(以下略)』という回答がベストアンサーとされていたとお話ししました。

 

今回はそこで記されていた「教育勅語」について取り上げてみたいと思います。

 

教育勅語とは1890年10月30日に明治天皇が日本の教育の基本方針として下された勅語(御ことば)のことです。当時、近代国家建設には人材育成が急務とし国民教育に傾注したものの、文明開化の風潮から洋学重視、日本伝統の倫理道徳軽視となり、それを憂慮された明治天皇が、日本の教育は「徳育」をもってその方針とされることを願われ発せられたものとされています。またこの起草に関わった枢密顧問官の井上毅は、明治天皇の権威による国民への押し付けとならないよう相当な配慮をしていたとの話もあります。あくまで天皇の私的著作物であり、詔勅(命令)ではないということです。

 

しかしながら日本の徹底弱体化を狙うGHQにより教育勅語を廃止するよう命じられ(口頭命令)、1948年6月,衆議院で排除,参議院で失効確認の決議が行われました。

日本政府はGHQが指導した(旧)教育基本法(1947年3月施行)とは相互補完の関係(勅語は道徳、基本法は法)とし、維持しようとしましたが、教育基本法施行から1年3カ月後には排除させられました。

 

教育勅語の文体は難しいので現代語訳(全文)として明治神宮により次のように紹介されています。

 

『国民の皆さん、私たちの祖先は、国を建て始めた時から、道義道徳を大切にする、という大きな理想を掲げてきました。そして全国民が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、また我が国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。

国民の皆さん、あなたを生み育ててくださった両親に、「お父さん、お母さん、ありがとう」と感謝しましょう。兄弟のいる人は、「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。縁あって結ばれた夫婦は、「二人で助け合っていこう」と、いつまでも協力し合いましょう。また、もし間違ったことを言ったり行ったときは、すぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。どんなことでも自分一人ではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と、博愛の輪を広げましょう。誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬をするのですから、「進んで勉強し努力します」という意気込みで、知徳を磨きましょう。さらに、一人前の実力を養ったら、それを活かせる職業に就き、「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世の為人の為に働きましょう。普段は国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、力を尽くしましょう。

今述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。

このような日本人の歩むべき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。

そこで私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本をしめしたいと思います。』

 

教育勅語自体は、ご皇室独特のお言葉で発せられ、現在の私たちにとっては難しく厳めしい感じがしますが、内容は御覧の通りで、日本人として心がける「道義道徳」を語りかけておられるものです。

 

しかし日本共産党にかかれば次のように解説されてしまいます。

 

『教育勅語は、明治憲法発布の翌年(一八九〇年)に、道徳の根本、教育の基本理念を教え諭すという建前で出された勅語(天皇が直接国民に発する言葉)で、戦前、学校教育などを通じ、国民に植えつけられました。

 勅語は、「朕惟フニ我カ皇祖皇宗」という言葉から始まります。「皇祖皇宗」(天照大神に始まる天皇の祖先)が建てた国を治めるのは、その子孫の天皇であるとされています。

明治憲法が、日本は「万世一系」の天皇、つまり永遠につづく天皇が治める(第一条)、天皇は「神聖」だ(第三条)と定めたのと同じ考え方です。一方、国民は天皇に仕える「臣民」(家来)とされました。

 勅語には、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ」といった、一見当たり前の道徳項目をのべているような個所があります。しかし、これらはすべて、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」、つまり戦争になったら天皇のために命をささげ、天皇に「忠義」をつくすことにつながるものとしてあげられているのです。

 実際、戦前は「忠を離れて孝なく、父祖に孝ならんと欲すれば、天皇に忠ならざるをえない」(勅語四十周年での文相談話)と教えられました。勅語の道徳項目は、天皇を頂点とする身分序列の社会の道徳で、臣民は天皇に忠義を誓う、臣民の間も、目下は目上に従え式の身分ルールでかためられていました。

 勅語には、命の大切さも、人権や平等の大切さものべられていません“良いところ”など何もないのです。教育勅語は、戦後、新しい憲法のもとで効力を失い、国会では、主権在民に反すること「神話的」な国家体制の考え方=「国体観」であること国民の基本的人権を損なうものであることなどを理由に「排除」の決議がされました。』(日本共産党HP)

 

曲解極まれりであり、その意図するところは、天皇と国民の固い絆を断ち切ろうとするGHQの思惑そのものです。

 

GHQの命令に従い、教育勅語等排除に関して為された決議(1948年6月19日衆議院決議)は、『思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる。よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。』であります。

 

大日本帝国憲法は、民は君主の所有物とする西洋の絶対君主制とは真逆の、日本古来からの「君民共治」「民は大御宝」という考え方に基づいています。帝国憲法下においては、当時の理解としても「天皇主権説」は否定され、天皇はあくまで国家危急存亡時の責任者としての位置付けでした。それゆえに先の教育勅語排除決議は、心ある日本人は皆、内心忸怩たる思いがあったことと思います。

 

当時はGHQには誰も逆らえず、あらゆる分野において彼らの「日本弱体化計画」が進められるなか、実際は「命令」でも、国際法違反に問われないよう、日本人自らが考え判断したように装いながら進められました。現在の憲法しかり、教育勅語排除決議しかりです。

そんなことは戦後およそ80年経過するなかで明らかにされて来たにもかかわらず、現在においてもいけしゃあしゃあと日本共産党は解説しているわけです。