農業過保護論に惑わされないように | 子や孫世代の幸せを願って

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農業過保護論に惑わされないように

 

「日本の農業は閉鎖的保護が過ぎる補助金漬けじゃないか。だから生産性が上がらず、自給率もいつまでたっても上がらない。グローバル化が進む中、農業を特別扱いせず、保護を無くし、競争に晒し、国際競争に打ち克つ力を身に着けてもらう必要がある。そもそもいつまで家族経営でさせているのか。その結果生じた高齢化後継者不足低い生産性耕作放棄地の増大といった問題を、もっと自由に企業に参入させ、その合理的な経営や資本の力で解決させればいい。そうすれば食料安全保障も万全になる。いつまでも農家の既得権益を保護するもんじゃない。」…といった批判を今も耳にします。特にTPP参加の是非が問われた10年ほど前には、かなり盛んにこうした農業批判があったように思います。

 

補助金漬けかどうか実態はどうなのでしょう。

経済協力開発機構(OECD)が開発した「PSE(生産者支援推計:Producer Support Estimate)」という「農業保護水準をみる指標」があります。①関税など価格引上げ(消費者負担)によるもの②補助金(財政負担:直接支払い)によるもの足して包括的に保護水準を計ろうというものです。

 

各国のPSE(2018年)に占める①②のそれぞれの割合を見ると、日本は①消費者負担81%②財政負担19%、欧州は①17%②83%、米国は①23%②77%となります。つまり日本は、欧州や米国と比べ、「消費者に大きく負担させ、少ない財政負担で保護をしている」ということになるのです。

 

「日本は補助金漬け」への反論として「欧州や米国と比べ補助金が少ない」というものがありますが、それはこの指標でいう②を指していることになります。確かに相対的な意味では「補助金漬け」とは言えなさそうです

 

それでは「保護全体(PSE)が農業者受取額に占める割合」はどうかといいますと日本は41%

世界ランキングでは、ノルウェーの60%を筆頭に、アイルランド57%、韓国50%、スイス47%に次ぐ5位。これはOECD平均(18%)の2.3倍もあり、「世界1の保護」ではないですが、トップクラスには違いないというのが事実です。

 

家族農業については、世界はどうなっているかというと、国連食糧農業機関(FAO)によれば、開発途上国、先進国ともに「家族農業」が主要な農業形態で、実に世界の食料生産額の8割以上を占めているということです。世界もまた家族農業が主体なのです。

 

農業への企業参入については、2009年の農地法改正参入規制が緩和されて以降、改正前の5倍のペースで増加し2022年初頭で4200社あまりとなっています。しかしながらその8割ほどは経営がうまくいっていないというのです。「遅れた農業」にビジネスチャンスありとし、勇んで参入はしたものの現実は甘くはなかったということです。

 

自然を直接相手にすることや栽培技術が想定以上に難しい。点在した耕作地が予想以上の非効率を招く。販路を開拓し、安定した品質、収量で納期を守る農業ができるかどうか、それが問われる。参入しても5年は赤字経営、先々の見通しも立てにくいという現実に苦しむ企業が多いようです。

 

近年注目されてきた「人工光型植物工場」も同様です。70年代から3度のブームがあり参入・撤退が繰り返されましたが、それでも政府の強い後押しもあって現在では全国に200ほどの施設があるようです。しかしその6~7割は赤字経営と言います。建設費や維持費が莫大な割に、レタスといった単価の安い葉物野菜しか作れず、雑菌の少なさ、均一品質、減農薬栽培などの付加価値がさほど乗らず、結局露地物に価格負けし、採算が取れないのです。植物工場の先進国オランダでもエネルギーロスが多すぎる「人工光型植物工場」は、今では否定的だそうです。

 

自然の恵みによりコストを抑えつつ、自然の過酷さや不安定性を受入れて成り立つのが農業とすれば、4半期ごとに経営成績が問われる株式会社ではとても持たないのは自明だと思われます。農家が持つその技術も舐めたレベルではありません。自然環境はどこでも同じではなく、非常に地域性や個別性が高いもの。それに合わせ、それを生かしてきた試行錯誤のかたまりです。標準化が難しい。さらに言えば、土地や水、太陽光、空気を共有する地域との良好な関係作りが必須です。それらすべてが農業ですから、やはり利潤第一の株式会社では手に余るものとなるでしょう。

 

農業は一般が想像する以上に一筋縄ではいかないものです。その難しさの割に収益をあげることが難しい。多くの商品、サービスの基礎原材料となる農作物には、デフレ下においては相対的に一層厳しい価格引下げ圧力がかかります。その割に農機などの農業資材費用は下がらず、とてもコストには見合わない。コメに限れば農家の95%は赤字です。よって離農していく人が増え、担い手や農地、技術を失い、日本自前での食料確保が困難となりつつありますこのことが問題の時に、他国と比較して「過保護かどうか」などを議論することに意味があるのでしょうか。

 

農業の在り様は風土、国土などの地理的条件や国の発展度合い等によって様々です。それぞれの国がそれぞれの条件に応じた農業に向かい、国民の腹を満たし飢えを遠ざける。必要に応じ輸入し、余剰が出来れば輸出する。それを国家収益の柱とする国もあるでしょう。日本の場合、農の過大な海外依存を反省し安全保障の問題として捉えるのであれば、他国にかまわず、日本の条件、状況に合った必要な手立てを講じていくしかないはずです。

 

そもそも農業は、商売としてだけ捉えるものではないでしょう。国民を飢えから守る業でもあり、安全保障の基です(腹が減っては何もできません)。経済合理性を横に置いてでも維持すべきものです。国内農業の中での競争はあったとしても、まったく農業条件の違う海外との競争に安易に晒し、優勝劣敗により失ってよいはずがありません

 

かつて過剰農産物をめぐり欧州と米国が激しい貿易紛争を起こしたことがありました。そのとき各国内での「保護政策」がその元凶と問題視されたのです。ここで紹介したPSEもそのときの産物です。1985年のGATTウルグアイラウンドもその紛争解決の場もありました。そういう意味で日本が好き勝手に農業保護をすれば良いというわけではありませんが、現在の日本の食料自給の状況や輸出水準からとても紛争の種を播くようなことにはならないでしょう。

 

ゆえに、しっかりと自国の状況を捉え、安全保障が成り立つ農業に向け、手立てを講じ、それに必要なだけの予算を付けるべきでしょう。その場合は、前回申し上げた通り、直接支払い(財政負担)による保護を充実させるべきです。繰り返しになりますが我が国には財政問題はありません。

 

「農業過保護論」は、新自由主義に取り憑かれ自由化を進めたい政府、経産省、カネを出したくない財務省、そしてなにより儲けたい財界が、手下のマスコミを使い、TPPに代表される貿易自由化の代償・生贄として日本の農業を差し出すことに国民が疑念をもたないようプロパガンダとして用いられました

 

新自由主義に侵されるとすべて「カネ(利益)」の話になっていきます。カネ第一です。しかし、カネがいくらあってもモノが無ければ満たされません。満たされないことで済まないのが食料です。そして食料を失えば、それを人質に国家主権も奪われかねません

 

食料安全保障を早急に少しでも内容のあるものにすること。これは間違いなく現在の日本の大事のひとつです。その為には無意味な農業過保護論に惑わされず、攻めるべき相手や正すべき事を間違わず、真摯に農業問題、食料問題に向き合い、そして思いを同じくする政治家を国政に送り込む。そういうことが必要なのではないかと考えます。