日々感じたこと、あれこれ -4ページ目

日々感じたこと、あれこれ

訪問ありがとうございます。
自分用に書いてる備忘録みたいなものです。
よろしくお願いします。

最近、職場で緊急連絡先を再度提出するように言われた


迷惑かけないように最大限努力します、と思いながら


とりあえず父の名前と連絡先を書いた


母の名前は書けなかった、書きたくなかった


母には私を預けられないと思った


兄弟姉妹の名前はもっと書けないし絶対に書いてはいけない


このポジションが父から簡単に母に変わる可能性が多分にあるとわかっていても


書けなかったし書きたくなかった


緊急連絡先は保証人と似ていて、他人の面倒事に対して


自分の時間を取られるかお金を取られるかその両方を取られるか


であるような気がしている


本来、緊急連絡先なんて身内にも知人にも頼めない


お金を出せば第三者が仕事としてそれを引き受けてくれるなら


それが一番いい方法であるような気がしている


金額とやってくれることのバランスが取れてる、


かつ実積が十分にあり簡単には潰れそうにない会社を探す(選ぶ)のも一苦労だが


そこはもう自分がまだ体力気力がある内に頑張ってやるしかないのだと思う


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

持ち家か賃貸かについて、いろんな人がいろんな意見を言ってるけれど


現時点では、結婚したり子供ができたりしたら持ち家もありだなと思うようになった


自分に何かあった時、売れればある程度の纏まった金になるとわかっているものは


あって損はないように思う


売る(現金化する)判断は配偶者や子供になる可能性が高いが


自分が元気な時に家族とちゃんと意志疎通が図れていれば


自力での生活や意志疎通が困難になった時、


家族がその家を売ったお金で自分が入れる施設を探してくれる、かもしれない


そこまでしてくれたら御の字だろう


お金は出さずとも諸々の契約事の決断や事務手続きにはかなりの労力を要する


そこを家族に負担させるつもりならお金の問題をできる限りなくしておくのは


最低限やっておかねばならぬことであるように思う


何もなくても自分が死ぬまでと死後しばらく分くらいの金はある


少なくとも金の心配はいらない


それをより具体的に提示できなければ家族は力を貸してはくれないだろう


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

借金とは


本人に自らの意志で作った(借金した)と思わせて


実際はお金を貸したくて貸したくて仕方がない人達によって作らされるモノ


そのようなモノであると私は思っている


賢く借金するのは(し続けるのは)本当に難しい


クレジットカードがこれだけ当たり前のように多くの人に浸透しているのは


全ての人にその人のできる最大限の借金してほしい(&し続けてほしい)という


お金を貸したい人達の努力の賜物だろう


お金を貸したい人達はとても頭がいい人の集まりで


最初は自分が相手(金貸し)を利用していたつもりが、


じわじわと相手に利用される側に自分がなっていく


最初はキャッシュバックやポイントが沢山つく等の理由から


借りる必要ない状況でわざわざ借りてあげてたはずなのに


いつの間にか、どうすればもっと借りれるかとか


返済の仕方を下方修正できないかを相手に相談したりするようになる


リボ払いなんか利用し始めたらもう末期


そうなったらもう後はその人が自己破産や債務整理をするのは時間の問題


金を貸した側も、返せないならさっさと自己破産しろ、


その方が事務処理が楽なんだよ、くらいにたぶん思ってる


信用情報なんかもお金を貸したくて仕方がない人達が


自分達の仕事を少しでも楽にするために作った仕組みなんだと思う


お金をより多く借りられる状態が信用が『ある』


お金を借りられない(又は借りられる額が少ない)状態が信用が『ない』


そして信用がある人は金貸しにとって価値が高く


大金をばら蒔いてでも、もっと借りてくれと口説く価値があるし実際に隙あらば口説いてくる


お金を借りるのは自身のお金を扱う器の大きさが試される


お金は何に使うかが自由過ぎて本当に難しい


お金(信用)がないのも困るが、


あったらあったでそういった人達のお金(信用)の使い道を考えるのに割くエネルギーは相当なものだろう


程々を維持するのも自制心との戦いだ


相手に利用される側ではなく相手を利用する側にいたいなら、


とにかく知識武装は必須


金は『貸すor借りる』側の世界ではなく


なるべく『あげるor貰う』側の世界にいたいものである


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

モンスターペアレントみたいな親はどうかと思けれど


けれどそれでも私は


親くらい第三者に対して子供の無罪を主張してやれよと思う


大人になれば自分の身は自分で守るしかないのだから


頼んでもないのに自分に心身に危害を加えてくる人や状況は後を絶たないのだから


親くらい子供がそんなことをやるのは、それなりの理由があったに違いないと


まずはそこを徹底的に理解しよう(理解を示そう)と思ってやれよと思う


周りと一緒になって子供を『お前(だけ)が悪い』『謝罪せよ』『申し訳なく思え』


『お前さえいなければ、こんな事態にはならなかったのに』ってするなよ


多勢に無勢で子供ひとりを悪者にして、その場を丸く収めようとするなよ


もしそれをするなら家に帰ってから子供の心を無視したフォローが絶対に必要だし


そうするに至った経緯や、そうせざるをえなかった理由をこれでもかというくらい子供に説明するべきで


そりゃ子供は家の外に出れば色々やらかすし問題も起こすでしょう


子供が何かをやらかした時、親の本質(本心やズルさ)みたいなのが垣間見える


親が本当に大切にしたいのは守りたいモノは


世間体なのか親の『(少なくとも)自分は悪くない』という保身なのか


子供の体なのか心なのか


子供にとって親にすら心を守ってもらえなかった


という体験の連続は本当によくない


自己肯定感も下がる一方だろう


自分の為にこの人はこんなに理解する努力をしてくれて


あなたは間違ってないよって言ってくれて味方なってくれて


自分の為に他者に本気で怒ってくれて一緒に戦ってくれたという体験は人を強くする


将来その人が傍にいなくなっても、もし同じようなことが起きた時


きっとこの人ならこう言うだろうと想像するだけで力付けられる


子供にとってそれが親であったなら、これほど心強いことはない


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

ある妊婦さんが雑談の中でとても興味深いことを言っていました


その方は今20代で1人目を妊娠中で


その方は子供は3人は欲しいと今時珍しく大変意欲的で


だがこの3人の子育てをしながら今の会社で働き続けることに一抹の不安があるそうで


おそらく同年代の平均年収よりは多くもらっているであろうことは理解しているし


ご主人も合わせた世帯年収は1000万を越えていたとしても


それでも不安なのだと


その人の中では子供が何人いようが共働きは余程の理由がない限り続けるつもり(続けたい)らしく


その上で何らかの手段で自分の年収を更に上げていかなければ


3人目は厳しいだろうと


世間を見渡した時、2人までは何とか頑張れても3人目に踏み切るご夫婦がかなり少ないことを見ても


2人目と3人目の間には見えない大きな壁があるのだと思う


みたいなことを言われていて


今の時代に沢山産みたいと考えている貴重な女性すらも大事にできないなら


子供家庭庁なんかいらないだろ


と思ってしまった


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

ある人がクレーム電話の対応を終えてこう言いました


電話の向こうの人、めっちゃ怒ってたわー


クレーマーというのは


一言で言うと(心を)抱きしめてほしい人達なんだろうね、と


回りにいた殆どの人が『あぁ~( ̄▽ ̄;)』という反応


クレーマーの欲しいモノを手に入れるのに全く効果的でないアプローチが痛すぎる


まぁ、経緯はどうであれ同業他社沢山ある中でウチを選んで依頼をくれたんだから


こちらもできるだけ丁寧に対応する姿勢は必要だと思う、みたいなことも言われてて


こういうバランス感覚って大事なんだろうなーと思いました


しかしクレーマーの望む抱きしめ方をしてもらうには相手から見て自分が余程いい客(カモ)になるか


相手が大切にしたいと思えるほどの人に自分がなるしかない


あぁ、前者はまだ可能性があるけれど後者は何と難しいことか


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

自分を幸せにするモノと同じくらい


自分を幸せにしないモノを自覚しておくことは大事だと思う


そして自分を幸せにしないにも関わらず、その対象との接触を続けているならば


その対象への苦手意識を自分は克服したいのかと自問した方がいい


苦手なモノは克服しようとしなくていい、どうせ嫌いなんだから


みたいな身も蓋もないことを言った人がいると知った時は痛快でした


まぁ結果出すまで諦めずに頑張れば苦手なモノの面白さが見えてくるということもあるので、判断に悩むところではありますが


ただ学生の頃の勉強だけは頑張れるなら頑張った方がいいと思う


それ以外で克服しなければならないものなんて基本的にはないのではなかろうか


外野が好き勝手に言ってくるのは止められない(他人は変えられない)ので


後は自分が何を選び、どこで腹を括り、開き直るかだけだと思う


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

最近値段に驚いたモノに年賀状がある


普通にその辺のすぐ買えるところで買った場合、


白紙ではなく絵と短文が入ったモノでまさかの一枚200円超え


私は毎年数える程しか出さないからまだダメージは少ないのですが


それでも5枚買ったら1000円超えるとかもう意味がわからない


とりあえず少しでも安く買える金券ショップに行きましたが、それでも高い


年賀状が挨拶状ではなく贈答品みたいになってる


まぁ一年に一回、年始の挨拶だけの為にメール送るのもそれはそれで面倒だし


それだったらお金かかったとしても年賀状の方が気が楽だろうから


今後はそういう何か事情のある人だけが年賀状を利用する感じになるのでしょうね


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

不思議なもので、自分にとって重要でない人の話は幾らでも聞ける(適度に聞き流せる)けれど


自分にとって重要な人の話は相当頑張らないと聞けないのはなぜだろう


自分の親という人を一言で言うと


『この人達は本当に私(の話)に興味がないんだなー』である


子に対して『衣食住と学費だけは何とかする、それ以外は全て自力で頑張れ、


もし何かできないことや上手くいかないことがあればそれは全て自己責任だと思え


何があっても親に頼るな甘えるな』という人達だった


自分たちの言いたいことを言い、聞きたいことだけ聞く


そこに相手はいるけどいない


これでは人に距離を取られても仕方ないのではなかろうか


人間関係はお互いに訊く(質問する)ことと相手の話の内容をよく聴き(聞き)


相手に一定の理解を示すことをしなくなったら終わりだ


どちらかが話す一方、聞く一方になっても終わりだ


必ず何か答えさせることを意図して相手に質問することは大事だと思う


相手が何か答える前に自分が話始めてしまうなら、


相手が話している途中なのに口を挟んでしまうなら、


それは自分に忍耐が足りないということ


相手にそれができてないなら、相手に忍耐が足りないということ


挨拶程度の会話なら最悪一方通行でもいい


だけど対話や議論は一方通行では絶対にダメで、相手と自分の意見をお互いに考慮した上で


お互いにとってメリットがある落とし所を模索するということができないと


負けた(折れた)側には物凄い不満が残る


そしてそういった不満が放置されたり重なったりすれば、いつか何らかの形で必ず表面化する


嫌な思いをした時は今私は何を学んだのか、また同じことがあれば次はどうすべきかと自問し


頑張って言語化しておくことが大事


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

親子喧嘩はした方がいいのか、しない方がいいのか


昔はしない方がいいと思ってた


けど今は絶対にした方がいいと思う


親に逆らうということは子から親に喧嘩をふっかけるということ


親は自己主張してくる子を『親に衣食住を依存しているくせに反抗的な態度をとりやがって』と煩わしく思うかもしれないが


そもそも子が親を慕うのは子供の脳の構造(成長過程)でのボーナスタイムでしかなく永遠に続くものではない


そしていつかは子が自己主張しなければ親は子という他人について正しく認識(理解)するタイミングを逃し続ける


そして子が未熟ながらも自己主張するということは子が自分の言動に責任を持とうとしているということだから


長期的な目で見ればいいことでしかなく親の負担は軽くなる一方だと思う


(子が小さい頃は全てを世話した親からしたら、親側の負担が軽くなるのを受け入れるのも1つの試練なのかもしれないが)


また親と話し合いにならないということはお互いに相手の助けがなくとも私は私で生きていく、


あなたとはいつ疎遠になったり縁が切れたような状態になっても


それはそれで致し方なしという覚悟の現れであり


それが相手からの自立でないなら何が自立なのだろうか、とすら思う


親の役目は子を自立させること


それができるなら喧嘩上等じゃないか


親子仲最悪でも、子が親に何年も何十年も(時には死ぬまで)会わなくとも


子が自立したならもう十分じゃないかと思う


基本的に親は何かあれば子が助けてくれるとは思わない方がいいし


子も親の助けは無いものと思った方がいい


肌感覚的には今の時代、たとえ身内であっても善意で無料で他人を助けられるのは基本数秒、よくて数分(5分以内)が限度ではないかと思う


まぁ普段から保険として、相手が恐縮するほど相手に何かを与えて貸しを作りまくってる人はその限りではないかもしれないけれど


しかし与え(助け)過ぎは相手の自由な選択を奪う一面も確実にあるので、相手の負担にならない程度を常に模索する必要がある


何かあった時、比較的気軽に話し合いや相談ができる人間関係を持っていることはいいことだけれど


話を持ち掛けられる側は自分の時間は割かれるし内容は面倒くさいしで


まぁ無料では聞きたくないだろうし、なんなら有料でも聞きたくないわっていうのが本音だと思う


仕事としてなら受ける、しかしボランティアでは受けられない、


頑張ってお試しで短時間や最初の一回だけはやってもいい


だけど二度目は必ず仕事として受ける、それが今の普通


貸し1とカウントして後日返却を期待しても余程誠実な人以外はたぶん何も返ってこない


だから仕事として受けるのが一番いい


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた