日々感じたこと、あれこれ

日々感じたこと、あれこれ

訪問ありがとうございます。
自分用に書いてる備忘録みたいなものです。
よろしくお願いします。

私は母がとてつもなく苦手だ


これはきっと私が死ぬまで続く


母が死ねば終わる話ではないことに本当に腹が立つ


きっとそれほどまでに私は母に依存していたのだろう


それだけ聞くと父のことはそこまで問題じゃなかったと捉える人が一定数いるようだが


違う、全く違う、と毎回思う


父は母ほど目立たないけれど実際には


母と話し合って家庭の問題を解決していくことを諦めた人で


母の機嫌を取る(自分の保身の)為に私が実家にいる間、


ずっと生贄として私を母に差し出して


母のマイナス感情の矛先が極力自分に向かないよう


コントロールし続けてきた人


つまりは母と罪の重さは同じだ


母と私の両方に中途半端にいい顔をして


ギリギリまで追い込まれたら最後には母の側についた


そんな両親を見て育った私が学んだことは計り知れない


彼らは子供より自分が優先なのだと強く思う


ある意味とても人間らしい


物理的には親になれても精神的な面まで親になるのは


どうやら誰でもできることではないらしい


それとも産んでみなければわからないことに果敢に挑戦した両親は


称賛に価するのだろうか


子供の犠牲の上に成り立つ親なんて子供のためになっていないのだから


国が引き取って責任持って親の再教育を行うのに併せて


子供が成人するまで親の子への関わり方を


第三者が定期的に監視及び指導するような制度が早くできてほしい


問題ある親元で過ごすしかない子供を親から守るのは本当に難しい


幼少期の子供の親大好き期を悪用しないでほしい


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

お金とは気持ちを得る手段なのだと思う


こんな思い(気持ち)をしたい(得たい)と思うからお金を出すし


こんな思いはしたくないと思うからお金を出す(または貯蓄に回す)という判断になる


自分の限界まで貯蓄や投資に回すのも


当の本人からすればケチとか節約家とかでは全くなく


未来得たい気持ちの為に今限界までお金を出すという行為なのだと思う


それほど未来得たい(またはこれだけは回避したい)という気持ちが強いのだと思う


これだけは得たい、よりも


これだけは回避したい、の方がリアルだ


お金があれば自分を本気で助けたり応援したりしてくれる人を


一時的にでも雇える(買える)から選択肢が間違いなく増える


今を削ってでも未来の自分を守りたい


自分の未来を本気で守ろうとして動いてくれるのは自分しかいない


こんな面倒なこと誰にも頼めない


そんな思いなのだと思う


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

ある意味残念なことではあるけれど


本当に年齢は関係ないのだと思う


いい歳した大人が、それ相応に他のことも成熟しているだろう、いやそうであってくれ


という期待は今すぐ捨てた方がいい


相手が成人してようが中年だろうが高齢者だろうが


基本は相手に対する期待値は極限まで下げて


幼子に話しかけるように丁寧に


相手の反応を見ながらゆっくりわかりやすく優しく


相手が自分の話についてきているか何度も確認しながら


関わることが望ましい


他人に何かを依頼すると自分のやることに加え


その人に依頼したことの進捗まで気にしなければいけないのが面倒なところだ


キチンとやってほしいなら


こちらがこれでもかというくらいのフォローが必要だし


もしフォローできないなら


自分のイメージした完成度のモノが仕上がってくる可能性は限りなく低いと


腹を括らねばならない


そして自分が忙しいと往々にして後者になるのがツラいところだ


忙しいから助けてほしいのに


相手が仕事覚えて動けるようになるのを待つ余裕が自分にはない


けど1人で終わらせるのは物理的に無理、もしくは時間が足りない


というジレンマ


私もいい歳ではあるけれど、全てがまだまだまだまだで本当に残念な気持ちになる


人に丁寧に扱われて喜んでいる場合ではない


本来であれば自分がそれをしなければならない側なのだ


いつだって与える側は与えないという選択肢を同時に持つが


貰う側はいつも貰えていたモノが貰えなくなると致命傷になる


だから与える側に回る努力はできる限りした方がいいのだと思う


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた、

自分とは違う考えに出会ったら


『あなたの考えは私の考えとは違うようだ


ま、だからこそ、あなたの(そのような)考えは覚えておきますよ』


と言えば相手と無駄に争わなくて済むかもしれない


お互いに自分の考えに相手を引き込みたい


自分に同意させたい


自分の方が正しいと相手に認めさせたい


とか頭のオカシイ血迷ったことを大真面目に主張するから


相手との関係がより悪化するのだと思う


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

回復の条件に『1人の時間』が『大量』に必要な人にとって


恋愛とか結婚とか出産とか育児とか介護とか人付合いが絡むこと全てが


1人の時間(心身の回復)を妨害するモノになる


要は仕事以外の時間は全て『回復』に時間を充てないと身が持たない


仕事以外の時間で家族も含め知人と関わるような余裕は私にはない


サービス業の店員さんとか初対面の赤の他人とかと短時間ならまだ頑張れるけど


それ以外は本当に無理だし嫌だし一切関わりたくないというのが正直なところ


結婚とか出産とか育児とか憧れてたけど


そこに踏み込まなくて良かったと思う


そこまで踏み込んでたら早々に発狂するか病んで身近な人に膨大な迷惑を掛けていただろう


私にとって結婚とか出産とか育児は誰かに迷惑掛けてまで手に入れたいモノではない


だからこれで良かったのだと思う


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

先日、『信じるな、疑うな、期待するな、ただやってみろ、ただ事実を確認しろ


何かを前に進めたいなら、今自分を止めている感情と上手く付き合う術を持たなくてはならない』


みたいなことを発信してる人がいて


信じるとか疑うとか期待するとかって


自分が一切動けないし意思表示もできないとなった時の


最後の手段くらいにした方がいいのだろうなと思った


それくらい安易に採用してはいけないし、しない方がいい


信じるとか疑うとか期待するとかって


頭の中で色々考えてるだけで自分何かをやった気になるのが本当に良くなくて


時にはこれが実際に動くより楽だから、考えるより先に頭がこれを採用してしまう


まだ自分の体が動くなら信じるよりも疑うよりも期待するよりも大切なのは


とりあえず少しでいいから動くこと、試すこと、やってみること、現実を動かすこと、


立ち上がること、望むモノに向かって手を伸ばすこと足を出すこと、要望を相手に伝えること


やってみたらできたかもしれないけどやらなかった、よりも


やってみたけどできなかった、の方がたぶん得るモノは多い


相手がいることなら気になっていることを勇気を出して訊いてみるといい


きっと想像の斜め上からの回答がきて驚くことだろう


そしてそれはほぼ間違いなく次の方向性を決める大きな判断材料になる


きっと何時間もかけた脳内会議はなんだったのかと思うことだろう


何時間もかけた脳内会議全てが無駄だとは思わない


だけど、それを同じ話題で頻繁にやるのはどちらかというと逃げに近い


逃げるなとは言わない、だけどずっと逃げてばかりではいつまでも自分の輪郭(譲れない部分)が見えてこない


このまま動けなくなって死んでも後悔はないか


そう自分に問うた時、それは嫌だと思うなら


必要なのは考えることよりも動くことにエネルギーを割くことではないか


10年先、20年先、30年先はほぼ確実に今より動けなくなっているはずだ


もしかしたら死んでるかもしれない


今、自分が動けることを軽んじてはいけない


今の体力と気力は有限であり、いつか必ず終わりがくる


今の生き方でその準備はできていると言えるのかと自分に問いたい


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

やった方がいいことは明らかで、


やろうと思えばできるのは理解していたとしても


自分の中では面倒くさ過ぎて言い訳(やらない理由)が止まらない時は


『つべこべ言わずにさっさとやれ!!』


と強く言って背中を押して私がその作業に取り掛かるのを見届けてくれる人がいたら


どれだけ未消化のタスクが短時間で片付くだろうか


そんなことをやってくれる人を喉から手が出るほど雇いたいけど


高くて雇えないから自力で頑張るしかない


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

介護とは


相手から何かを頂きすぎて、いくら介護しても足りないと自分が思っているか


介護した分以上の十分な見返りが期待できるか


相手を綺麗事抜きに愛しているかしてないとできない行為だと思う


プロポーズの言葉として


あなたが好きです、ずっと一緒にいたいです、だから結婚して下さい


よりも


あなたが好きです、あなたの介護は私にやらせてほしいです、だから結婚して下さい


あなたに何かあった時、病院から一番に連絡がくるのは私でありたい


あなたが亡くなった後の葬儀は私が喪主をやりたい


の方がどれだけ説得力があるか


若い時は笑い話だろうが、そう遠くない未来にあっという間に笑えなくなるような歳になる


相手の介護は自分がしたいし、されるのもこの人なら受入れられるという人に会えたら


それこそ奇跡だなと思う


親の介護を子供ができない(やりたくない)のはある意味当たり前なのに


それを無視して押し付けてくる人(団体)の筆頭が国だ


国は家族がやらない場合、自分が時間と金(税金)をかけて問題を回収(解決)しないといけないから


国は何としても面倒事は全て家族に押し付けようとしてくる


それが『家族仲良く協力し合いましょう』という概念だ


家族と仲良くなんて一時的にはできてもずっとは無理なことの方が圧倒的に多いのに


何を寝ぼけたことを言っているのかと思う


国のギリギリまで自分達は何もしない


全ての面倒事を最後の最後まで家族に背負わせようというやり方は


本当に闇だなと思う


高市政権はこの制度をもっと強化しようとしていて


家族からは絶対に逃げられない仕組みを作ろうとしているらしい


狂っている


きっと家族間で殺し合いをさせたいのだろう


そこまでして日本人を減らしたいのか


これだけ国民の為に働かない(仕事しない)人が


まだ総理というポジションにいられることが本当に信じられない


高市さんには一日も早く辞めてもらいたいし


トップの暴走を誰も止められないなら、自民党はもう終わりだと思う


まぁ終わる前に日本と日本人をできる限りめちゃくちゃにして


最大限力を奪っておきたいのでしょうね


まさか自分が生きてる間に


自分が払った税金で作られた武器が罪のない誰かを殺す為に使われるのだろうか


なんて考える日がくるとは思わなかった


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

子供の頃の話で思い出したことがある


それは自分が学校から帰宅してから母親が帰宅するまでの僅かな時間が


私にとっては貴重な自由時間だったということだ


母が帰宅するまでにこれを終わらせとけという家事一覧はあったが


真面目にやっていたら自分の自由時間が全滅するので


母が帰宅する直前にやり始めるか帰宅の気配を感じたら急いで取り掛かるのが


常だったように思う


母は私を母に代わる家事要員にしたかったようだが


残念ながら私が家事が嫌すぎて母の望む基準には届くことは滅多になかった


母は自分は外で働いている(けしてサボっている訳ではない)のだから


家事くらい家にいる人(私)がやって当たり前だろという考えが口には出さずともダダ漏れだった


本人に自覚はないし絶対に認めないが


母はいつも不満そうな溜息や不機嫌で罪悪感を刺激し


私を自分の思い通りに動かそうとする人だった


働いて帰ってきたらある程度(できれば全部)の家事は終わっているのが母の理想だったが


そうではない日の方が圧倒的に多かった


だから母は年中不満そうだった


ウチは何かが間違っていたし何かが異常だった


私にとって大事な話題を真面目に取り合ってもらえた記憶がほぼ無い


にも関わらず暴力を振るわれたり暴言を浴びせられたりはなく衣食住は保障されていたので


第三者に間に入ってもらって改善に向けて話し合いをすることはできなかった


母の『家族の問題に第三者を入れない』というコミットは凄まじいものがあった


母の努力が実り、子育てにおいて母に改善を促すようなことを言う人は


私の知る限りでは1人もいなかった


父親でさえ見て見ぬふりという現実にこれが自分の親かと悲しくなった


両親というのは、どちらか一方が暴走した時にもう一人の方がその暴走の抑止力になる為に二人いるのだと思っていた


だからこの時の父親の母側につく(子供を守ることの放棄)態度、


いわゆる子供を犠牲にすることで自分の身を守る姿には本当に呆れた


私が追い詰められるのを一番近くで見て(知って)いたのは父だったが、


私よりも母側につくという姿勢は私が実家を出るまで変わることはなかった


まぁその行為(子供より母を優先すること)が子供が出て行って母と二人暮らしになった時に少しでも生活を上手くいかせる為の父なりの下準備だったのだろう


いや、正確には一緒に母と闘ってくれる人が1人だけいたが、その人と会うことを母は頑なに拒否し続けた


もし私と母が家族ではなく他人としてでどこかで出会っていたら、


絶対に関わりたくないし私からは絶対に近付かない類の人だ


実家にいる間の私は自分を擦り減らして擦り減らして


本当によくやっていたしよく耐えていたと思う


親から強烈に学んだことは『自分のような体験を我が子がする可能性が僅かでもあるなら怖くて子供なんか産めない』だ


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

タダではない(むしろ非常に高く厄介である)ものに支援とか支持があると思う


支援とか支持はする側の(時には膨大な)金や時間を費やす行為だから


これが無償で提供される訳がない


むしろ与えた以上に大きな見返りを求められていると考えるべきだ


だから支援とか支持を受けることには本当に慎重にならないと


支援とか支持してくれた人を無下にはできないし無視もできないという理由で


自分のやりたいことや言いたいことを尽く潰される可能性が出てくる


自分の自由を奪われる可能性も含めて支援とか支持が欲しいかと問われ


それでも支援や支持がほしいと主張するのはなかなか心に負荷がかかる行為だ


支援や支持(という煩わしさ)を引き受けてでもその立場を得たいという人は


善し悪しは別にして何かを望むエネルギーが高い人であるのは間違いない


まぁそれを望むからにはそれなりの旨みがあるのでしょうけれど


支援や支持を受けたなら、それ自体は素晴らしいことなので


そこに胡座をかかないような言動や生き方を心掛けてほしいし見せてほしい


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた