日々感じたこと、あれこれ

日々感じたこと、あれこれ

訪問ありがとうございます。
自分用に書いてる備忘録みたいなものです。
よろしくお願いします。

世の中にはわからない(知らない)ということに付け込んでくる人は本当に多い


だからせめて対象を理解する努力くらいはしないと


最低限の自衛すら危うくなる


理解できないまま突き進むという快楽が許されるのは


失敗してもやり直せる時間のある若いうちだけ


ある程度の歳になれば何事にも『小さく試す』という過程が本当に重要になる


これをせずに何かを得られるとしたらそれは大失敗という経験だけではなかろうか


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

親が死んでから『もっと話せばよかった』という後悔がこの世には存在するらしい


毒親育ちの良い点を無理やり捻り出すとすれば


少なくともこの後悔だけはないと言い切れる


という点ではなかろうか


毒親育ちがどれだけ親と『もっと話そう』と努力したかを親が本当に理解する日は


たぶんほぼ確実に一生こない


そう言い切れる程、子供はあり得ないほど親と話すためにあらゆる努力をしてきた


人によっては今も努力は継続中かもしれない


それほど子供は親を慕っている


だけど、どこかのタイミングで『これだけ努力してもダメならもういい』と思う瞬間が来る


その瞬間が来たら親の介護なんて一切考えられないし


誰かから親が死んだということを聞いても


『そうか、死んだか』くらいにしか思わないだろう


そのことで感情は特に動かないし


なんなら『死ねば許されると思うなよ、また逃げやがって』くらい思っている


我ながら酷い子供だとは思うが


それだけのことをしてきた親にも十分原因はある


一方的に子供側を悪者にするのは絶対に受入れられない


最低でも引分けには持っていく


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

政党の違いとは


どの属性にある人達を一番助けたい(応援したい)かの違いだと思う


そういう意味では、自民党は自分達を含め既に金も権力もある人達を


どうしたらその力をもっと拡大できるかばかり考えている政党であるように感じる


そう考えると自民党のやることなすこと全てが


庶民の生活をより厳しくなるようにしかやっていなくて


本当に自分達のことしか考えてないのがよくわかる


少し前の選挙で自民党が圧勝したのは


大昔はいい仕事をしていた時代もあったということと


選挙前だけ自信満々に耳障りのいいことを言って、


それを多くの国民が『今度こそはちゃんと仕事してくれるかもしれない』と


根拠も実績もないのになぜか意味不明な期待をしてしまったことにあるように思う


選挙に出た政治家が当選後にいい仕事するかどうかは


面倒でも選挙に立候補した人の直近数年の間のその人の仕事ぶりを


国民一人一人が正しく評価(判断)する必要がある


選挙前にその時力のある政党や人に支持(応援)されて


綺麗事言っとけば勝てるような選挙なんて政治家にとっては楽過ぎる選挙だろう


国民は政治家を厳しく監視するという仕事をこれ以上放棄してはいけない


なぜなら彼らは税金(血税)の使い道を決める権利を持っているから


だから国民の血税が外国と外国人に際限なく流れていく


そしてちゃっかり自分達の給料は信じられないくらい上げた後に


国民を助けたいけど財源がないとか言い出す


国民は給料がほぼ上がらない中、引かれるものは増え手取りは減る一方なのだから


給料から引かれるものがほぼないに等しい&国民の為になることをほぼしてない国会議員の給料上げるなんて愚の骨頂


そもそも国会議員の給料は世界的に見ても高すぎるし


それをさらに上げられるなら財源あるじゃないかという話で


本当にふざけてる


政治家に何か言う国民も少ないし選挙にもろくに行かないから


今の状態は政治家にとって天国だろう


国民が何も言わなくても政治家はちゃんと仕事してくれるなんて勘違いも甚だしい


国民がかなりの数で抗議してやっと政治家は重い腰を少しだけ上げるフリをする


政治家とはそういう生き物であると国民は考えを改める必要がある


国民が仕事しない政治家をきちんと選挙で落選させなければ国民は政治家に殺される


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

自分も含め人はすぐ自分以外の誰かを悪者にしたくなる生き物だから


自分にとって都合の悪いことを


全て他人のせいにし続けた人の末路は知っておいて損はないように思う


その人は時間をかけて本当に多くの人から『あなたはいらない』と思われる


時には実際に言われることもあるかもしれない


そしてその『あなたはいらない』を日々の行動でも示されるようになる


そしてその人の周りには気づけば親しみを込めて関わってくれる人が誰もいなくなる


それが謝罪と改善を自分の人生から排除した人の末路であるように思う


上手くいかないこと全て自分のせいにする人がいるが、それはあまり良くないように思う


全て他人のせいにするのも勿論違う


どちらかが100%正しい(悪い)なんてそうそうないのだから


どちらかに偏ってるなと思ったら真ん中に戻るという意識(習慣)が大事だと思う


誰かを責めて、それで何かが解決するならこんなに楽なことはない


実際はそうはならないことの方が圧倒的に多いから


自分なりに一生懸命考えるし行動する


人生はそんなことの連続だ


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

金と権力を持つ人にとって労働者は皆奴隷である


特に非正規労働者である程度稼げるような資格やスキルを持たない人は


本当に冗談抜きで本物の奴隷である


みたいなことを言った人がいました


しかし現実問題としてその労働者に真面目に働いてもらわないと自分(権力者)の快適な生活が損なわれる


また結婚できなかった非正規労働者は老後おそらく家族や親族の力は借りられず


公的なサービスに頼らざるを得なくなる可能性が高い


そうすると加齢で働けなくなった奴隷の最後の面倒を見るのは国の仕事になる


国としてはそこにかけるお金はできる限り減らしたい


だから奴隷が労働を放棄しない程度の最低限の幸せは保障してやらねばならない


そして最低限の幸せとは日々の労働は続けながらも子供(将来の奴隷)を産み育てる


ということを奴隷に積極的にやらせる(多くの奴隷がそれを自ら望み実行できる)状況を作る


また奴隷同士で結婚や出産をさせれば誰かに介護が必要になった時


国が面倒見なくとも家族に介護を押し付けられる


ということらしい


そういう意味では今の日本の状況は非正規労働者を増やし結婚(出産)を積極的に諦めさせ


未来の労働者(奴隷)すらいらない


日本の文化に合わせる気のない問題行動の多い外国人を際限なく入れて


その人達にお金(日本人から集めた税金)を潤沢に配り子供を沢山産ませ


その子供達に将来の奴隷になってもらおうという考えらしい


(親があれだけ問題起こしてるのに、その子供が素直に日本の為に働くとはとても思えませんが)


日本人を日本で暮らしにくくさせて追い詰めて


純日本人なんかさっさと黙らせて、最終的には国を乗っ取ってしまおう


と大真面目に今の政治家は思っているということだろう


何とも残念な状況ではあるが、その政治家を選んだ、


もしくは政治に関心を持たず選挙にも行かなかった国民が


今の状況を作ったとも言えるので


自業自得という特大ブーメランを今の国民は味わっているというということだ


過去にある政治家が、


『国民が政治に興味がないのはいいことだ(少なくとも政治家にとってはいいことだ)


なぜならそれは自分が政治に興味関心がなくてもそこそこ今の生活に満足してるし


政治は自分の幸せには大して影響がない


または自分の言動は政治に影響を及ぼせない


と国民が思っているということだから』


みたいなことを堂々と言った人がいて、


国民をどこまでバカにしたら気が済むのかと今なら強く思う


国民に全く利益のない(むしろ損害しかない)法案を


数の力で無理やり通している政治家の方々は笑いが止まらないことでしょう


なんせ選挙前だけ耳障りのいいことを言って国民を騙しておけばいいのだから


国民も判断を間違えることがあるのだから


選挙前に約束したことにすぐに取り掛からない(実行しない)政治家は


ある程度の数の国民の声が集まったら


辞めさせることができるような決まり(制度)がほしいと切に思う


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)は有名人ですが


人柄とか、どんな人生だったのかとか、何を大切に思って生きた人なのかとか


今まで全く興味なかったので知ろうとも思わなかった


ですが最近なぜか興味が出てきて作品を少しずつ読み進めている


興味深いのは作家として生活していけるようになるまで


なかなか大変な苦労をされた人のようだということだ


牧師の家庭に生まれ、おそらく実家にいる間は生活に困るようなことはなかっただろう


成長し親の意向で神学校にまで進んだものの


『詩人になるか、でなければ何にもなりたくない』と脱走(!?)されたらしく


自分の生活の安定や親からの期待よりも自分の譲れない考えを優先した行動力は私を驚かせた


そこからは職を転々→書店員→作家という経緯らしいが


この職を転々→書店員の間に心が折れなかったのも凄い


また作家になった後も非戦論者ということで苦境を強いられたとのこと


落ち着ける環境で作家活動に専念でき、本当に書きたいことを好きなだけ書けた年月なんて


人生の後半少しだけだったのではなかろうか


それでも生活が大変な時にも作品を世に出し続け


ノーベル文学賞まで受賞され、今も尚多くの人に読まれている凄い作家さんだ


こんな凄い人には遠く及ばないけれど私も諸々頑張らないとなと思いました


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

人と距離を取りたくなる時


自分の中に何が起きているのか今まで上手く言葉にできなかったが


たぶんこれかなと思うものにようやく出会えた


それは『こうしてくれ』とか『これはやめてほしい』系の会話が


尽く成立しないということだ


成立しないとどうなるかというと


私が相手の言い分を聞く一方になり


立場が逆転すると相手は何かしらの理由(言い訳)をつけて


私の話を有耶無耶にしたりなかったことにする


私のやってほしいこともやってほしくないことも全て無視


きっと相手は自分の言うことに素直に従う従順な奴隷として


私に傍にいてほしいのだろう


気持ちはわかるんですけどね


残念ですがこういう人とは会話にならないので距離を取って


そんな思考と行動では人が(少なくとも私は)離れていきますよ


ということを時間をかけて学習してもらうしかない


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

私は母がとてつもなく苦手だ


これはきっと私が死ぬまで続く


母が死ねば終わる話ではないことに本当に腹が立つ


きっとそれほどまでに私は母に依存していたのだろう


それだけ聞くと父のことはそこまで問題じゃなかったと捉える人が一定数いるようだが


違う、全く違う、と毎回思う


父は母ほど目立たないけれど実際には


母と話し合って家庭の問題を解決していくことを諦めた人で


母の機嫌を取る(自分の保身の)為に私が実家にいる間、


ずっと生贄として私を母に差し出して


母のマイナス感情の矛先が極力自分に向かないよう


コントロールし続けてきた人


つまりは母と罪の重さは同じかそれ以上だ


母と私の両方に中途半端にいい顔をして


ギリギリまで追い込まれたら最後には母の側についた


そんな両親を見て育った私が学んだことは計り知れない


彼らは子供より自分が優先なのだと強く思う


ある意味とても人間らしい


物理的には親になれても精神的な面まで親になるのは


どうやら誰でもできることではないらしい


それとも産んでみなければわからないことに果敢に挑戦した両親は


称賛に価するのだろうか


子供の犠牲の上に成り立つ親なんて子供のためになっていないのだから


国が引き取って責任持って親の再教育を行うのに併せて


子供が成人するまで親の子への関わり方を


第三者が定期的に監視及び指導するような制度が早くできてほしい


問題ある親元で過ごすしかない子供を親から守るのは本当に難しい


幼少期の子供の無条件で親大好き期を悪用しないでほしい


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

お金とは気持ちを得る手段なのだと思う


こんな思い(気持ち)をしたい(得たい)と思うからお金を出すし


こんな思いはしたくないと思うからお金を出す(または貯蓄に回す)という判断になる


自分の限界まで貯蓄や投資に回すのも


当の本人からすればケチとか節約家とかでは全くなく


未来得たい気持ちの為に今限界までお金を出すという行為なのだと思う


それほど未来得たい(またはこれだけは回避したい)という気持ちが強いのだと思う


これだけは得たい、よりも


これだけは回避したい、の方がリアルだ


お金があれば自分を本気で助けたり応援したりしてくれる人を


一時的にでも雇える(買える)から選択肢が間違いなく増える


今を削ってでも未来の自分を守りたい


自分の未来を本気で守ろうとして動いてくれるのは自分しかいない


こんな面倒なこと誰にも頼めない


そんな思いなのだと思う


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

ある意味残念なことではあるけれど


本当に年齢は関係ないのだと思う


いい歳した大人が、それ相応に他のことも成熟しているだろう、いやそうであってくれ


という期待は今すぐ捨てた方がいい


相手が成人してようが中年だろうが高齢者だろうが


基本は相手に対する期待値は極限まで下げて


幼子に話しかけるように丁寧に


相手の反応を見ながらゆっくりわかりやすく優しく


相手が自分の話についてきているか何度も確認しながら


関わることが望ましい


他人に何かを依頼すると自分のやることに加え


その人に依頼したことの進捗まで気にしなければいけないのが面倒なところだ


キチンとやってほしいなら


こちらがこれでもかというくらいのフォローが必要だし


もしフォローできないなら


自分のイメージした完成度のモノが仕上がってくる可能性は限りなく低いと


腹を括らねばならない


そして自分が忙しいと往々にして後者になるのがツラいところだ


忙しいから助けてほしいのに


相手が仕事覚えて動けるようになるのを待つ余裕が自分にはない


けど1人で終わらせるのは物理的に無理、もしくは時間が足りない


というジレンマ


私もいい歳ではあるけれど、全てがまだまだまだまだで本当に残念な気持ちになる


人に丁寧に扱われて喜んでいる場合ではない


本来であれば自分がそれをしなければならない側なのだ


いつだって与える側は与えないという選択肢を同時に持つが


貰う側はいつも貰えていたモノが貰えなくなると致命傷になる


だから与える側に回る努力はできる限りした方がいいのだと思う


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた、