日々感じたこと、あれこれ -2ページ目

日々感じたこと、あれこれ

訪問ありがとうございます。
自分用に書いてる備忘録みたいなものです。
よろしくお願いします。

誰かに復讐したいと思った時


どうすればそんなことはどうでもよくなるんだろうと考えたら


『相手より何かしらの力を持った時』


というのがひとつの答えであるように思う


その力を行使するかどうかは自分が決められる


つまり自分が望めばいつでも相手に復讐できる


という状態が必要だと思う


その力が腕力なのか経済力なのか自分の味方になってくれる人の数なのか


自分が身に付けた何かしらのスキルなのか、その他の何かなのか


とりあえず人生においてやられっぱなしは心が病むので本当に良くない


基本は勝ちに行く、最低でも引き分けには持っていく


それ以上は何があっても絶対に引かないし妥協もしない


それくらい強気で臨んでやっと自分を守れる


自分が一方的に負けるなんてことだけは絶対に自分に許してはならない


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


それではまた

『私を失望させないで』『君にはガッカリだよ』


これらは親が子に発する非言語メッセージで私が一番良くないと思っている類の言葉だ


私がこの言葉を跳ね返せるようになるのには随分長い年月を要した


勝手に期待して勝手に失望して、盛大にため息つかれてそっけない態度を取られるまでがセット


それがどれだけ子の心にダメージを与えるかわかっているのだろうか


そんなことを繰り返していたら将来


子に同じようなことをされる確率は上がる一方なのに


それがわからないのだろうか


まぁ暴力がなかっただけマシだと言われればそうなのかもしれないが


しかしそれでも子が何年もかけて『絶対に許さない』を心に誓っていくには十分だ


子からしたら子が自立して家を出るなり稼ぐなりするようになるまで


親には何年も猶予があったにも関わらず子の考えを覆すことができなかった


ということがどれほど子を絶望的な気持ちにさせているかわかっているのだろうか


親を失望させたい子など基本的にはいるはずがない


ということがいざ親になってみると


忘れてしまったりわからなくなったりするものなのだろうか


それとも、それほど親業というのは大変なのだろうか


まぁ大変は大変だろうが


それを子の心をサンドバッグにしてもいい理由にはしたくないし、しないでほしい


どんなに親に問題があろうとも、余程の理由がない限り子は親元に戻される


それが子にとってどれだけ無力感を痛感させられるか


第三者は民事不介入とか言って他人事にしてないで、もっと介入してきてほしかった


その子の家の中で何が起きてるのかもっと知ろうとしてほしかった


誰かに自分の味方になってほしかったし


一緒に戦ってほしかったと強く思う


家族内の闇を1人の子に全て背負わせ


『お前(だけ)が悪い』『お前さえいなければ』『○○家の恥』


みたいな雰囲気にするのは本当に良くない


そんなことをしてたら将来子に縁を切られるに限りなく近いことをされたり


暴力振るわれたり、最悪殺されたりしても文句は言えない


くらいのことをしてるのがどうしてわからないのだろうか


子の優しさと親の経済的及び身体的優位さに甘えすぎだ


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

他人の感じの悪さを見たら


この人は悪い意味で私なら甘えてもいいと判断した、ということ


人は神ではないから必ずどこかでボロが出る


それは仕方がない


疲れている時、眠い時、お腹空いてる時、相手を自分より下に見てる時も感じ悪くなる


それも仕方がない


だって人間だもの


他人に完璧を求める方が間違ってる


問題はそんな相手に対して自分はどうするかだ


だから相手が自分に対して感じの良さを維持できなくなった時が


一旦その人から距離を取るべきタイミングだと思っている


自分のメンタルを守るためには


相手が感じ良くなればまた関わってもいいが、感じ悪い間は一切関わってやらない


くらいの気概が常に必要


相手の甘えを一時的にでも受け入れることが自分の仕事になるなら話は別だが


こちらの我慢が一切金にならないならば感じ悪い人と一緒にいるメリットはない


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

これだけ少子化少子化と言われているけれど


親が子育てを『ごめん、もう無理もう限界もう頑張れない』ってなった時に


『よしわかった。この後のこの子に関して必要なことは全て引き受けた。子どもを産んでくれて、ここまで育ててくれて本当にありがとう。あなたは自分の心身の回復に専念して下さい。』


って言ってくれる制度が今の日本はあまりにも不十分であるように思う


意地でも子育ての責任は負わない、そんな金も時間も労力もかかることを国が引き受けられるか、と言われているように思える


そして自分の選択で産んだのだからと、どこまでも親に責任があると追い詰められる


そうなったら究極、自分の手で子どもを殺すのが最善という選択に親がなってしまうのもわかる気がする


子を虐待する親は行動そのものは大いに問題ありだが、その虐待こそが親の『ごめん、もう無理もう限界』を表していると思う


虐待してでも育児しろ、働く能力も意欲も高い子に育てろというのは社会全体から親への虐待のようにも思える


安易にこういった制度に頼るのもどうかと思うが


何か大きな問題なり事件なり起こさなければ誰も動かない(助けない)世の中もどうかと思う


まぁ、本当に困っているかどうかの見極めがそれだけ難しいのかもしれないけれど


だけど本当に困った時の受け皿がこれ程ないにも関わらず子供を産め産め言われても


そりゃ無理ですよ


子ども家庭庁の予算は子供一人に1000万配れるくらいはあるそうなので、もう少しお金の使い方を考えてもらいたい


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

支配者は能力の高い人に傍にいて(忠誠を誓って)


自分の為にその時間と能力を最大限使ってほしいと思う


しかし能力の高い人は能力が高いが故に相手に忠誠を誓う(媚びる)必要がない


つまりいつでも相手と関わりを断てる準備があるということ


だから支配者は報酬やら何やらで相手を必死にコントロールしようとする


能力主義は無駄がないけれど支配者からすれば常に身内に裏切られることと引き替えだ


逆に世襲だと裏切られる心配はほぼないが


世の中の進化のスピードに合わせた変化や成長が能力主義ほどは期待できない


織田信長は能力主義の人だったらしい


そして能力のある人を傍に置いて裏切られた


世の中を支配する立場の人は学習したに違いない


自分の立場が危うくなるくらいなら


能力主義より世襲で一族の地位をより強固にしていく方がいい、と


そしてそれが今の日本にも確実に受け継がれているように思う


人間なので保身に走りたくなる気持ちは痛い程にわかるのだが


正直なところ日本という国と国民を体を張って守る気がない人に政治家はやってほしくない


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

私は基本的に他人と一緒にいることは無理だが


一人でも幸せでいることは楽にできる


そして嫌がらせする人は今幸せでない(又は余裕がない)から嫌がらせする


相手の困っている様や自分の強者感が楽しい又は面白い(自分の中の何かが満たされる)から嫌がらせする


嫌がらせする人は一人では幸せになれない人なのだと思うと少し可哀想に思えてくる


(まぁ他人と上手くやれない私も可哀想に思われてるだろうけども)


嫌いなら関わらなければいいのに、あえて嫌がらせする方を選ぶ超めんどくさい人


究極のかまってちゃん


神様は人間を絶滅させない為にあらゆるパターンを想定して『大小問わず変わった(少数派な)人』を作り続けているらしい


この世は何が起きるかわからない以上、何が功を奏するかもわからない


だから何が起きても対処できるようにいろんな人を生み出し続けているそうだ


だから、どんなにこちらが努力しようが歩み寄ろうが同じ言語で話してようが『会話にならない』『わかり合えない』が起きるのはいわば当前


そこを悲しく思う段階は早く卒業したいものである


話し合いができるもできないも神の意志であるならば、そこは受け入れるしかあるまい


相手に淡い期待などしてる場合ではない


その上で意味不明な人を前にして自分はどうするか、どうしたいのかを考える方が大事


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

人は常に、2つの内どちらかの選択を迫られている


1つは行動する(傷つく▪恥ずかしい▪しんどい▪先の読めない未知の体験)ことと引き替えに何かを得るか学ぶという選択


この選択はとてもエネルギーがいるが得るものも多い


もう1つは行動しないことによる後悔と、行動すればできたかもしれないという自分への淡い期待を持ち続けること


この選択はエネルギーがあまりいらないが得るものは少ない


どちらがいいも悪いもない


ただ元気に動き回れるだけの体力と健康が時間と共に確実に減っていくのみ


若い頃は自分が体力と時間のボーナスタイムにいる実感がなかったのが悔やまれる


人は必ず、何かを得ている裏で何かを失い


何かを失ったと思っても必ず何かを得てる


ただ自分が見たい方、又は気になる方を見てるだけ


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

先日、あるお坊さんと雑談できる機会がありました


そこで若い頃はまぁまぁ有名な、知ってる人は絶対に知ってるような山寺で修行されていたと聞き


ずっとなんとなく疑問だった『なぜ修行中、あのような(素人にはハードに思える)日々を乗り越えられたと思うか?』


みたいなことを訊いてみたところ意外にも


『周りのみんな(修行仲間)がやってたから(それに引っ張られて)自分もできた。一人ならもっと大変だったと思う。』


みたいなお返事で、お坊さんも人なんだなと思いました


修行を終え下山するとお寺で働きつつ普通の(誘惑の多い)生活に戻ってしまいがちだけど、


あの時、修行を通して僧侶としてあるべき行動や心構えみたいなものを学べたことは


とても良い経験だった


それを普段の生活でどこまで取り込めるかは各々によると思う


みたいなことも言われていて、良い話だなと思いました


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

今まで『許すって何だろう?どういうことだろう?』ってずっと思ってたのだが


人生も後半戦に突入してやっと1つの答えらしきものが見えてきた


それは『許す』なんて存在しないということ


自他共に『許す』という言葉を使う時、それは全て嘘だと思ってほぼ間違いない


『許す』と見せかけて全く許して『ない』


少なくとも手放しで許されることはまずない


もし許すとするならその代わりに、その許した人の中に強烈に明確にその出来事をマイナスな事として記憶されることと引き替えだ


または自分がやらかしたことの記録がかなり長い年月どこかにデータとして保存され続け、


それを赤の他人に勝手に見られて勝手にそこから何かを判断されることもある


この人はまた同じ問題を起こす可能性が大いにあるという属性に否応なしに入れられる


それでもまだもう少し様子を見よう


もう少しだけこの人を泳がせておこう


まだこの人には利用価値が少しはあるから


だから実際は全く『許してない』けど、表面的には『許した』ように見せておこう


それが『許し』の本当の姿であるように思う


まぁ、許すとか許さないとかそこまで他人に気を取られている方が時間の無駄


とも思うけれど


けど『許せない』って簡単には消えないんだよなぁとも思う


『許せない』から『どうでもいい』に移行するには思いの外時間がかかる


どっちにしろ『許す』という選択肢はどこにも存在していない


けど『忘れる』は確実に存在する


忘れられるから時間が経てば『まぁいっか』とか『仕方ない』とか思える


そして忘れられるから人によっては何度でも新たな気持ちで同じ過ちを犯す


記憶があるから学習したものが積み上がるのだが、忘れられないことで苦しむことも多い


ほどほどに覚える&忘れるってなかなか難しい


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた

確実に結果を出したいなら


お金はかかるが、その分野の熟練者(できれば教える方の)に個別指導を期限を設けてある一定期間、定期的に受けることではないか


自分のやる気に頼るのがたぶん一番あてにならない


だけどやる気すらないなら初めからやらない方がいい


結果を望むのはあくまでも外部ではなく自分でなくてはならない


そうでなくてはしんどい時の踏ん張りがきかない


やる気まで外注するのはすぐに諦めてしまう原因になるのでおすすめしない


あくまでもその結果を一番望んでいるのは自分であり、先生はそのサポートという位置付けが大事


個別指導の良い所は問題がある箇所に対して教える側が一緒に最善策を考えてくれるところだ


そこに教わる側の思考パターンや性格まで配慮されるのが素晴らしい


教わる側の結果が出てない時も、その人が常に前を向けるように誘導してくれる


教わる側を一人にせず常に進捗を気にしてくれてゴールから逆算して一緒に戦ってくれるところ


そもそも教える側にとっては、教わる側が結果が出るまで何度も心が折れて弱気になるなんて初めから想定済みなのが有難い


結果出なくて教わる側が愚痴や文句を言い出すなんて『あぁ、またか』であり『あるある』だろう


教わる側の調子がいい時も悪い時も一喜一憂せず淡々と伴走してくれる


これが本当に有難い


その上で最終的に望む結果を出させればその指導者は契約を継続、リピート、紹介に繋がっていく


だから教える方も忍耐強く頑張る


ある程度の相性の悪さは教える側が何とかしようと頑張ってくれる


なぜならこれは仕事だから


教える側としては、できることなら継続してほしいから


問題は教わる側的には思いの他お金がかかること


教える側的には抱えられる生徒数に限りがあること


教わる側は指導者は自分にしっかり気持ちが向いてない時はすぐ察してしまう


そんなことが数回続けば契約なんていつ切られてもおかしくない


だから教える側はいい緊張感を持って関わってくれる


ここまでやって結果が出なければ、教える方が下手というよりも教わる側がそのことに向いてない(適正がない)と考えた方が妥当かもしれない


逆に言えばこれだけ手厚くフォローされれば大概のことはできるようになる可能性が誰でも十分にあるということ


学生の頃、いい先生のいる塾に行けた人はラッキーだし、家庭教師をつけてもらえた人はもっとラッキーだ


独学よりも遥かに勉強の楽しさ面白さを知る機会に恵まれただろう


公立ではなく私立に行かせてもらえた人もラッキーだ


人を苛めたりバカにするような人の割合は公立に比べるとかなり少なかっただろうし


勉強や人生に前向きで意欲的な人も多かっただろう


そんなことを思った今日この頃です


訪問ありがとうございました


ではまた