自信を失う、自身を失う | 女神★降臨

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ベジタリアン、ゴス、メタル、というか音楽全般、アート、LGBT、SM、語学に生きるチアキの日常。
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小学5・6年生の頃、クラスでは、いじめが問題になった。

この学年の頃の、いじめの理由などというものは本当に小さなものだ。

大抵誰かが「あの人は嫌だ」と難癖をつければ、ハブりが始まる。

 

誰か1人が、そう言えば、他の人も「ああ、あの人は嫌な人なんだ」と思い込む。

少し考えれば、なんてことない、いちゃもんだと、わかるのだが、わからない時もあるのだと思う。

 

「あの人は嫌だ」と言われれば「嫌な人なんだ」と思ってしまう。無条件に。

 

誰かの真似をすれば嫌な人になるんだ。

自慢をすると嫌な人になるんだ。

自分を好きだと言えば嫌な人になるんだ。

 

などなど

 

そうして「嫌な人」の条件が、自分の中に組み込まれていく。

それが「嫌な人」なのだと信じるようになるタラー

 

けど、あなたは本当に、それが嫌なのだろうか?

単に自分の感情や考えに自信がないから、相手の考えを採用しているだけではなかろうか?

 

みんなが言っているから正しいに違いない

みんながやっているから安全に違いない

みんな同じだから私も大丈夫

 

こんな風に、自分の考えを放棄して、相手に責任をなすりつけてはいないだろうか?

自分自身の主導権を任せてはいないだろうか?

 

だって、みんなそう言っていたから

だって、みんなやっていたから

だって、みんなも同じことをしているじゃない

 

みんなと同じなら自分自身で責任を取らなくても良い。

誰かが正しいことをしてくれるに違いない。

 

もし、自分自身の考えに自信を持てるとしたら…果たして自分は、そんな風にふるまうだろうかアセアセ

 

「自分を好きだと言えば嫌な人になる」

 

24才くらいの頃に友人から実際に、このように言われたことがあるガーン

 

「自分のことを好きだなんて言うと、人に嫌われるよ」ともやもや

 

その言葉に対し私は、「自分のことを嫌いでいるより、好きでいた方が良いと思う」と答えたのを覚えている。

 

 

大学生だった頃、私は留学生の歓迎パーティーで女の子に「可愛いですね〜」と声をかけた。(圧倒的ナンパ野郎感)

 

すると女の子は私に「そんなことないですよ〜」と…謙遜を。

 

私は、それを聞いて心の温度計が下がった。

なぜ自分の良いところを、そんな風に拒絶するのだろう、と。

 

誰かに褒められた時は謙遜して「違う」と言うこと。

それが正しい振る舞い。

そう思っている人は割といるんじゃないかな。

 

私は、そんな風に振舞われると「もう、この人のこと褒めたくないな」と感じてしまうショボーン

違います、違いますって。

あなたの褒め言葉は受け取れません(笑)みたいな…

 

そんな風に自分の良さを否定していると、ますます自分に自信がなくなるんじゃないかな。

 

周りの正しさに同調する→意思決断の主導権を相手に引き渡す→謙遜して自分自身は大した存在ではないと主張する→自分は大した存在ではないので自信が持てない

 

と言いますか。

 

つまり、自信を失うということは、自分自身を失うことなのだな、と。

 

で…

 

 

自分好き好きの私は先日、三脚を買ったので動画撮影カメラをしました(笑)

私は自分の見た目も中身も好きっすよ(笑)

 

それでは、みなさん。

今日も素敵な1日を唇