その朝起こった事件は、夜中に2、3歳の女の子を頭からゴミ箱に突っ込んで捨ててしまったという事件だった。公安が来て調べたところ、夜中に凍死したらしいとの事だった。その凍死事件が起こった前後にも別の事件が起こった。その時もまた、近所の上海人が何やら騒いでいるので、何事か聞いてみると、近くの自由市場で女の子が販売されていたのだそうだ。恐らくは農民が女衒(ぜげん)に売ったのだろうと口々に言っていた。農村では子供を労働力として考えるので、男の子は育てるが女の子は育てたがらないのだそうだ。この点は農村と都市部では習慣や考え方、感覚が異なっている。都市部でも昔は男の子を欲しがったと思う。だが、近年の傾向として女の子を欲しがる親が多い。その理由は女の子の方が学校の成績が優秀だかららしい。
続く
今月、イスラエルのエルサレム郊外に日本人外交官の人道的行為を評して「チウネ・スギハラ広場」が開かれた。
杉原千畝(すぎはらちうね)1900・明治33年1月1日~1986・昭和61年7月31日 岐阜県出身
1940・昭和15年リトアニア・カナウスで日本領事代理として勤務していた時、ヒットラーから迫害を受けたユダヤ人に対し、日本外務省の許可を得ないまま日本を通過して第三国へ逃れるヴィザを発給した。杉原千畝の発給したこのヴィザは「命のヴィザ」と呼ばれ、実に6000人以上のユダヤ人がナチスの迫害から逃れられた。
杉原千畝が外務省の許可を得ていなかったにもかかわらず、何日もシベリア鉄道を乗り継ぐなどして「天草丸」等の船舶で日本に逃げて来たユダヤ人に対し当時の日本政府も入国拒否をせず、人道的な立場からユダヤ人を受け入れ人命を保護した。これに対しヒットラーは日本政府に猛烈な抗議をしたが、日本はあくまでも人道的な立場を貫いた。杉原千畝の発給した「命のヴィザ」により第三国へ逃れた6000人以上のユダヤ人の子孫は現在、世界各国に25万人以上が生存している。イスラエル・エルサレム郊外に開かれた「チウネ・スギハラ広場」は「命のヴィザ」により救われたユダヤ人の子孫たちの願いにより創られた。「杉原千畝は武士の家に生まれ育ったからこそ、人道に反する行為を見捨てられず、我々を救ったのだ」と話すユダヤ人もいる。日本の先人に、この様な人道的立場を貫いた人物がいた事は日本人として誇りに思うべき事であり、この様な真実こそ歴史教科書に記すべきである。

