琉球王朝末裔、

第二尚氏の第23代当主である尚衛(しょう・まもる)氏は、那覇市で開催された「戦後80年・沖縄県祖国復帰53周年記念祭典」に於いて「沖縄の人々のDNAを紐解くと、先住民族ではなく日本人だ」と発言した。尚氏は国連による「沖縄の人々を先住民族と認めよ」との勧告や「沖縄は中共のもの」との主張に関して「歴史を無視したものであり、毅然と反論すべき」と訴えた。

尚氏は1879年の「琉球処分」により琉球王朝が終焉し、沖縄県が設置された歴史について、当時最後の国王である尚泰(しょう・たい)氏が「激動の国際情勢の中琉球の民の未来を見据え日本への帰属を選んだ歴史的決断であると強調!「滅亡ではなく日本という国家への統合を選択した結果となる」と語った。

更に現代の沖縄について尚氏は「様々な問題は未だあるが琉球の歴史を語る事が出来、琉球舞踊や伝統染め『琉球紅型』(りゅうきゅうびんがた)など文化の一部を継承出来ており、正しい決断だったと思っている」と述べた。

1972年の沖縄本土復帰について「琉球の魂と日本の心が一体となり新たな未来を築く礎となった、琉球の歴史文化を継承する基礎が整った瞬間」と評価した。

また、「日清両属」との表現について「誤解を招く。琉球は清国に属さず朝貢は琉球として対等な外交だった」と述べ歴史的に琉球は清国の属国ではなかったとの認識を強調した。

二千年以上前の前漢時代、

翟方進(てきほうしん)という人物がいた。幼い頃に父親が他界したがコツコツと勉学に励み青年になると母親と共に長安へ移り住んだ。母親は靴を織り、翟方進の学費を捻出し、生活を支えた。

十年の苦学の末に翟氏は儒学や古典、天文学など様々な知識を身につけて宮廷で順調に昇進を重ねた。長安では学者の間で有名になり、多くの門下生を持つに至った。

同時代、胡常(こじょう)という老博士がおり、自分より位の低い翟氏の名声に嫉妬して、翟氏をいつも激しく非難していた。だが、翟氏は胡氏が自分を誹謗中傷している事を知っていたが、胡氏に会うと礼儀正しく謙虚に接した。胡氏が講義をする時には、翟氏は自身の門下生を参加させ、真剣に学ばせた。この様な事が暫く続いた。すると胡氏は翟氏の謙虚さは本物であり、心から自分を敬っていると分かり、それまでの自分の言動を恥て、翟氏に敬意を払う様になった。

翟氏の謙虚な振る舞いは、胡氏の敵意を失くした

故人曰く「他人と争いそうな時は、怒りを抑えて一歩引き下がると良い。それが出来れば、争いは失くなり、道が開ける」

潤滑な人間関係を営む智慧

古代中国には翟方進の様な徳のある人物が存在しており、徳を積む事の大切さが重視されていた。だが、この様な概念はここ100年間で中共が破壊した!今の中国に翟氏の様な徳のある人物が一人もいないとは言わないが、現在の中国人に

期待しない方が賢明である!