大正生まれの父親が他界してから早いもので1年が経ちました。存命ならば今秋99歳になるはずでした。昨年もブログに書いたのですが、憶えている方はほとんどいないと思いますので父親が経験した、日本人シベリア抑留について書きたいと思います。
私の父親は戦時中満州の大連に住んでいて、大連の税関に勤務していました。やがて終戦となり日本へ帰国しようとしていた矢先に夜中に突然ソ連兵がやって来て、頭に銃を突き付けられて5分で支度しろと言われました。
貨物列車に息が出来ない程、ぎゅうぎゅう詰めにされてシベリアへ着く前に半分以上の日本人は他界してしまいました。強制労働が目的で連行していくのですから体が衰弱して労働が困難だと思われた日本人は、靴を脱がされて貨物列車から外へ放り出してしまいました。銃殺すると弾丸がもったいないので靴を脱がして、凍死させたのです。凍死は眠る様にして死んでいくので、本人は苦しまずに死んでいけるそうですが、残された家族がその事を知ったら、いたたまれないと思います。父親はシベリアの森林で伐採をやらされていましたが、一日にパン一切れの食事しか支給されずに、栄養失調で歯がぽろぽろと抜けていきました。生き抜く為に森林の中で蛇や野鼠を見つけると捕獲して食べていました。
日本人シベリア抑留の真実を伝える活動をしている方が、今年の5月北海道から上京されて貴重なお話を拝聴する機会を得られました。北海道にはシベリア抑留の経験者の方が多くいらっしゃるそうですが、辛いシベリア抑留の経験を話たがらない方も多く、ご本人が他界された後で残されたご遺族の方がお父様やおじい様からもっと、日本人シベリア抑留の話を聴いておけばよかったと、後悔されている方も多いそうです。その点私は子供の頃からいつも、父親から日本人シベリア抑留の話を聴いていましたから、こうしてブログにもシベリア抑留の話を書くことが出来ます。日本人シベリア抑留は戦時中ではなく、戦後になってから強制連行されたのです。この事実を、日本政府も積極的に後世に伝えていこうという努力はしていませんし、ソ連にもロシアにも謝罪や弁償を要求していません。 父親の命日には、毎年日本人シベリア抑留の真実を伝える為に、このことをブログに書こうと思っています。
