「令和」の御代に入り、早いものでもう3日目です。

昭和天皇と上皇陛下は、私よりずっと年齢が上だったので、最初から「天皇」として受け入れられました。ですが、新・天皇陛下は私と年齢がとても近いので、子供の頃からの印象が非常に強く、TVで「新・天皇陛下」と、報道される度に「もう、皇太子じゃないんだな、天皇に即位されたのだな」と、一々思っています。まだ私の中で慣れていないので、不思議な感じがするのでしょうが、数か月経てば自然に受け入れられてくるでしょう。

ところで、前・天皇陛下の退官式が、202年ぶりに行われました。2世紀もの間、執り行われていなかった式典を現在にそのまま再現出来るのは、文化的に非常に高く素晴らしいです。202年ぶりということは、前回の退官式は、19世紀の始めに執り行われたということです。

私は、天皇が退位された後の官名は「法皇」と称せられるのかと思ってました。昔「後白河法皇」と呼ばれた方がいましたので、でも今回は「法皇」ではなく「上皇」でした。よく思い出したら、「後鳥羽上皇」と称せられた方もいました。

 

 

店頭には、あちらこちらで「令和」の文字をみかけます。一種の便乗商法なのでしょうが、日本人の意識の中には、皇室や元号の存在が思いのほか大きいのだと新たに認識しました。

 

 

いよいよ、平成最後の日となりました。明日からは「令和」です。

平成元年の今頃は、仕事の合間に学び始めた漢語を必死に勉強していました。

当時はまだ、電子マネーなどは無く、紙の定期券で通勤していました。

その頃、日本列島は自虐史観に飲み込まれていた時代でもありました。しかし、令和へ向かおうとしている今、それもだいぶ薄れてきました。むしろ、これからが本当の意味で戦後の終結の時期だともいえます。

さて、「明治・大正・昭和・平成」と続いて来た「年号」すが、今では日本独自のものとなり、文化遺産といえます。

以前、日本の漢字に、漢音・呉音・唐音など幾つもの読み方があるのは、それぞれの時代に大陸から輸入した読み方を、大陸では既に使われなくなっていても、日本では今でも使用中だと書きました。「年号」もそれと同じで、元々は大陸で、新しい皇帝が即位する度に新たな年号がつけられていた制度を、日本にも輸入したものです。漢字と同じく、何千年の時を経て既に大陸では無くなってしまった文化が日本で生きています。これからも、「年号」を廃止することなく「天長地久」日本の生きた文化として続けて頂きたいです。豊な平成を有難うございました。

 

 

 

 

幕末に来日した欧米人は、現在の横浜市中区山下町一帯に置かれた居留地に居住していた。

何故、この地が居留地として選ばれたかというと、アメリカ総領事ハリスやイギリス総領事オールコックが主張していた神奈川宿に居留地を置いてしまうと、それでは東海道沿いに居留地が置かれることとなる。東海道沿いでは大名行列などが頻繁に通行しており、幕府としては神奈川ではなく横浜に居留地を持って行きたかった。その当時山下町から桜木町一帯は半農半漁の約百戸弱の村であったが、幕府はその横浜村の村民を強制的に現・元町地域に移住させて、居留地建設が進められた。           続く