月~金の夕方5時と6時から

BS12で中国ドラマを放送しています。以前は、よく見ていたのですが最近は仕事の都合であまり見る事が出来ません。

以前の中国ドラマは「三国志」「項羽と劉邦」「臥薪嘗胆」など男性が主役のドラマがほとんどだったのですが、最近の傾向として女性が主役のドラマが増えています。例えば「王女未央」(中国名・錦綉未央)、ミーユエ・王朝を照らす月(中国名・羋月伝)、独孤伽羅などです。この3作品にはそれぞれに実在のモデルがいます。

私が一番気に入っている作品は「王女未央」です。このドラマの時代背景は、五胡十六国時代~南北朝時代の始め頃にかけてです。ヒロインの李未央・馮心児は涼の公主、ヒーローの拓跋濬(たくばつしゅん)は魏の公子として描かれています。この時代は、三国志時代が終わり、晋も滅び統一王朝は無く、五つの民族と漢人が十六の国をつくっていた時代です。統一王朝の無い時代は約三百年(幾つかの王朝が重なっている為諸説あり)続き、やがて隋が大陸を統一します。王女未央の時代は隋よりも約半世紀前の時代です。五胡十六国時代の「五胡」とは、匈奴・鮮卑・羯・氐・羌(きょうど・せんぴ・けつ・てい・きょう)氐と羌は西蔵(チベット)系の民族で現在でも中国の少数民族の中に羌族が存在している。漢人が十六の国をつくっていたと言われているが、実際にはもっと多くの国が在ったらしい。それぞれの国ごとに生活習慣や文化が異なり、言葉も違う。

日本では三国志時代の魏が有名ですが、この「魏」は鮮卑族の王朝で三国志時代の魏とは異なります。戦国時代の魏や三国志時代の魏と区別する為に一般には「北魏」と呼ばれます。王女未央では李未央・馮心児は涼(北涼)の公主として登場しますが、実在のモデルである馮太后(ふうたいこう)は北燕(ほくえん)の公主です。拓跋濬(たくばつしゅん)も実在の人物で北魏の6代皇帝として即位し、文成帝と成ります。

ドラマでは、未央が初めから拓跋濬の皇后となっていますが、最初は側室で拓跋濬が即位後に正室とされ、皇后に成りました。拓跋濬は戦争を好まず国力回復に力を入れ、熱心に仏教を保護します。この拓跋濬の仏教擁護が東大寺の仏像建立に影響を与えたとの説もあります。ドラマでは拓跋濬が叔父の拓跋余に毒薬を飲まされたことで早世することになっていますがそれは嘘です。拓跋余も実在の人物ですが拓跋濬よりも早く他界しています。拓跋濬は善良な皇帝だったのですが、病気の為早世してしまいます。その後、李未央・馮心児のモデルとなった馮太后は政治の実権を握り北魏全盛期の基礎を築きます。また、北魏時代には雲崗石窟や竜門石窟などの仏像群が多く造られています。実はこれらの仏像群は北魏皇帝の顔に似せて造られています。その意義は北魏支配の正当性を証明する為のものです。雲崗石窟・竜門石窟には東洋美術史的な価値だけでなく、当時の政治思想・社会思想的な意義も含まれています。これらの仏像群が北魏皇帝の顔に似せられているということは、仏像群を見学すれば拓跋濬の姿を垣間見れるということなのか?

この当時、倭国(日本)と北魏の間には正式な国交は無かった様です。しかし、奈良の平城京は北魏の都を模したものだと言われています。拓跋濬・文成帝が仏教に熱心でなかったら、日本の仏教伝来も、もっと遅かったのでしょうか?              続く

 

 

 

 

 

本日5月5日は端午の節句。この祝日の元々の由来は春秋・戦国時代、楚の貴族であり詩人であった屈原(くつげん)の死にある。

この時代、始皇帝が大陸を統一する約一世紀前の時代である。その当時、新興国の「秦」は着々と力を蓄えて戦国の覇者と成らんとしていた。始皇帝の五代前の先祖、「恵文王」の時代。それ以前は、中原の「周王朝」に遠慮して「王」を名乗らず「公」を名乗っていたが、恵文王の代から初め、て「王」を名乗った。その頃には既に「周」には中原諸侯を束ねるだけの力は無くなっていた。

当時、南の雄である「楚」の一部の貴族は「秦」から賄賂を受け取り、その見返りとして、楚王に対し「秦」に有利になる様な政策ばかりを薦めていた。そして徐々に「楚」の国力は傾いていった。

屈原は自分の祖国である「楚」の現状を憂いて、5月5日に「汨羅江」(べきらこう)に身を投げて死んでしまった。屈原は領民から慕われており、人々は汨羅江に住む龍に屈原の体が食い荒らされない様に、汨羅江に粽を投げ入れた。そして、毎年5月5日には屈原を忍んで、粽を汨羅江に投げ入れ、やがて端午の節句へと続いていった。

 

 

おばあちゃん猫の「たま」が、薬物投与ではなく食事療法で腎不全が自然治癒した事で、今は亡きあるご夫婦を思い出しました。

そのご夫婦とはハリウッド化粧品の創始者ハリーウシヤマ氏(1899・明治32年10月8日~1991・平成3年)と奥様のメイウシヤマ女史(1911・明治44年1月25日~2007・平成19年12月13日)です。旦那様のハリーウシヤマ氏は1917・大正6年~1924・大正13年まで渡米して、往年のハリウッドスター早川雪舟(1886・明治19年6月10日~1973・昭和48年11月23日)の弟子としてハリウッドで活躍していました。その影響で日本に帰国してからも、欧米の食習慣が身についていて、日常生活では肉中心の食事を続けていました。そしてそんなある日、癌を患い病院で「余命半年」と告げられました。それを聞いたメイウシヤマ女史は、ハリーウシヤマ氏が病院で入院生活を継続し薬物投与での治療を受けることを止めさせました。

そして、ハリーウシヤマ氏を自宅に連れ帰り、徹底的に食生活を見直し、肉中心の食事から完全に野菜中心の食生活へと切り替えさせました。すると病院で「余命半年」と告げられたにもかかわらず、癌が自然治癒したのです。そしてその後もハリーウシヤマ氏はメイウシヤマ女史と共に第一線で活躍し日本の美容界・化粧品業界を牽引し続けました。

まだ「サプリメント」という言葉の無い頃からハリウッド化粧品では既に健康食品を発売していました。また、真の美しさとは「皮膚・身体・心」から汚れを排除しなければつくられない。という一種の哲学の様な「三大排泄美容法」を提唱していました。

メイウシヤマ女史の誕生日である1月25日は日本では「美容記念日」とされています。

久しぶりにこのご夫婦の事を思い出し、改めてお二人の功績を認識しました。         終わり