本日は、「羋月伝」について書きます。日本語の題名は「ミーユエ王朝を照らす月」となっています。「羋」を漢語で「mi」と発音します。日本語では「び」と読みます。つまり、「羋」が姓で「月」が名前です。モデルは、秦の恵文王の側室である「宣太后」(せんたいこう)です。姓は「羋」であると判明していますが、名は不明です。「月」はこのドラマでの仮名です。一般的に「羋八子」と呼ばれています。羋は姓、「八子」は女性の位です。女性の位は上から、皇后、夫人、美人、良人、八子、七子、長使、少使、と言います。「夫人」「美人」と言う呼び名も、本来は女性の位なのです。劉邦と覇を争った項羽の許嫁「虞美人」も姓が「虞」位が美人だったのです。
ここでは、ドラマの仮名である「羋月」と呼ぶことにします。羋月は「八子」ですので決して位の高い側室ではありませんでしたが公子を三人産んでいますので恵文王から寵愛されたのでしょう。羋月と恵文王の時代は中国の戦国時代に当たり、戦国七雄(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓)が覇を争い群雄割拠していた時代です。別の側面から見ると、諸子百家が花開いた時代でもあります。拓跋濬(たくばつしゅん)と李未央・馮心児(ふうしんじ)や独孤伽羅(どっこから)は五胡十六国時代ですから、
羋月はそれよりも約800年~850年程前の時代になります。羋月は元々秦の人間ではなく、楚人(そじん)です。ドラマでは楚の公主という設定でしたが、父親は楚王ではなかった様です。
何故、楚人である羋月が恵文王の側室になったのかといえば、恐らく政略結婚で楚から秦に送り込まれたのではないのか?と、いうのが多くの研究者の見方です。恵文王は第26代の秦王です。恵文王亡き後、羋月の産んだ公子の一人が即位して秦の昭襄王と成ります。この昭襄王は第28代の秦王です。恵文王の父親の秦の「孝公」と「恵文王」そして「昭襄王」の時代に始皇帝が大陸を統一する基礎が築かれたと言っても過言ではありません。そしてその影には羋月の存在が大きな影響を与えています。
ドラマでは「黄歇」(こうけつ)が羋月の幼なじみとして登場します。「黄歇」は実在の人物ですが、実際には羋月よりも一世紀程後の人で、後に「楚の春申君」と呼ばれる人物です。
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昨日の続きです。
鮮卑族の王朝であった北魏ですが、漢人を支配しやすいように自ら漢化政策を行います。ここが問題です!古来より漢人を支配した異民族は、漢人を同化させるのではなく、自らが漢化してしまうのです。これは歴史的に証明されている事実です。一番顕著なのは、ラストエンペラーや西太后で有名な「清」は満州族の王朝です。元々は自分たちの母国語である満州語を話していたのですが、清末には満州語を話せる人はほとんどいなくなってしまいました。現在でも、満州族の人はいますが皆、漢語を話しています。漢人が自分たちこそがこの世を支配するのに相応しい民族だと強い自信を持つ事の一因に、異民族が皆漢化してしまうという事実があります。ですがこの時代、鮮卑族の北魏が漢人を統治したことで、本来北方遊牧民の生活習慣であった「椅子」やズボンの着用が漢人の生活に定着しました。
北魏はやがて「東魏」と「西魏」に分裂していきます。そして「東魏」⇒「北斉」、「西魏」⇒「北周」と成り、北周が残ります。このあたりからが、南北朝時代と呼ばれ始めます。北朝が「北周」で南朝が「陳」です。「隋」を開いた楊堅は北周の人です。この楊堅が即位して隋の文帝と成ります。文帝の皇后と成ったのが、独孤伽羅(どっこから)です。ドラマの独孤伽羅は、まだ楊堅が隋を開く以前の頃を中心に展開してゆきます。独孤伽羅は、中国史上で初めて一夫一婦制を提唱した皇后として有名です。この当時は、日本でもそうですが、個人よりも先ず「家」の存続が重要視されていました。その為、正室に子供が出来ない時のことを考えて、身分の高い男性は複数の側室を持つのが普通でしたが、独孤伽羅はそれを許しませんでした。非常に嫉妬深い女性だったとの記録も残っている様ですが何処まで本当かは分かりません。文献皇后と成った加羅は自分の産んだ太子・楊勇に側室が多いことも許せず、太子を廃位させ庶民に格下げしてしまいます。そして、次男の楊広を太子とします。この楊広が即位して隋の煬帝と成ります。ドラマ独孤伽羅では、楊堅が「隋」を開く手前当たりで終わっています。時代的には拓跋濬・文成帝や馮太后よりも約50年程後の話です。
当時、倭国(日本)は北朝よりも、南朝との国交を重視していたのではないか?と、言う研究者もいます。確かに、日本からは南方の方が行きやすいはずです。 続く


