尖閣諸島周辺には毎日中国海警船舶が現れているが、南シナ海では更に緊張状態が続いている模様だ→中国海警+中国海軍による軍事訓練が行われており、

海警局や海軍ばかりでなく民間の中国漁船団→海軍予備役→

漁民=海上民兵と化している。

一般漁民の中には強制されて従属している者もいるだろうが、それは口に出しては言えない。

軍事訓練だけならまだしも、実害も出ている⇒船舶体当り攻撃⇒

沈没・乗組員拘束!!!

天然資源探査妨害などである。

これらの中国海警による暴挙に対して文莱(ブルネイ)馬来西亜(マレーシア)菲律賓(フィリピン)台湾、越南(ヴェトナム)等は強く抗議しているが、中共政権がこれらの抗議に耳を傾けるはずもなく中国海警は南シナ海でもやりたい放題なのが現状である。だが、日本に対しては船舶体当り攻撃や乗組員拘束まではしてこない。これらから察するに日本に対してはまだ少しは遠慮していると言えるのか?しかし、南シナ海の実情は決して対岸の火事では済まされず、日本人は明日は我が身であると心に深く刻み着けるべきなのだ!             終り

 

 

 

 

 

親の子供に対する罪は、親にもやむにやまれぬ事情が有ったり親自身が深刻な問題を抱えていたりして子供がそれを理解出来たときに親の罪は許される。だが親不孝な人は人間としての倫理そのものに背く罪である。それゆえに決して許されることはない罪なのである。

奈良・平安を通じて言えることであるが、特に奈良時代には現世に於ける救済を民衆が強く求めていた。その理由は、一般民衆においてはこの時代、太古の記憶すら残されている部分もあり、現実が大きく目の前に立ちはだかっていて、果たして本当に有るかどうかも分からぬ来世の事など考えるゆとりなど無かったのではないか。知識人と民衆は生活習慣から思考回路に至るまで著しく隔たりがあり、現世の罪は現世に於いて厳罰が下されなければならず善行に関しても必ずや現世で利益が報いられ、そして来世でも利を得られるとしなければ民衆は納得出来なかったのであろう。続く