幕末には未だ武蔵野の寒村だった。僅か百戸ばかりの横に長い浜がある小さな漁村。それがこの160年間で大都会の国際都市に成長した。

戦後、長期間に渡り横浜の中心部はかなり大きい規模で進駐軍に接収されていた。私が子供の頃には、日本人立ち入り禁止区域が未だあったし、現在も一部ある。しかし、それらをも含め民族・国籍を越えたところに横浜は存在する。

台湾・香港・中国から来た華人・華僑だけでなく、世界各国・日本各地から集まった人が暮らし、今では横浜を故郷としている人が大勢いる。「三日住んだら浜っ子」と昔から言われている。来る者を拒まないのが横浜!!!

 

 

 

先日、横浜市交通局が発足して

100年が経ちました。私がまだ、幼稚園生~小学校低学年の頃には横浜にも市電が走っていました正確には明治37年(1904)~昭和47年(1972)までの68年間だったのですが、小学校高学年の頃には既にバスが主流になっていました。当時は市電以外にもトロリーバスが走っていた様です私の親は生前、私もトロリーバスを見た事があると言っていましたそう言われると見た様な気もするのですが、私自身ははっきりとは憶えていません。

現在でも横浜市磯子区滝頭(いそご区たきがしら)に在る「横浜市電保存館」には当時の市電が残されています。100年間有難うございます。