1949年(昭和24)10月1日

中華人民共和国建国後、中共政権は、東南亜細亜諸国へ共産主義思想を輸出⇒印度尼西亜(インドネシア)で共産主義勢力が拡大⇒毛沢東の武装闘争、人民戦争理論の毛沢東思想の影響を受け1963年、印度尼西亜の共産主義勢力が蘇聯(ソ連)から中共寄りの毛沢東思想が鮮明になる

⇒毛沢東は国共合作と国共内戦の経験を伝授し、印度尼西亜の共産主義勢力を支持⇒東南亜細亜最大の共産主義勢力に成長⇒印度尼西亜共産党が政権奪略を計画⇒印度尼西亜陸軍と印度尼西亜共産党が対立⇒1965年「赤狩り」共産主義者大虐殺⇒

多くの華人・華僑が巻き込まれる「赤狩り」には青年団、イスラム団体及び黒社会の人間も加わったとされている⇒「赤狩り」以後長期に渡り中国語禁止.。     続く

 

 

平安仏教と後世の鎌倉仏教との違いは、極楽へはあくまでも善人のみが往生出来る点である。今世における日常生活・宗教生活の善行・悪行の報いは、来世における極楽往生の不可により裁かれるとする点も奈良仏教、鎌倉仏教とは異なる平安仏教の救いの特色である。公家に対する要求が大きいのは、民衆との経済格差を多少なりとも軽減する目的があると見る事も可能である。同時に平安貴族と仏教界との政治的社会的なつながりを見逃してはならない。民衆に対し、正直・慈悲・柔和を教化し極楽往生及び善人の救いを広めることによって、政治・社会が安定してゆく意味をも含んでいた。

また、奈良仏教が善人正機・悪人切り捨てなのに対し、平安仏教では善人正機・悪人も例外的に救われるとしている点も平安仏教の特色である。        終わり