落語 | ペコリーナのブログ

 先日、落語を観に行ってきました。


 桂ざこばさん、南光さん、米團治さんの、桂米朝一門の三人会です。


 落語は文化的にも言語的にもお笑い的にも興味がありましたが、実際の寄席に行くのは二回目で、知識は殆どありませんでした。


 とはいえ、先述の方々は当然知っている落語家の重鎮たち。

 前もって何かしら予習をしておこうと思うくらい楽しみにしていた寄席でしたが、結局なにをどこから学ぶのが予習なのかも分からぬまま当日を迎えました。


 緞帳が上がりステージに設置された屏風と高座が見えると、そこから客席に流れ込んでくるライブ感に気持ちがアガります。

 前座にお二人の若手? のお噺。

 続いて南光さん、中入と称される休憩から、ざこばさん、トリに米團治さんの演技でした。


 それぞれの古典落語は初めて見聞きするものでしたが、いやぁ、めちゃくちゃ圧倒されました。


 ご存知でしょうが、落語は基本、座ってお噺をされます。手拭いと扇子だけを小道具に、ひとりで何役もこなします。

 それを実際、目の当たりにしたときの臨場感たらないですよ。


 座っているのに立って歩いている。

 閉じた扇子と両手だけで、うどんの入った丼と箸が見える。

 空調の効いた室内なのに、吐く息が白く感じられるほど寒く感じる。

 何もないのに酒と肴が見え、ないはずの紅生姜に唾液が出る。

 ひとりなのに、二人にも三人にも見える。


 いったい何なんだこれは。

 と、どんな所作も語りも見逃すまい、聞き逃すまいと神経を集中させているところに入ってくる軽快なやり取りや滑稽な仕草に、思わず声をたてて笑い、手を叩いてしまいます。

 語られる物語に入り込み、聞き入り、笑ったところですんなりと落ちがつき、より一層の笑いと拍手のなか、落語家というたったひとりの演者は頭を下げて颯爽と舞台から下がっていきます。


 すげ~!

 かっこええ~ッ!


 純粋な笑いとともに、その技術の高さに感動と憧憬を覚えて鳥肌すら立ちました。


 んで、まくら といわれる本題に入るまえの世間話みたいなやつもまた面白くて。

 トリの米團治さんは、ご自身が米團治を襲名するまでのあらましを まくら だけで起承転結のある小噺として、ど素人のわたしにも理解できる流れで涙が出るくらい面白く語ってくれました。


 あと、ざこばさんは数年前に大病を患ったせいで動きが鈍く言葉もうまく出てこないといった内容を、ぎこちないながらも面白おかしく語ったと思ったら。

 本題の噺になった途端にすらすらと演じます。とはいえやはり、噺のリズムや台詞などで、思うようにいかない部分があるのは感じました。

 でも、語り、声の張り、仕草などは、読み書きや箸の上げ下げくらい「当たり前」 に身に付いた所作で、病気なんかで失うような技術ではないのだろうな、と思いました。


 非常に濃厚な時間を過ごしたことで興奮したわたしと友人は、焼き鳥をびっくりするくらいたくさん食べて帰りました。


 良い体験をしたら、それを存分に語り合いたくて限界を超えて食べてしまう。

 これがわたしの「当たり前」 なもので……。

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 なんの落ちもなってませんな。


 落語、オススメです!!!