映画「カラオケ行こ!」 を観てきました。コミックが原作のコメディ映画です。
コミックは読んでいませんでしたが、主演の綾野剛さんのファンなので昨年から楽しみにしていた映画です。
変声期を迎えてソプラノパートに苦戦している合唱部部長の男子中学生に、ヤクザ組長主宰のカラオケ大会で最下位になりたくない若頭が歌の指導を頼むという、なんじゃそりゃーなお話。
でもそんな、なんじゃそりゃーな世界にすんなり入り込めるくらい作り込まれた内容で、現実では交わることのないヤクザと中学生が、歌を通して友情とも愛情とも違う奇妙で脆い関係、かつエモーショナルな世界が描かれていました。
若頭役の綾野剛さんはこれまでたくさんの出演作品でその演技力を高く評価されていますが、今回も「コメディ劇においてのヤクザ」 を見事に実在させていて、本当にすごい俳優さんだなあ! と、ますますファンになりました。
役柄によって話し方や声色が違うので、これまでのどの役とも違っていて、なんなら本当の綾野剛さんは普段どんな喋り方をしているのかな? と思うほど。
これまで彼の作品(主に映画) を割としっかり観ているので、あの役ではこうで、あの映画ではこうだったとペラペラと(しかも早口で) 話せる自信はありますが、聞かされる側がポカーンとなるであろう自信もあるのでやめておきます。
とにかく、与えられた役に徹する努力を惜しまない方なのだろうなと認識しました。
もうひとりの主演、男子中学生を演じた齊藤潤さんをわたしは存じ上げなかったのですが。
そらあもう、微妙な表情や冷静なツッコミ? 、変声期において曖昧で不安な感情や、綾野さん演じる若頭に少しずつ気を許していく様が伝わる演技の機微にそこはかとなく圧倒されました。
印象的なシーンやセリフがたくさんあったので原作はどうなんだろ? と思い、和山やま氏の同名の原作コミックを購入して読みましたところ、その殆どのシーン、セリフが原作で描かれているものでした。
映画オリジナルの設定やキャラクターも判明しましたが、
二時間弱という限られた時間枠、しかもコミックよりリアリティを感じさせるであろう実写映像で、原作から醸し出されるアンニュイかつエモーショナルな魅力を伝えるために必要な設定の再構築であることが理解でき、その緻密な演出にもため息が出るほど感動しました。
作り込まれた美術セット、もはや主演級のバイプレイヤーたち、コミカルな音楽、演出、その全てが、すでに凝縮されて一冊のコミックとして深く表現されている世界をさらに濃縮抽出した結果、観る者(わたし) を全方位から没入させるに余りあるフィクションを完成させていました。
ん……? わたし、なに言ってんだ……。
と、慣れないブンガク的表現で「れびゅー」 したくなるほど面白かったので、興味を持ってくれた友人を誘ってもう一度観に行ったのが先日のこと。
作中で、齊藤潤さん演じる男子中学生がカラオケボックスでチャーハンを食べるシーンがあり、ひとりで観たとき、わたしはそれに触発されてバーミヤンでチャーハンを食べたのです。
(ちなみに、昨年「首」の観賞後にもチャーハンを食べにバーミヤンに行きましたが、それは作品とは関係なく、もともと食べたかっただけ)
んで、友人と観たのはバーミヤンが近くにない映画館だったのですが、観賞後の友人も「チャーハンが食べたくなった!」 と言うので、劇場近くのラーメン屋さんでチャーハンを食べました。
だからきっと、他にも「カラオケ行こ!」 を観てチャーハンを食べたくなったひとはいるはず! わたし、間違ってない!
と無意味な自信を得ました。
で、それから2日ほど経った日、友人から
「今日もチャーハンの口のままなので、唐揚げとスープ付きのチャーハン定食をランチに食べました」
とメールが。
それはさすがに、「いや、なんでや」 と思いましたが、そのやんちゃなメニュー、めちゃくちゃ美味しそうやん! とも思いました。
そして。
一回目と二回目の観賞の間に、とてもとても悲しいことがありました。
昨年放送されたドラマの原作コミックを手掛けた漫画家のかたが、自ら命を断たれました。
以前から原作コミックを楽しく読んでいたわたしは、ドラマ化のニュースに喜びました。
発表されたキャスティングも素晴らしいと思いました。
で、放送まえに発売された、「ドラマ化決定!」 の帯が巻かれた新刊を読み、その展開に夢中になり、その世界観に浸りたいのと、
仕事のシフト上リアルタイムで視聴できないことを言い訳に、実際のドラマを観ることはありませんでした。
だから、ドラマ化にあたって、原作者のかたが大変辛い状況下にいたことは、ご本人が経緯を綴った文章で知りました。
これほどまでにしんどい思いをした実写化だったのか……と思いつつ、「それならなおのこと、原作のあの世界観だけを知っているわたしは、全力でこれからの原作コミックを応援するぞ!」 と思いました。
「これからは、ご自身が築いたコミックの世界だけに注力できるし、わたしを含めた原作ファンもまた、これからの展開を待ち望む気持ちが強まったはず! 七巻からの続き、楽しみに待ってますよ……ッ!」
とも思っていました。
でも、現実はそんな単純なものではなかったわけで。
大好きな作品の続き、描かれるはずだったラストは、もう読めません。
事態はあらゆる論争を生み、
テレビ局vs.原作
脚本家vs.原作
出版社vs.原作
テレビ局vs.出版社
などなど、過去の事例も巻き込んでいまなお延焼を含め燃え上がっています。
今回の事態について、一般的には上記の対立を色濃くさせていますが、そもそも、原作者のかたがドラマ化にあたっての苦悩をなぜこのタイミングで吐露したのかが原作ファンにとっては重要であり、それも踏まえて最悪の結末を回避できた場面は、遡ればいくつもあったと思うのです。
こんな辛い状況で、奇しくも同じくコミック原作の前述の作品は、実写化にあたって全方位から原作へのリスペクト、それに伴う努力と協調が評価されてるという事態について、正直わたしはうまく消化できていません。
これまでも、原作を生かして素晴らしい映像化になったー! と単純に喜んでいた作品もあれば、あまりの改変にドラマ予告の映像すら観ないようにしていたものもあった一方で、
原作を知らずに改変されたそれを絶賛している作品もわたしはあります。
それについて、原作者は本当はイヤだったのに言えなかったのかもしれない。
そもそも世間の絶賛とは乖離された次元で、原作者にはなんの還元もなかったのかもしれない。
そう考えると、これから好きなコミックや小説が「映像化!」 と宣伝されるたびに「やったー」 と喜んだり「えぇ……大丈夫か……?」 というシンプルな感情だけで済まないのではあろうかという不安に苛まれます。
イチ読者、イチ視聴者のわたしが動揺しているさなか、世間は件の事件そのものから離れてそれぞれの立場から他者との罵り合いになっていることにも恐怖を覚えました。
このまま安易な二極の対立ではなく、亡くなった漫画家さんの今回の現状においての問題点の解明を明確にしてから、再発防止を根底から正していくのが重要だと思います。
わたしにとって、漫画家も小説家も、脚本家も監督も、製作に携わる人々も、素晴らしい才能を持つ憧れの職業であります。
でもその肩書きだけでのおおざっぱな戦いはなんの意味もなく、今回の事態から防げたであろうポイントポイントをきちんと精査してこれからのエンタメに活かしてくれないと、先の作品の原作者の方の命、原作コミックのファンの気持ちはうやむやに漂うだけだ。
たくさんのクリエイター、作品のファンたちが怒りや哀しみや悔しさを放出させなければならなくなった、このひとつの事案についての問題究明を、該当するテレビ局と出版社がきちんとしてほしい。
と、小説、コミック、ドラマ、映画をこれからも楽しみながら人生の糧にしたいわたしは切に願っています。
辛すぎて、うまく文章にできないや。