昨今は米中の経済戦争など、“戦争”の表現をしたくなる空気です。一方、小生にとって8月は特別な月、つまり鎮魂の月なのです。広島、長崎に原子爆弾が投下され、第2次大戦が終結したのが8月15日です。日本が無謀な戦争に突入し、310万人が亡くなったといわれます。「これほどの人たちの犠牲の上に現在の平和がある」とよく聞く言葉です。そして「戦争だけはしてはいけない」と新聞などの投書欄に家族が犠牲になったことを踏まえ、この言葉で結ぶのが常のようです。
馬鹿にされるかも知れませんが、我が国には立派な“平和憲法”があります。9条には戦争はしない、軍備は持たないとうたっています。我が国は小競り合いを想定した警察予備隊を設置したのを機に、いつの間にか保安隊、そして軍隊ともいうべく自衛隊となり、特定秘密保護法、「共謀罪」法、とくに安保法制の成立は強引な憲法解釈により、それまでの一線を越え、日本を離れて武器の行使が可能になりました。あとはどんな理由をつけてでも交戦できる自衛隊は、格上げされた防衛省の存在とともに日本国民の間に認知されたようです。政権はさらに自衛隊を憲法9条に明記しようとしています。前項と明らかに矛盾していると思うのですが。ただ、ここまで来ているのに憲法改正までやる必要があるのでしょうか。
国際情勢は日本も自衛のための装備を充実しなければということで、着々と最新装備を備えつつあります。とくに日米同盟は米国に守られているとはいえ、海上装備のイージス艦を皮切りに陸上配備型のイージス・アショア、さらに最新のステルス戦闘機F35Aを141機(115億ドル約1兆数千億円)の導入を決めるなど、米国から着々と高価な武器を押し付けられつつあるというのが現状です。こうした状況に周辺諸国は懸念を表明し、とくに配備に反対するロシアは北方領土交渉と絡め、複雑化させ硬直状態に陥っています。
話は前に戻りますが、戦争を否定しつつじわじわと、いつの間にか戦争のできる国に仕上がっています。さかのぼると警察予備隊をスタートに我が国の装備は着々とここまで来てしまったのです。昔、社会党の委員長だった石橋政嗣さんが、持論の非武装中立論を主張する中で「戦争の出来る国にしてはいけない、いまブレーキを掛けないといけない」という趣旨の意見を述べていたのを思い出します。一方、これとは逆の話しですがTV討論で「米国について行くのが日本の正しい道だ」と元外交官が主張していました。
石橋さんは米国一辺倒ではなく、外交努力で実現できると言い、その重要性を主張していました。いずれも小生の消滅しそうになる記憶を呼び戻しながら記した次第ですが、現在のトランプ政権になって、未だに米国について行くのが正しい道とばかり、究極の「抱き着き」外交でも怪しくなっています。しかも不公平を理由に各貿易分野はもとより、日米同盟の全般の再考の中で、沖縄の在留米軍の負担を現在の5倍の要求をほのめかしています。話は少し広がったようですが、ちなみに、戦前のドイツは立派なワイマール憲法を持ちながら、いつの間にか「ナチス憲法」なってしまいました。プロパカンダからポピュリズムの巧みさは、日本の現状に似ているような気がします。
戦争や敗戦直前の本土空襲の恐ろしさを知る年齢も少なくなり、8月15日を知る人たちも少なくなっています。ましてやB29の空襲や焼夷弾による大火災、学童集団疎開、米戦闘機からの狙い撃ち、敗戦と同時に「鬼畜米英」から「親米」に一変した大人たちや先生たちの空々しさ、等々敗戦前後の混乱を経験した小生は81歳になっても記憶から離れません。政治の世界も戦後生まれが大半となっています。北方4島を巡り戦争を肯定するような若い政治家が最近問題になりました。いまこそ米国一辺倒をあらため、外交努力で戦争だけは避け、世界平和に貢献できる日本になるようすべての政治家にお願いしたいと思います。