情報の8割は視覚から? | でこぼこな私をおもしろがってみる

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子供のときにSJSという難病にかかり、後遺症で視覚障害があります。
どんな自分もまるっと受け止めながら、おもしろがりながら笑って生きたい。そう願いながら綴っています 。

こんにちは。



まりこです。



「情報の8割は


視覚から受け取っている」



こんな言葉を


一度は聴いたことがあると思います。



ある視覚障害を持つ方が


興味深いことを言っていたので


それを書いてみますウインク



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



「情報の8割は


視覚から受け取っている」



この言葉だけを聴くと


視覚障害者は


2割の情報しか受け取っていない。



そう解釈されてしまうかもしれません。



晴眼者(見えている人)が


目をつぶったとします。



なにも見えなくなりますよね。



なにもできなくなりますよね。



「視覚障害者って


こんな感じなのか」


そう感じると思います。



だけどそれは


晴眼者の視点であって


「晴眼者が目をつぶった状態が


視覚障害者の世界ではないよ!」


その方はそう言うのです。



なぜなら


視覚障害者は


視覚からの情報が受け取れないぶん


聴覚や触覚


嗅覚や味覚といった感覚が


晴眼者よりするどいからと。



人間の力というのはすごいもので


視覚からの情報が得られないと


それ以外の感覚たちが


まるで覚醒したかのように


研ぎ澄まされていくんですね。



視覚障害者は


それらの感覚をフル活用して


自力で通勤しているし


画面を読み上げるソフトやアプリを使って


パソコンやスマホを操作しているし


一人暮らしもしているし


掃除や料理もしているし


育児もしているし


一家の大黒柱もしている。



晴眼者と同じように


生活しているのです。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



私も視覚障害者です。



でも


いま書いたのは


私ではなく


周りの友人や知人や同僚のこと。



少し視力がある


いわゆる弱視の私は


視力に頼っているところもあります。



目の負担を考えれば


なるべく頼らないほうがいいのだけど。汗



あと


高校生のときに耳の手術をして


片耳が聴こえにくいので


そこまで聴力も高くないです。



とはいえ


おそらく


晴眼者の3分の1も見えていない


重度の弱視なので


視覚以外の感覚は


私にとっても大きな恩恵です。



周りの友人らを見ていると


記憶力の良さや


相手の顔が見えないぶん


声の表情で真意や空気をよむ力も


高い人が多い印象です。



見えていない=なにもわかっていない


ということは決してなく


むしろ多くのことを把握して


感じ取っている。



みんなほんとにすごいんですよ。



尊敬しかありません。



視力がある私より


全盲の友人らのほうが


できることは遥かに多いし


自立している。



私のほうが


みんなから学ばせてもらっているし


助けてもらっている。



見えることに甘んじているなと


痛感させられることも…。



だけど


職場の全盲の先輩から


こんなことを言ってもらったんです。



「見えるという立場と


見えないという立場


両方の視点を持ってる○○さんの意見は


勉強になるし貴重だよ」



私のほうこそ


そんな視点を持ってもらって


ありがたいことだなと


自信を持つことができました。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



視覚障害があっても


自力でいろいろなことができるから


困ることはなにもない。



なんてことは


もちろんありません。



視覚障害があることで


大変なことや辛いことは普通にあるし


いろいろなことができるようになるまでに


何度も訓練を重ねたり


自分なりの勉強や工夫は欠かせない。



そしてなにより


周りの人たちの支えがあることで


私たちの生活は成り立っています。



家族や友人


ご近所さんやヘルパーさん


店員さんや駅員さん。



道や電車内などで


声をかけてくださる方の存在も


ほんとうにありがたくて嬉しくて


涙が出ることもあります。



最近は


視覚障害者を支援する


便利なスマホアプリやグッズが


どんどん開発されていることで


視覚障害者の自立が


進んでいるという側面もあります。



そして


法律の改正や


啓発活動をしてくださる方々のおかげで


少しずつだけど


社会のなかで


理解が広がってきているなとも感じます。



見えない・見えにくい世界のことが


少しでも広がれば嬉しいな。



日々そう思っていますおねがい



おわり