日常的だったり、表層的な

 

良し悪しの枠組みでは、

 

捉えられない「スタート」があるように思うこの頃―

 

 

2020年は、

 

世界中の人々にとって、

 

まぎれもなくターニングポイントになった。

 

 

ワクチンの使用が開始されたとはいえ、

 

ここ数年は予断を許さないだろう。

 

 

それでも、

 

こんな状態がずっと続くわけでもない。

 

 

社会システムや、

 

政治の大切さを、前政権の頃から、

 

肌で感じるようになったが、

 

それを含め、誰かが何とかしてくれるといった、

 

期待と失望に翻弄されるのは、

 

ごめんだ、と思う。

 

 

この事態に、

 

一個人として日々どう向き合っていくか、

 

自分にできることは何か―

 

 

コロナ以前に比べ、

 

様々な選択の際に、

 

自動回路で反応するのではなく、

 

自分の意識に注意するようになってきた気がする。

 

 

ひとつ門を過ぎて

 

小さな私は、新たな「スタート」地点にある。

 

 

またね新月満月

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、新聞の休刊日なので、

 

なにか物足らないスタートだったが、

 

各部屋の窓を全開し、

 

丁寧に掃除をした。

 

 

午後からは、テレビを聴きながら、

 

中くらいの針仕事。

 

 

総理大臣が、

 

コロナの医療現場を視察している、と報じている。

 

支持率低下を受け、このまま無策で、

 

年末年始を迎える訳にもいかず、

 

GO TO手直し理由の必要にも迫られ、

 

重い腰を上げたというところか・・・

 

 

毎年、清水寺で行われる

 

今年一年の世相を、漢字一字で表す

 

恒例の行事では、『密』が書された。

 

 

針仕事を終え、仕上げにアイロンをかけて、

 

洗濯物を取り込み、台所に立つ。

 

 

コロナ禍にあっても、

 

恙なく今日一日を過ごすことが

 

できたことを想いながら、料理する。

 

 

10日後は、クリスマスイブ。

 

今年のカードは、すでに求めて

 

私室のドレッサーの右脇に飾ってある。

 

清浄になった部屋で、これから、

 

言葉を請う日々になる。

 

 

元々、三密とは、仏教用語で

 

主として密教でいうところの、

 

身密・口(語)密・意密の総称。

 

衆生の身体と言葉と心によって、

 

身口意を調え、

 

行われる三つの行為も、

 

その隠された本性においては、

 

仏の三密と同等であるとされる。

 

 

自己の隠された本性を、

 

いかにディスカバリーするか・・・

 

人の器に宿り、

 

与えられた時間と創造の権能を用いて

 

模索する―生きること/生かされていることの意味を探る。

 

このような、深淵なる旅路に誘われていることと

 

知った、今在ることの悦び―

 

 

苦しくても、幸せ―

 

そんな心境に近づきつつあるのかもしれない。

 

 

 

またね新月満月

 

 

 

日曜夜のお楽しみが終わって、

 

今22時からの、

 

NHK BS1

 

「祈りの首里城 デジタルでよみがえる姿」を見ている。

 

首里城は巨大な漆器だという。

 

 

話は逸れるが、

 

漆は、『生きている森のしずく』と言われる。

 

漆の木は中国やインドを原産とする、

 

ウルシ科の落葉樹。

 

縄文時代前期に日本に渡来した。

 

樹液が塗料や接着剤として用いられ、

 

人里近くに植林された。

 

樹液の採取は、木にとっては過酷で、

 

漆の一滴は、血の一滴と言われる。

 

ゆえに私は、漆器を日々の営みに使い、

 

大切に扱う。

 

 

番組は後半に入り、なかなか興味深い。

 

 

明日から、ぐっと冷え込むとのこと。

 

時下、くれぐれもご自愛くださいませ。

 

 

またね新月満月