今日は掃除をして、

 

リサイクルごみ出しをした。

 

 

冷蔵庫と天井の空きスペースに、

 

二つの大きな竹籠を置いて、

 

左には、

 

洗った発泡スチロール容器、透明プラ容器・牛乳パック。

 

右には、空き瓶・空き缶・小さな金属片を入れている。

 

週末になったら、

 

右の方は、スーパーのリサイクルコーナーに出し、

 

空き瓶・空き缶・段ボールは、

 

溜まったらマンションのごみ集積場に

 

持っていく。

 

中でもサイズが様々で、多数の段ボールは、

 

しっかりと、コンパクトに取りまとめるのにコツがいる。

 

 

以前私は、

 

段ボールの空きが出ると、こまめに

 

集積場に持ち込んでいた。

 

一つだから、

 

ひもで縛る必要はない、と思っていた。

 

 

そんな折のこと―

 

 

ここ4,5年くらい前から、

 

マンションのクリーンスタッフの高齢化を

 

感じ始めていた。

 

 

ゴミを集める大きなワイヤー製のカートには、

 

まず、4ℓ大の生活ごみ袋を次々に入れていき、

 

空きスペースに、空き缶瓶を入れた袋を入れ、

 

最後に段ボールの山を乗せて、

 

一人体制で中央の集積場に運ばれている。

 

 

そしてこの際、段ボールが紐で縛ってないと、

 

ばらばらと落下し、その度に、

 

拾い集めなくてはならない。

 

 

 

段ボールが紐でまとめてあったら、

 

どんなに運び易く、負担が少なくて済んだろう・・・

 

 

ああ・・・そうだったのか・・・

 

 

クリーンスタッフの立場に立って観たとき、

 

自分の配慮のなさがよくわかった。

 

 

以来、段ボールは、一定量ためて、

 

麻紐で縛る―コツは、その時々、

 

どうしたら、スッタフが運びやすくなるかを

 

考えたり、工夫すること。

 

 

たぶんこんな風に、

 

気が付かないで通り過ぎていることが、

 

まだまだ沢山あるのだろうな、と思う。

 

 

思いやりは、身近なことに気づくことから

 

始まるのかもしれない。

 

 

またね新月満月

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナ感染症の最初の報道は、

 

2019年12月31日の正午過ぎ―

 

WHOの発信は、翌1月8日

 

中国における死者は1月20日

 

日本での感染初確認は、1月16日だった。

 

あれから、1年―

 

 

ペンローズの無限階段の動画を

 

見る機会と 『ノモンハンの夏』を書いた、

 

半藤一利氏の訃報が重なった。

 

氏は、

 

歴史を、現代に常に結びつけて考える人、であったという。

 

 

無敗を誇った日本陸軍がソ連軍と戦って、

 

完膚なきまでに敗北した1939年。

 

無計画。

 

自己過信。

 

優柔不断。

 

鈍感。

 

血と地と知に

 

呑み込まれざるを得ない人間。

 

それらは反省されることなく

 

太平洋戦争に引き継がれた。

 

 

そして、

 

コロナとの戦いだといわれる昨今。

 

 

権力が一点に集中して

 

自浄作用を事欠いたこの国は、

 

言葉無きリーダーたちの許、

 

まさか・・・まさか・・・といううちに

 

『茹でガエルの実験』のカエルのように、

 

わたしたちは、ここに到っている。

 

 

 

そんな私たちにできることは、

 

他者への思いやりの心を育むこと。

 

そして、

 

リーダーや世論を牛耳り、

 

コントロールする人たちの言動を観察するとともに、

 

自分という『個』の、

 

生き筋を俯瞰することに限られる、と思う。

 

 

その上で、

 

古い考えに止まり続ける人/

 

時代の要請に応えて自分を新たにしていく人

 

それぞれの立ち位置の自分を

 

イメージしてみることかもしれない。

 

 

ペンローズの無限階段の動画を

 

観ていたら、人間の業の象りのように

 

感じられて、泣けて泣けて仕方がなかった。

 

 

 

後者は、『未知』だから、

 

そこにダイブできる人は限られてしまう。

 

 

ちょうど二年前、職場で、

 

この実験を試みる決意をして、

 

実行に移した経験から、

 

自己の無限階段と

 

社会的なエスカレーターから降りる

 

大変さは、よくわかる。

 

 

だけど、

 

その体験を経たから、今の私になれた。

 

 

どちらにしても、苦しいのなら、

 

新しい自分を生み出す

 

陣痛にした方がいいや・・・と

 

私が思えたのは幸いだった。

 

 

またね新月満月

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

19時からの、

 

菅義偉氏と尾身氏の会見を

 

耳鳴りのする左耳で、

 

小耳に挟みながら、

 

PCに向かっている。

 

 

さて、アスワン―

 

3.11後、再開した2011.4.22から、

 

2011.10.28を、数日間かけて、

 

通しでご覧下さいませ。

 

 

また、アスワンの、

 

2011.10.27の言葉も合わせて

 

頂きたいと存じます。

 

 

またね新月満月