私たちの身体には、
様々な「門」や「出入り口」があって、
外界となにかしらやり取りをしていて、
ここが塞がってしまうと命の危険にさらされる。
私たちの人生について考えてみても、
そもそも赤子としての始まり―「授乳からオムツ交換」にみるように、
外界、他者に開かれなければならないようにできている。
でも、無防備に開きっぱなしでは
容易に傷つけられ、大切なものを奪われてしまう。
こうした人生の玄関に対する、
リスクという考え方は、
人によって強弱の振れ幅は様々なのだろう。
例えば、
子ども時代に性的な問題で
傷を負った人が、その後長く、
「ゲートを閉ざした状態」になるのが、
想像に難くないように、
外界に向かってデリケートな部分を「ひらいた」とき、
わたしたちは、傷を負うリスクを引き受けることになる。
私たちは、ゲートの開け閉めだけは、
ある程度自分でできるが、
門をたたいてくる『訪問者』を
管理することはできない。
「何が来るか」ということ自体は
アウト・オブ・コントロールで、
唯一出来ることは、
「ゲートを開くか、開かないか」の判断だけ。
人生の「ゲート」を開くとき、
人は一様にリスクを背負う。
同時に、開かない時も、
孤独に生きるリスクを負う。
つまり、リスクはどちらにも存在する。
2007.11.30 No.1~7
あのとき、
私の門はノックされ、
それを、私は受け入れて今日を迎えている。
振り返れば、あの頃、
私が個人的な苦しみと受け止めていた事々は、
今では、
多くの人がその胸に抱え込んでいる、
つまるところ、
社会が抱えている苦悩だということがわかってきた。
「私の苦しみ」が「みんなの苦しみ」として
受けとめられるようになったとき、
「人薬として生きて行く自分」を
夢見る自己を発見する。
これがあのときの『訪問者』が運んでくれた、
ギフトなのだと、革めて知る。
そのおかげで、深い喜びを学んだ。
だから私は、
今も誰かの心をノックするのだと想う。
またね![]()
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傷みはひきましたか?
傷みがなくなっても、
しばらくはご用心、ご用心。
僅かでも痛みを感じたら、
3日を目安に安静のほどを・・・