世の中には、自らを「良心派」と名乗り、自らの信念を押し付けるために「皆さん良心の呵責を感じませんか、かわいそうでないのですか」と語る人たちがいます。
 特に偽善系クリスチャンやいわゆる「市民団体」と呼ばれる人達に特にその傾向が顕著です。
 
 ところで、清く正しいく良心に富んでいると思われるクリスチャンはいままで本当に「良心的」だったでしょうか?

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16世紀~19世紀初頭までの大西洋奴隷貿易の期間中にどれくらいの数のアフリカ人が奴隷として船で連行されたのかについては、奴隷貿易船の航海日誌や貿易会社の書類といった残された資料などから推計するしかない。いろいろな試算があるが、多くの推計が少なくとも1000万人から2000万人程度と見積もっており、多い推計では、18世紀末までに約5000万人、少なく見積もられた推計でも、1000万人近くの10歳代から30歳代前半までのアフリカ人がアメリカに連行されたということになる。新大陸に売られていったアフリカ人奴隷の数は、デュ・ボイスの『アフリカ百科事典』によれば、16世紀90万人、17世紀275万人、18世紀700万人、19世紀400万人と概算されている。しかし、これは新大陸にたどり着いた奴隷の数であり、アフリカからの海上輸送の途中で死亡した数はその数倍にのぼるといわれる。航海は3ヶ月近くかかり、フランスの奴隷貿易港ナントにある奴隷貿易会社の18世紀の記録では航海中の奴隷の死亡率は8~32%と推定されている。しかし、船中で疫病が発生した例では、アフリカで積み込んだ189人の奴隷のうち、アメリカで荷揚げされた奴隷がわずか29人という記録もある。
 川田順造の著『曠野から』によれば、奴隷貯蔵庫なるものがアフリカ西海岸の各所に存在した。それはさながら家畜を輸出するために港に造られた一時保管場所であり、最も悲惨な煉獄である。奴隷は初めから人権を剥奪されており、家畜なみに烙印をおして売買しても、なんら良心の呵責を覚える必要はなかった。輸送の途中に奴隷が死んだら、また別な奴隷を調達すればすむのである。
 これほど膨大な数の奴隷を商った奴隷商人たちは、誰一人として良心の呵責を覚えなかったのだろうか。

--奴隷商人はみな、良心をもっていた。18世紀のなかばまでは、奴隷制度を国際的な大貿易にとって不可欠なものとして認める人が多かった。奴隷商人は、以下のように考えて奴隷制度を正当化した。奴隷制度はアフリカですでに存在し、奴隷は、黒人自身やアラブ商人によって売られている。それならば、ヨーロッパ人に買われるほうが得である。ヨーロッパ人のおかげで、文明に接する機会が与えられ、アフリカ内部で頻発している戦争にもはや巻き込まれなくてすむ。とくに、キリスト教に改宗することができるし、そのなかでもっとも賢い者は、自ら解放されるであろう!
  ジャン・メイエール 『奴隷と奴隷商人』

 当時のヨーロッパ社会に、奴隷貿易を人類の罪と見なす神は存在しなかった。啓蒙主義者モンテスキューは、『法の精神』で、「黒人が人間だと考えることは不可能である。彼らを人間であると考えれば、我々がキリスト教徒でないことを認めざるをえなくなる。」としている。

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「良心」を持っていたそうです。キリスト教徒にとって非常に都合の良い「良心」なら。
日本の例を上げよう。

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鬼塚英昭著(自費出版)「天皇のロザリオ」(平成十六年十月、四百十五頁)
 このすばらしい名著には熟考すべき多くの問題が内包されて居るが、ここでは、一つの問題に焦点を絞って提出する。それは、日本のキリシタン大名が、キリスト教(カトリック)の宣教師、そして、ポルトガルの奴隷商人に、火薬一樽につき五十人の日本の美しい娘を奴隷として、ヨーロッパなどに売り飛ばした、と言う一件である(二百四十五頁~二百六十頁)。
 この件は、日本側に、日本の娘たちを捕らえて、キリスト教の奴隷商人に売り渡す勢力が存在しなければ、全く成り立たない。実際、十六世紀以降、キリスト教ヨーロッパの征服者たちは、サハラ以南の黒人、アフリカ地帯から、合計数千万人の黒人奴隷を中南米、北米大陸に連行した。しかし、この件は、黒人側に、奴隷売買の権力者が存在しなければ、成り立たない。
 我々は歴史書によって、当時、アフリカ黒人部族の首長たちが、ヨーロッパキリスト教奴隷商人から資財を受け取り、それと引き換えに、黒人同胞を売り渡して居たことを承知して居る。
 しかし、全く同じことを、戦国末期の一部の日本人権力者がやって居たことを始めて知って、正直なところ大きなショックを筆者は受けた。
 九州のキリシタン大名大友宗麟は、カトリックの宣教師に煽動されて、永禄四年、宇佐八幡宮を焼いた。天正九年十月八日には、豊前彦山の三千坊といわれる坊舎を焼いたと。(二百五十一頁)
 大友宗麟は、カトリックの極悪悪魔主義者たる宣教師と、ポルトガルの商人から、火薬の原料硝石を輸入するために、豊の国の神社仏閣を焼き払い、若い娘たちをドレイとして、売り払ったと。
 このような人物こそ、日本史上極悪の民族への裏切り者、売国奴、国賊、として特筆大書され、徹底的に日本国民に、教えなければならないのではないか。
 しかし、大友宗麟のみでない。日本人キリスト教徒は、全員大友宗麟と同類の顕在的また潜在的な

      売国奴


ではないのか。
 鬼塚著「天皇のロザリオ」が、今から、広く、日本民族有志によって熟読されるべきことを、再度訴えたい。

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 勿論上、は極論である。
現代では渡部昇一氏や曽野綾子さん等のカトリック信者がいる。


しかし、今でも日本人を特定アジア(中国、韓国、北朝鮮)の「精神的奴隷」として売り渡そうと
日々「贖罪史観」を垂れ流しているクリスチャンもいることは確かだ。
 彼らクリスチャンは自らの犯した「異教徒の虐殺や強制改宗」「奴隷制」について反省の弁もなく、自らの「迫害された歴史」については雄弁である。



   響きのいい言葉ですね 
        良心派

 彼らは、韓国や中国からは「良心勢力」と褒められナルシズムに浸りながら、日本に対しては加虐趣味を満たしている。
 代表的なのは捏造記事で「従軍慰安婦問題」を引き起こし、一片の謝罪もしない朝日新聞である。