診察日

 

 

今日は、精神科の通院日でした。

 

家族問題も一区切りついたところで、

考えることがあます。

 

 

わたし、働けない自分を

認めようとしていないな、と。

 

 

障害者雇用は、仕事内容がイヤ、

とか

正規雇用でも、障害者扱いされたくないから

隠しておきたい、とか。

薬を飲みたくない、も、同様。

 

 

病気の自分を認めるところから、と

言われたのです。

 

 

頑張っていれば、いいことがあると

思っていたのは、

あまりにも短絡すぎました。

 

他人に迷惑をかけないのは前提、

自分の心地よい中で最善を尽くすことの方が

はるかに健康的で、

持続性がある。

 

 

 

今まで、

うつ病、気分変調症、不安障害…

すべて、恥ずかしくて、

情けなかった。

 

 

だから、仕事ができない自分、

能力的にではなく、

疲れやすさとか、

気分の落ち込みとか、

涙が溢れてしまうこととか、

 

全て、すごくすごく恥ずかしくて

隠したくてしかたがなかったのです。

 

 

でも、と思いました。

 

私は、気分変調症で、ADHDで、

どうしようもなく愛着障害で愛情に飢えていて。

 

その事実が変わることはない。

 

 

病気を認めると同時に、

自分を許してあげたい。

 

 

もちろん、私が本当に欲しいのは、

身近な家族からの、心からの承認。

 

生まれたばかりの小児が

親を安全基地とするように、

成人した今でも、

私は安全基地が欲しいと思ってしまうのは

どうしようもない事実です。

 

 

だけど、これも同様です。

認めようよ、わたし。

だって、私が悪くて

安全基地がなかったり

条件付きの愛情しかもらえなかったり

したわけじゃあない。

 

逆に、じゃあ、親が悪いのかって、

それも違うと思う。

親にも、そうせざるを得なかった

事情があることぐらい、

今の私は理解できる。

 

 

すべてにおいて、

今起きているのは、事実だけ。

そこに、評価はいらない。

 

 

私は精神障害。

よく考えてほしい。

目に見えなくて、見た目は健常のひとと

同じだからって、何でも同じようにできないでしょう、わたし。

 

実際、できなかったから、

何度も解雇になったんでしょう、わたし。

 

 

見た目が健常だからって、

フルタイム正社員で働けると考えた

私は、

本当に、考えが幼くて未熟で、

言い方を強くすれば、ばか、だ。

 

 

認めようよ、そろそろ。

精神障害で、入院するレベルだったんだよ。

手帳は2級だし、年金が通った事実もあった。

 

周りは、認めてくれているのに、

ひとりで、病気じゃない、ほかのひとと同じ扱いをしてくれ

って言ってるのは、本当に、滑稽だよ。

 

 

 

昨日は、職場の上司が席を外していて

通院の件を話せなかった。

 

 

来週は、きちんと話して、

同僚に、私が精神障害者だと分かってしまうけれど、

それも認めてさ、

病気の自分を好きになろうよ。

 

 

ねぇ私、わたしはそんなに最低な人ないんだよ。

 

 

 

ではバイバイ