高校野球は今日は休養日とか。昔はこういうのなかった。
選手たちの疲労や負担を考えればよいことなのだが、連日の熱戦で一気呵成に決勝戦まで上り詰めていく、あの燃焼感というか、クライマックス感みたいなのが懐かしい。
それにしても甲子園ってのは特別だ。
たとえば、負けた選手たちが持って帰るあの「甲子園の土」
「オリンピックの土」も「ワールドカップの土」も僕は聞いたことがない。甲子園が、甲子園だけが、いかに特別な聖地かということなのだ。
あの学徒動員を思わせる入場行進も、入場行進らしくていい。今はむしろ平和の証として、私は楽しむ。
それに、なんといっても泣かせるのが、試合開始と終了を告げるあのサイレンではなかろうか。…あれはいったい何なのか!? 
さっぱりわからないが、いいものはいい!
そして、甲子園というと出場校の地元が異常に盛り上がる。これほど郷土というものを感じさせてくれる全国イベントはない。選手の出身がどことか関係ない。こんなに狭い日本列島なのに、その地方だけ異常に盛り上がっている……そういうのが私は好きだ。
それにしても、あぁ、私も甲子園に出たかった! もっと真剣に甲子園を目指すべきだった。野球がうまければ…だが!
大船渡高校の佐々木投手だって、きっと甲子園に行きたかったろう。プロ野球や大リーグやオリンピックに行くよりもずっとずっと!
今日は普通の人はお盆休みをとる日だが、私は午前10時から、札幌地裁で、とある裁判があった。
あまりにも十分すぎる余裕をみて、駅近くのホテルを朝9時に出発。
が、定額小為替を買うくらいよかろうと、近くの郵便局に寄り、3通ほど郵便を出した。そして郵便局で念のため裁判所がどこか聞いて外に出たはずが、方向がわからなくなり少し堂々巡りしてしまった。
しかし、札幌地裁には過去何度も来ているから、方向の見当はつく。ただ、ここでさらに欲張ったのがいけない。途中、銀行があったので、この際通帳も記帳しておこうと、寄り道。
ところが、銀行を出たところで、まったく方向感覚を失ってしまった。
札幌の町は碁盤の目のように整然としており、ここで道に迷うような人は本来旅をしない方がいいのだが、まさかこの私がここまで方向音痴だったとは。
かえって整然とし過ぎているがゆえか、いったん銀行を出たら自分がどっちから来ていたかわからなくなり、しばらく逆方向に歩いてしまった。そういえば前もここ札幌でこういうことがあったな。
…その間違いに気付き、改めて裁判所の方に歩を向けたはいいが、ここで時刻がいつの間にか9時40分になってしまっていた。いや、まだ十分間に合うはずだ。
しかし、碁盤の目のような市街の特性か、私は、もしかしたら生まれて初めてじゃないかと思ったが、行く先々のすべての信号が赤。その都度信号待ちを強いられる。おそらく、碁盤の目から碁盤の目までを歩く時間がおしなべて信号機のサイクルに一致しちゃってるのに違いない。私は危うく10時の裁判に遅刻するところだった。…というか、厳密にいえば15秒ほど遅刻してしまった!
しかし、この日の札幌地裁はあまりにガランとしており、その法廷で予定されている裁判も今日はこの1件だけだった。裁判官も書記官も、なにより相手方の代理人の弁護士も本当にご苦労様である。15分ほどの裁判を終え(といっても、東京からわざわざやってきた私のために、せっかくだから…と、裁判長が通常より10倍くらいの時間をかけ、細々やりとりしてくれたのは明らかだった。民事裁判の初回なんて、普通は2、3分で終わるものだ。)、今度ばかりは迷うことなく札幌駅に向かった。こうして歩けば20分くらいである!
それにしても、来た道をそのまま帰ることにかけては、私の方向感覚はほとんど天才的といってよいほど人並みである。
かくして、札幌地裁から(あの憧れの時計台に立ち寄ることもなく)空港に直行し、先ほど無事、羽田空港に帰着したら、あいかわらずの暑さ。
とても涼しくて、清々しかった札幌が早くもなつかしい。今度は観光でゆっくり再訪したいと思った。

前から気になっていて仕方なかったのだが、私がなりゆき上管理しているある空家のお庭の草むしりに行ってきたところだ。

去年のいまごろから何もしていなかったので、さぞやジャングルみたいになっているのではないかと、戦々恐々だったが、たしかに、樹木の枝が生い茂ってうっそうとしてはいたが、下草はそれほど生えていなかった。

暑くなる前に・・・と思って、朝7時ころには現地入りし、それでも十分暑かったが、1時間30分くらいで作業を終えた。おびただしい蚊が襲いかかってきたが、長そでの重装備で、さらに防虫スプレーを塗りたくっていたので、刺されることはなかった。しかし、あのプ~~~ンという羽音はいやなものだ。

途中、近所の人から「植木屋さんですか。」と声をかけられた。

いかにもテキパキとした仕事ぶりで、プロフェッショナルに見えたのだろう。光栄だ!

もちろん、熱中症対策も万全。こんな空家の庭でへんなオヤジがぶっ倒れてたんじゃみっともない。・・・しかし、去年はもうちょっとのところで、ぶっ倒れそうになった。そのときの教訓を忘れぬほど、私はまだぼけていないつもりだ。十分水分補給をしながら作業した。

こうして、一仕事終え、空家の中でシャワーを浴びて、乾いたシャツに着かえたら、なんか遠い日の夏休みの、ある種のなつかしさと爽快さが混じったような充実感があった。

しかし、それにしても、こうして定期的にしている草むしりなのだが、なぜか、そのたび、生えている草の種類、咲いている花、極端にいえば、植生が変化している。同じ時期の同じ場所に同じ草が生えるとは限らないのだ。

何年か前、大きな百合の花が、立ちはだかるように咲いていたのを、私は忘れることができない。

今回は、やけにヤツデが繁茂していたが、ヤツデの枝は実に柔らかく、ノコギリでスイスイと切れることがわかった。

さらに草や木の名前がわかってたら、いろいろ発見もあるだろうし、草むしりももっと楽しいものになるだろうと思った。・・・それに、むしられる草、切られる木だって、どうせなら無差別殺人的でなく、どこのどいつとしっかり認識された上で、むしり取られ、刈り取られたいはずである。