この野郎!なんてことしてくれたんや(`Д´) | 1型糖尿病とともに完治できる日まで!

1型糖尿病とともに完治できる日まで!

1981年12月に1型糖尿病を発症しました。
なので1型歴だけは長いです*\0/*

インスリンペン
リブレ
miaomiao
xDrip
スマートウォッチを使って今は快適な生活を送れるようになりました。
これもブログをしていたお陰です♥

完治する日まで一緒にがんばりましょうね。

皆さんこんにちは😐!

もう信じられないようなことが起こってしまい、まだ心の整理がついていません😞

こんな医者もいるんだ😢

考えれば考えるほど腹立たちさでいっぱいになり大噴火🌋🌋🌋🌋🌋しそうになっています😖

必死で抑えようとしているけれど、悲しすぎて夜もなかなか寝付けない。

私は何を今までやってきたんだろう?

吐き出すことで少しでも私の精神状態が落ち着けると良いなぁ😓



実は今月初めに父が足が痛いと。
「どこ?」と聞いても自分でもわからないのか?はっきり言わない😞
前日がデイサービスだったので、酷い巻爪を切ってくださったのかなぁ?と思いましたが、見てみたけれど爪ではないようでした。
痛風でもなさそうだし?蜂窩織炎でもないようだ😟


父の足の甲は、60歳ぐらいから寝る前には少し浮腫が見られ、朝には元に戻っているという感じでした。
でも、高齢になって(元々腰が悪かった)腰がもっと悪くなった頃から浮腫も少しずつ進んできて、数年前からは市販されている靴は履けなくなってしまいました😢
浮腫み用の靴でやっと履ける感じです。


一度詳しく検査したほうが良いのではとずっと思っていたのですが、開業医の父の主治医に何度聞いても、高齢になると皆こんなものだと。
気になるようだったら弾性ストッキングや着圧ソックスを履かせてみたらどうだろう?と。
何度かあのキツキツソックスを試みたのですが、何時間もかけてやっと履かせたと思っても、数時間で足が痛いと言い出すし、寝る前にはまた脱がせなくてはならず、とても私には無理だ。このままでは手が腱鞘炎になってしまう🙈
申し訳ないけれどキツキツソックスは諦めました😢

腰が悪いので外を歩くこともほとんどできないし、運動量も少ないからかとも思ったけれど、主治医から何度も高齢者はそんなものだと言われたら何も言えなくなる。
それよりもいつかちゃんと足を調べてもらったほうが良いと思っていました🙂


その日は私も仕事を休めなかったので、その次の日になってからまた足の状態を聞いても父の反応がもう一つだったので、ちょうど父の主治医のクリニックもお休みの日だったので、自宅から近い病院とクリニックの中間ぐらいの大きな診療所まで車椅子を押して診察のチャンスだったので行ってきました。


そうしましたら、まだ30代ぐらいの男性医師でしたが
🧑‍⚕️「聴診器を胸にあてると雑音が聞こえるのですが、これまでにあちらの先生に言われたことはないですか?」と。
👩「全然ないです」
🧑‍⚕️「そうしたらこれから血液検査と心電図と胸のレントゲンを撮ってきてもらえますか。」
👩「はい」

心電図の結果は大したことはなかったようでした。

🧑‍⚕️「それでは次回、心臓のエコーと胸部CTの予約して帰っていだだけますか」
👩「はい」

次の日に撮っていただきました。
その次は下肢静脈のエコー検査の予約をするように言われました。
予約がなかなかとれずに6日後にやっととれました。


その日は、父の認知症もあるので私も父の横に座っての検査でした。
「寒い!!!🥶🥶🥶冷たい!!!🥶🥶🥶」と父も煩くて、まるで小さな子供のようでした😖
確かに下半身おむつ姿で1時間近く検査していたので解るのですが、疲れました😢

その後これまでの検査結果の説明を聞いてから帰るのかと思っていましたが、別の日に予約ということでそのまま帰ってきました😐

検査結果は、その日のあとは雨とかデイサービスとかショートステイの体験(体験を経験させないとショートステイが使えない)などがあって(来月初めに兄の一周忌と納骨があるので、母だけでは父の面倒は看れないし、今回はどうしても母も連れて行きたいのもあって父を預けることになるので)、私だけならいつでも検査結果を聞きに行けるのですが、1週間後となってしまいました😓


その翌日、お昼休みに突然その診療所の看護師さんからスマホに電話が掛かってきました😱
先生が「それでは遅すぎる、すぐにご家族さんだけでも良いから来てほしい」と🤔
なにか嫌な予感がしました。
その日の午後診で予約が取れたので、ひとりで話を聞きに行ってきました。

先生は、何度も私の顔を見ながら一呼吸おいて静かに
🧑‍⚕️「お父様の肺には癌らしきものが写っています」と😰😰😰
👩「えー、それは癌ですか?・・・😵😵😵。どの程度の?」
🧑‍⚕️「おそらく癌です。リンパまで、全身に・・・」
👩「そうですか・・・」


途中から何を言われているのかわからなくなって放心状態のまま自宅に向かいました。途中で弟にメール送ったらすぐに電話があり診療所でのことはざっと話しました。
母にも話してみたら、食べ物が悪かったのかなぁ?とショックだったのか黙ってしまいました。
「食べ物なんかじゃないよ。そんな変なもの食べてないじゃん。そしたら私達もじゃない☹️」
そう話すと少しだけ落ち着いたようでした。

そうだ、今日はもう遅いから明日にでも父のクリニックの主治医のところへ話をしに行ってみよう😟
父の主治医は元市民病院の呼吸器内科の先生。

次の日、父の主治医のところへ行ってきました。

👩「今月初めに父が足が痛いと言うので、ちょうどこちらの休診日だったので近くの〇〇診療所で診てもらってきました。
聴診器を胸に当てると雑音が聞こえるということで血液検査に心電図に心エコーに胸のレントゲンに胸のCTに下肢静脈エコーしていただきました。
そちらで肺癌らしきものがあると言われたのですが・・・」


主治医は顔色を変え凄く動揺しているように見えました😳
父のレントゲン画像を出そうとしてもなかなか出てこなくて物凄く焦っているようでした🧐
「それや!!!」と言いそうになったけど、何とか我慢🤫
画面の左下に小さな胸のレントゲン画像を発見。
よく見ると今回言われた左肺に赤で何かが書き込まれていた。
やっぱり先生知ってたんだ😨😨😨
私の後にお一人患者さんがいらっしゃったので、「ちょっと待っててね、待っててね」と。

その後呼ばれ、今度はちゃんと前回のレントゲン画像とそのもう一つ前のレントゲン画像が大きく画面いっぱいに写し出されていた🥺

👨‍⚕「ごめん、先生が悪かった。僕はお父さんが癌だと知ってて黙っていた。貴方が両親の介護で大変なの知っていたから黙っていた」と😫😫😫


なんでそんな大事なこと私に言わへんねん👹👹👹
ごめんで済まへんよ😖😖😖
私がどんな想いで両親を介護しているか😓
そら、しんどいときもあるよ。
要介護4の高齢者の介護は本当に大変なんだよ。
低血糖アラート鳴らしながらオムツ替えしたりもしてるよ😠
でも私が一言でも癌で早く死なせてくれとか言ったことある?
ないよね☹️
以前に私に「施設の事考えたりしてる?」って先生が聞いてきたときに、「出来るだけ自宅で両親を看たい」と言ったはず😐
先生の親ではないんだよ。
私の父親なんだよ😡😡😡
何てことしてくれたの?いつから知ってたんだよ。
私は電車の一駅分を、父を車椅子に乗せて診察に連れて行ってたんだよ。
胸のレントゲンも昨年7月にも撮ってたよね。
父に「〇〇さん、どこも悪ないよ。元気や」っていつも言ってたじゃない😨
医者にそう言われたら信じるよね。
まさかずっと嘘つかれていたなんて、こんなことってあるの🥺🥺🥺
これは優しさなんかじゃないよ。
私を苦しめてるじゃん😡😡😡


先生は、「僕は検査も治療も何もせんほうが良いと思う」って言ったよね。
それは本人や家族が考えること。
勝手に内緒にしといてなんなんだよ😠😠😠

前回と前々回のレントゲン写真のコピーが欲しいと言ったら、焦って印刷の仕方忘れてたよね。
また「そこだよ😡!!!」って言いそうになったよ。

面白いぐらいにコピー機からレントゲン写真が次から次へと出てきて床に落ちていく😮何やってるんだよ😤😤😤
本当に言葉も出ないよ。

この日は遅くなったのでその次の日にそのコピーを持って検査してくださった診療所の先生のところに行ってきました。


この日は紹介先の病院と予約日を決める日だったので、診察は元々無しで受付でということでしたので、メモ書きしていたものとコピーは看護師さんにお渡しして先生に渡してもらおうと思ったのですが、気を利かせた看護師さんが診察にまわしてくださって診察室に入ったけど、何も言えなくなって涙で先生の顔も見えなくて、先生もわかってくださったみたいでした。
先生に「丁寧に診察していただいてどうもありがとうございました🙇」とだけなんとか言えました。
もしこちらで検査してもらってなかったら、ずっとわからないままだったかもしれなかったし、本当に感謝です。
また大きな病院へ行かなければなりませんが、これからは痛がったり苦しんだりしながら生涯を終えなければならなくなりましたね😟
私がついておきながらお父さん、ごめんなさい🙇

私も父も負けないよ💪💪💪


  

今回は少し前から練習していた卒業写真を聴いてくださいうさぎ

 最近はあまり練習もすることができなくなってきました😓

 いつもありがとうございます
 機械音痴なので、もしこれで聴くことができなければまた教えてくださいね 😢





こんな面白くもないブログですが、読んでくださってありがとうございましたセキセイインコ青セキセイインコ黃オカメインコ