1型糖尿病とともに完治できる日まで!

1型糖尿病とともに完治できる日まで!

1981年12月に1型糖尿病を発症しました。
なので1型歴だけは長いです*\0/*

インスリンペン
リブレ
miaomiao
xDrip
スマートウォッチを使って今は快適な生活を送れるようになりました。
これもブログをしていたお陰です♥

完治する日まで一緒にがんばりましょうね。


皆さん、こんにちは😊!

早くブログに書かなきゃと思いながらも、用事が多すぎてバタバタしているうちに、なんと明日はもう父の月命日が来るではありませんか😱😱😱


時間がやっとできた頃には、今度は夏風邪を引いてしまったようで、ピークは越えましたが、まだ咳と鼻水が😷

とにかく父のことをお話せねば😐



父は先月16日(日)午後2時に、入院しておりました緩和ケア病棟で息を引き取りました😓

数日前から息が段々と荒くなり、もうそろそろなのかなぁと心の準備はできておりましたが、その日の朝7時頃に緩和ケア病棟の看護師さんから「これまでと容態が少し変わってきたので今日は早目に来てくださいませんか」と電話があったので、弟と母と私の3人で朝から父のそばについていました😐



ちょうどその日は父の日でしたが、5月の9日に誤嚥性肺炎で救急搬送されてから1ヶ月と1週間、穏やかにとはいきませんでしたが、小さな体で最後の最後まで頑張って生き抜いてくれました😭


ブドウ糖の点滴も、父の主治医は私のお願いも聞いて下さり最後の亡くなる日まで続けてくださいました。

250ml入りのブドウ糖でしたがこれで私の気持ちも落ち着けました。


食べられるものなら、父の大好きなものをたくさん食べさせてあげたかったけれど、うまく飲み込めなくなっていたので、全て口に入れるものは形のないミキサー食にしないと駄目でした😣

がんも終末期に入っていたようで、そのために食欲もわかずに後半はほとんど寝ている時間のほうが長かったです😢


(お守り代わりの最後のブドウ糖)

この日は日曜日なのに、父の主治医は朝早くから来てくださっていました。

父が亡くなって、その後看護師さんがお風呂に入れてくださり、着替えもさせてくださり、入院した時とは体重もかなり減って余計のこと小さくなってしまっていましたが、葬儀会社の寝台車に乗ってこの病院ともお別れのときが😐



その日出勤の看護師さん方もたくさん出てきてくださり、皆さん優しくお声を掛けて下さりました。

たくさんたくさん本当にお世話になりました。

患者さんだけにではなく、その家族のことまで気にかけて下さり、ひとりでロビーに座っていると、いつもどこからか看護師さんが走ってきてくれていました🥲

お陰様で最期まで父をきちんと見届けることもできました。



父の主治医にも「先生、最期まで父にブドウ糖の点滴をして下さりどうもありがとうございました🙇

父もこちらで最期の時をむかえられて感謝していると思います。本当にお世話になりました。」泣きながらお礼をなんとか言うことができました。

先生にも「娘さんが毎日お見舞いにいらしてたのを皆見ていましたよ。これで終わりではないので、また何かあったらこちらに来てくださいね。いつでもお話し聞きますからね。これからはご自身の血糖値管理をしっかりとしてくださいね😊」とお声をかけて下さりました。



緩和ケア病棟、普通の診療科と違って、精神面でも患者さんやその家族のことまで支えていかなくてはならない病棟なので、本当に大変な病棟だなぁと思いました☹️

後日、しっかりとご挨拶できていなかったので、少し落ち着いてからお菓子と先生や皆さんに宛てたお手紙をお渡ししてきました。

それと生前父は、手術や入院でお世話になった先生方には、必ず自分が手作りした作品をお渡ししていました。
でも亡くなってしまってはそれもすることはできません😢

ふと出かける前に、玄関のシューズボックスの上のガラス棚に並べられた、父手作りの干支の根付作品が並べられているのに目をやると、ワンコちゃんが何故だが連れて行ってほしそうにじっと私を見ているではありませんか🐶
でも先生の干支もわからないし、どうしょうかと迷いながらもそのワンちゃんがどうしても気になってしまったので白い小さな箱に入れ、そっと鞄に入れて病棟に行ってきました。
ちょうど父の主治医だったT先生もおられてすぐに呼んで下さりました。
もう一度丁寧にお礼を言って、帰り際に先生の干支をお伺いしてみるとなんと戌🐶年でビックリしてしまいました😱😱😱😱😱
先生にお話して、先生に父が元気なときに彫った根付作品のワンちゃんをお渡ししてきました。
T先生もどうしてわかったのかビックリされておられましたが、快く受け取って下さりました。
まだお若い先生だったけど、とても良い先生でした。



緩和ケア病棟、とっても優れた人材が集まった愛のある温かな病棟でしたちょうちょ

父はもう亡くなってしまいこの世にはいなくなってしまいましたが、何故だか涙は最期のお別れのときだけしか出ませんでした😢
それは、これまで自分なりに全力で頑張ってこられたからだと思います。出せる力は出し尽くしたので今はまた充電中ですが、まだ母もいるので私の仕事は終わってはいません。
弟にも感謝の気持ちでいっぱいです。


しばらくは落ち着いていた母ですが、やはり時々おかしなことを言っています。
お骨の入った白い包を見て「あの中には何が入っているのか?」と。
説明するとその場では理解できていたようですが、その次の日、仕事から帰ってくると白い包は包み直されていて、母に中を見たのか聞くと見たと。


これからは母とふたりになってしまったけれど、父とはこれからもずっと一緒だよ。
後半は会話もできなくなってしまいましたが、その前日には「人に嫌われないようにしなさい」。
父からの最期の言葉になってしまいましたが、忘れないように私も頑張っていくね。
母のことは心配しないでね。
私を娘にしてくれてどうもありがとうございました。私は父の娘で幸せでした🙇
お父さん、また会おうね🥰🥰🥰


今日は、数年前にドラマの主題歌で使われていたそうなのですが、手嶌葵さんの「明日への手紙」を聴いてください。

(もし聴けなかったら教えていただけませんか😊)


https://youtube.com/watch?v=0zScF33YmHY&si=2-EgfXCYk5qU6q20




心配してくださった皆さん、どうもありがとうございました🙇


私がコメントしたときに、父のことを聞いてくださったimotoさん、レレ姐さん、きたみさん、ありがとうございました🙇


ご挨拶が遅れてすみませんでした😓

これからもしっかりと母と頑張っていきますセキセイインコ黃オカメインコセキセイインコ青

こんなブログですが、いつも応援下さりありがとうございます🤗🤗🤗