Brian Eno ⁻声とサウンドスケープ | 100nights+ & music

100nights+ & music

2020年の1年間に好きな音楽を100回紹介していました。
追記)2023年になっても見てくれる人がいて驚きました、感謝を込めて?気が向いた時にときどきまた書こうかと思います、よろしく!

 

ポップ・ミュージックとイーノ

 ブライアン・イーノの音楽の一部は、ドイツのクラフトロック(クラスター、ハルモニア)と、現代音楽っぽいオブスキュア・レーベルで紹介したが、本人についてはまだ書いていなかった。

 ここでは、ポップ・ミュージックに近いところにいるイーノについて書いてみたい。
 
 ブライアン・フェリーなどと一緒に始めた最初のバンド、ロキシー・ミュージックのイーノはトリック・スターそのものだった。
 どこに何がつながっているのか不明な、怪しいマシンのつまみを派手な格好をしていじりながらノイズを出しているイーノは、個性の強いバンドの中でも一番人気があったらしい。


 ブライアン・フェリーに「バンドに2人のノン・ミュージシャンはいらない」と言われて最初の2枚のアルバムでクビになったのはよく分かる。

 二人とも、演奏が上手くなることよりも自分の興味のまま新しい音楽をつくることに興味があったんだろう。
 
Roxy Music – Ladytron

 

 ロキシー・ミュージックを辞めてから出した最初の2枚のソロ・アルバムは、イーノが自分で歌うことが多く、基本的にポップ・ミュージックをベースとしながら、変なノイズ、ファンキーなリズム、ミックスで違和感を出した曲が入っている。
 1974年に出た最初のソロ・アルバムは、特に混沌とした感じと、ヨーロッパスタイルの実験的な音とファンキーな音が整理されないまま混じっている感じが良い。


 ファーストアルバムのタイトル・チューン“ヒア・カムズ・ザ・ウォーム・ジェッツ”は、全体的に歪んだ音になっているアルバム最後の曲。
 若い頃のイーノのつくるサウンドは、もうすでにニューウエイブやトーキング・ヘッズとのコラボレーションなど、1980年代以降の様々な音楽のアイデアを感じさせる。


Here Come The Warm Jets

 

 1975年の3枚目のアルバム「アナザー・グリーン・ワールド」はクールで実験的でありながら、まだどこかラフな人間らしさも残っている。

 特に“ゴールデン・アワーズ”という曲が好きだった。シンプルに叩くキーボードの音に載せて、イーノは静かにただ淡々と歌っている。

時の流れがスクリーンの上で微かに揺れている
ぼくは文字の流れを理解できない
おそらくぼくの脳は砂に変わってしまったんだろう


Golden Hours

 

 次のアルバム「ディスクリート・ミュージック」は、イーノが立ち上げたオブスキュア・レーベルから1975年に出た。

 ここにはポップ・ミュージックのフォーマットから遠く離れた、恐ろしく退屈で美しい音楽が入っている。
 イーノは、交通事故で入院しているときに偶然発見した「環境音楽」というコンセプトを突き詰めるようになり、暫くの間ポップ・ミュージックから離れてしまう。
 
 そこから完全に離れしまう前に、イーノは1978年にもう一枚だけ「ビフォー・アンド・アフター・サイエンス」という象徴的なタイトルのアルバムを出した。

 このアルバムはファンキーさとポップさ、実験的な感じ、どこかアンビエントなところなど多彩で最も気に入っている。

 

 ドイツのユニット、クラスターが参加した“バイ・ディス・リバー”はすでに古典だ。

By This River

 

 この頃から、イーノは環境音楽の先駆者として、そしてデヴィッド・ボウイやディーボ、ウルトラヴォックス、トーキング・ヘッズなどからスタートして、U2やコールドプレイなどのプロデューサーとしても活躍していく。

 イーノが久しぶりにボーカル入りのソロ・アルバム「アナザー・デイ・オン・アース」を発表したのは2005年で、「ビフォー・アンド・アフター・サイエンス」からすでに28年が経っていた。
 56歳になったイーノが作ったこのアルバムも、実験的な部分と安心して聞けるポップさが同居した、とても良いアルバムだと思う。

This

 

 イーノは、その後もアンダーワールドのカール・ハイドとアルバムを作成するなど、ポップ・フィールドでも積極的に「新しい音楽」を作り続けている。

 イーノの音楽はいつだって意外と身近にあった。世界中の音楽好きが彼から受けた恩恵は多分数えきれない。