えっと、先に・・・
先週の終末、ちょっと凹んでいると漏らしていたのは
先日のお見合いでお断りがきたから。
覚悟はしてたし、いろいろと悪いことしたと思っていたから仕方ないとは思う。
で、土曜は通常出勤だったのだが
1時過ぎの休憩のとき、羽島の相談所から留守電が入っていたのに気づいたので掛け返したら・・・
相談員のおばちゃん。すごく力のないトーンで
『いいお返事がいただけませんでした。。。』
その後もしどろもどろで励ましと言うか必死でフォローしようという言葉を並べていた。
こちらは
『あ、そうですか。わかりました』
休憩時間も限られてるしサクッと終了。
何を言おうが、もう遅い。
モヤモヤがないと言ったらウソになる。
でも覚悟はしてたし、今更責めたって仕方ない話。
運もないのは確かだが、すべては自分の器量・力不足だから。
で、なのだが、今だから明かす秘密事項
その人については前にも書いているが、各務原で見かけて見送り、羽島でお母さんの『B型の方以外』というコメントみて思いなおしてお願いしたのは確かなのだが、実はもうひとついわくがあったりする。
各務原の写真と羽島・岐阜の写真はまるで別人のように違っていた。
このことは本人にも話した。
一度見送った時点で、なんでしっかり覚えていたか?
実は・・・なんだけど、各務原の写真
誕生日が今の我が家の権利移動日(引き渡し日)だったってのもあるけれど、それ以上に目にとまったのは・・・いわゆる初恋の人の容姿・雰囲気と非常に似てた。これなんだよ。
で、実際に会ってみたら・・・
また衝撃が。
どちらの写真とも、実際のは印象は違った。それはよくあること。いい。だが・・・
自分にとって因縁の人と
顔のつくりといい、化粧っけの少なさといい何から何まで非常に似てるじゃないか。
写真のこととかはチラッと話したが、このことは言っていない。いや言えない。
おもわず、顔を何度もじーっと見てしまったよ。
おそらく僕は何度も複雑な表情してたんじゃないかなと思う。
『おいマジか。なんの巡り合わせというか因果なんだよ。。。』
そう思ってたんだよ。
すべては今から13年前のことからはじまった。
まずは清い話
22歳の夏、ひょんなことから初恋の人と会う機会があった。
たまたま夏祭りで中学のときの同級生に会って同級会に誘われた。
で、行ってみたら、いわゆる初恋の人がきていた。滅多にこういうところにこないヤツなはずなのに珍しく。
7年ぶり・・・か。
こいつ、中学のあいだ、しょっちゅう隣の席でいっつもイタズラというかちょっかいだしてきて、やり合ってた相手。それが、いざ卒業するころになって、微妙な気持ちになってることに気づいたんだな。
で、別々の高校行って、それから顔を合わすことはなかった。
高校のときでも、夏休みとか中学の同級で集まることは何度かあったのだが、こいつは1度もこなかった。
同級会のときに、7年ぶりに会っておかしなことに気付いた。
当時と変わりなく話したりとかは非常に気楽だったのだが、なんか様子が変だな・・・と。
数日後。保育園からの幼馴染(女)に電話してきいた。
『○○ちゃん、最近彼氏ができて・・・』ってことを。
しかも他の人には話してたらしい。
あ~、そういうことね。
なぜ、僕にだけ話さなかったか。しかも様子が変だったか。
鈍い僕でもわかったよ。 同じようなこと考えてたんだ・・・と。
いわゆる両思いってやつだったんだね。しかもかなりマジで。
多少あがきはしたが、どうも結婚とかまで考えた話進んでるっぽいじゃん。
つらそうな顔をみて、やるせない気持ちでいっぱいになったが、切り替えないとイカンと思ったよ。
・・・と、ここまでは非常~に清い話。
問題はここから。
それで、何をしたか・・・
何を狂ったか、オーネットってやつに入会したんだよ。
まだ22歳なのに。(入会したのは23の誕生日ころだが)
ええ、当時47万だったけ、一括でドカンと払ったよ。
(3カ月ほど・・・すぐ退会して10万ほど返金で終わったのだが、このことは後で)
振り返るに、ひとことでいうと、変わりたかったんだね。
で、そこ主催のクリスマスパーティで問題の人に出会いました。
後からわかったが、小学校の先生してる一つ上の人。
雰囲気から何まで好みだった。話してもほんわかしていてすごく楽。
一目惚れしたよ。
一番人がたかっていたのだが、悪いけど、そこにきていた他の人と当時の僕とでは負ける気がしない。
やりとりしてる感じでも大丈夫だ・・・と思った。
で、当然、帰ってから3人までだしていい希望の中に入れて提出。
でもね、これが、一度断りがくるのです。(´□`。)
これが23歳になってすぐの、本物のクリスマス時期のこと。
マジで凹んだよ。ありえねぇ郵送のクリスマスプレゼントだったさ。
しかし!!!
1週だっけ、2週後か。年を明けてすぐのころ逆に向こうから申し込みがきた。
は∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
ですよ。
一度断られて・・・ってアリなん?
(否、そんなことはそれまでやはり一度としてなかったらしい)
※これ、ここまで、、これからでも断りいれた方(入れる方)に裏技おしえておきます。
僕は複数の自治体の相談所登録してますんで、スマートにもう一度相談所経由で連絡とりたかったら、
断り入れた相談所以外(たとえば各務原で断り→羽島や岐阜からそちらからで申し込み)で申し込みしていただければ、もう一度合法的にお会い、お話することは可能です。
美濃加茂は田舎っぽくてアットホームだったから融通が利きそうだったけれど、それ以外は、どうもどこの相談所もお役所仕事なんで、このように一度断り→逆申し込みってことは相談員に拒否られてめんどくさくなる可能性大ですからね。
お役所仕事な方々にはホント困らされるよ。。。
民間とはいえ、この僕の過去のケースでも結構めんどくさいことにはなってたらしい。
でも、女性からよろしくってことは滅多にない異例なことだから、アドバイザーさんの判断で通してくれたらしい。(アドバイザーの遠山さんありがとうm(__)m)
この時初めてこの方の卒業校やら職業、家族構成まで知ります。
片親 B型 ・・・か。
で、自分のとった行動
即結婚をしてくれと手紙をいただいた方からはじまって、ほかにこのパーティでの2人、それ以外のマッチングでの2人だっけ3人か、計5人ほどか。
話を頂いていた方々みんなにお詫びして、この小学校教諭にいこうとしたさ。
だって、好みだったんだもん。
実はこのとき、パーティで話してなかった人なのだが、長野からきていたアドバイザーさんから『申し込みだしてあげて』って頼まれた長野市在住の一つ下の子がいた。『愛に距離は関係ない』って言われて。
こちらについても1年掛かりでのドラマがあったのだが、この話では省きます。
この子 カタカナで エミって名前の子だったのだけど、この後、恵美さんとつきあったのからはじまって・・・『恵』の字のつく名前の方と異常なまでに縁があるようになります(@_@;)
思い返せば・・・見合いのとき、『あなたみたいなしっかりした人初めてだわ』って相手に正直に言ったけど、もうひとりいたわ。消さないまでも過去の記憶で隅っこに押しやってわ。
この子、自分の人生の中で一番しっかり者な子だったかもしれん。すげー感心したもん。
だから、『恵』の字がつく人にはビクッとなる。これも秘密事項。
どちらにしても、皆さんに正直に話してひとりに絞った。
これがこの後の厳しいこと。運命の転機のはじまりになります。
ここからが、ウソのようなホントの話
まずこの人と僕の携帯番号
プライバシーの問題もあるので問題の箇所だけ明かします
僕はもう番号変更で別の番号にかわってます。
当時むこうもドコモにしようかと言っていたので変わってるとは思うが・・・
僕 ○○○ 8328 ○○○○
あちら ○○○ 8321 ○○○○
なんとひとつ違うだけで、のこり全部同じ番号
適当な数字入れてみて読みあげてみるとわかるのだが、音としてはほとんど一緒。
だったんだな。これが。
で、恥ずかしながらなんだけど、僕、当時よく番号書くとき間違えてたのさ。
しょっちゅう相手の番号書いてた。
で、むこうに間違い電話が頻発してたんだと。
一目ぼれしていたのもあって、さすがにこれは運命だとおもったよ。
ここからが問題
その時は飯田の実家に住んでいて、相手は松本。距離がかなり離れている。
だから基本電話。
話していてもペースは似てるし気が合う楽しいし楽。
むしろ向こうから『遊ぼう』『遊ぼう』って感じだった。
入会してわずか3カ月も経っていないのだが
『この人でいい』と、こちらも向こうも退会する段取りしていた。
それが、退会手続きしたころか、あちらが子どもからインフルエンザもらってダウンした後ころから
急に様子が変わった。おかしなくらい変わった。
あまりに具合が悪かったので世話しに行こうかって言っていたのだけど、結局行かなかった。
それでも、この後、直接会って話す機会があったのだが、様子が明らかに変。
それどころか急にパッタリ連絡がとれなくなった。
あとからわかったのだけど、この人、喧嘩別れというか相手の浮気で別れていて、このあたりでヨリを戻してた。そのへんの悶着に自分は巻き込まれてたのさ。
そう、そういうこと。
かなりはしょってはいるが、ザックリこういうことが、13年前にあったのです。
当時僕は大手レンズメーカー勤務の高卒。
これをきっかけに
松本に少しでも近いところへと、会社を挟んで実家と反対くらいの駒ヶ根にアパート借りて引っ越し、通信で大学入りました。
ここから4年弱、大学の関係で頻繁に東京に行くようになります。
通信制なので、いろんな年代、いろんな職業・・・いろんな人と会う機会ができました。
途中から、学生の支援組織学友会の会長もやっていて、学習指導など世話してたからなおさら。
いろんな人ともつきあいました。
ちょろっと話にだした恵美さんとは大学のときのつながりです。
そう、良くも悪くも僕の人生が大きく動き出したのがこのとき、これがきっかけだったのです。
で、話は最初に戻ります。
今回、見合いであった方とは、運命があるならば、会うべくして会った人だったのだろうと思います。
一緒になるとかは別として。
なんの巡り合わせなのか・・・と
初対面の相手の顔を見ながら、複雑な心境だったけど、そう思った。
要するに神様ってやつがいるのならば
『これをきっかけにかわりなさい』
そう言われてる気がする。
この見合い相手と話しているとき、おもわず
『なんであなたみたいな人に会わないんだろう』って言ってしまった。
相手を目の前にして『自分の行動パターンに問題があるのかも・・・な』なんてことも言ってしまった。
ほんと失礼なこと言ってしまったよ。
そう、今までの自分の行動パターンが、いけなかったんじゃないか・・・と思うのさ。
元嫁の異常なまでの束縛で元嫁以外との交流がほぼなくなっていたこの約5年。
あたらしく趣味やなんやで、集まりに入るようにしたり、積極的に呑みにいくとかしいて知り合いを作ろうかと思ってた。
でも、この人と話していて、やるべきことが違うんじゃないかと思った。
『今やるべきことは、自分の力を蓄えることじゃないのか?』
『刹那的な趣味や遊びで人を求めるより、資格やなんや勉強すべきなんじゃないか?』
・・・と。
強いて言うならば岐阜にいる高校の同級生ひとり以外、こちらには友達はいない。
非常に辛いし寂しい。
しかし、安易な知り合いを増やすより、後々の為に備えをすべきなのは明白。
いままででは、帰るのを常に待ち構えられていて、その後はずっと一緒。
休みはどこかしら出かけて常に一緒。
会社から持ち帰った案件でさえ、いつおわるのって待ち構えられてる始末。
自分の器量が足らないのもあって、なにもできなかった。
でも、こんな不安なご時世
今いる企業グループは世界一の優良企業(製造業)で、会社のグループ内におけるポジションはボディメーカーなので比較的上の方。
多くの下請け孫請けと比べたら好景気になったときの昇給やら手当てやら、ボーナスやら、上乗せは遅れるしすくないが、いざまるでなくなったらってときは、こちらのがまだマシで安定的。
ホント、リーマンショック後、孫請けさんとか週の半分休みで給料の保障もできもないってザラだったみたいだからね。うちもかなりひどかったが、それでもある程度まで保障されてた。
うちのグループ内での会社の待遇(平均年収)は偏差値50。
ト○タや、弟のいるデ○ソー、豊○自動織機、親会社のト○タ車体よりは待遇がかなり落ちる。
まぁ、うちのグループが倒れるときは日本全部が倒れてる事態だとは思う。だからしがみついた。
こういうこともあるかと想定して、孫請けさんとかいかなかったんですよね。
うちのグループには社会的責任から、ある程度まで海外へ生産移管があっても、そうそうなことではなくせないのは明らか。
でも、状況によっては統廃合やリストラはありえる。
そうそう簡単にはそういうことはできないだろうから、豊田や刈谷(愛知)や員弁(三重県)に行かされる覚悟はしてる。
そう、そういうことをやるとしたら、関連会社への出向や統廃合での他工場への異動で、そこへ行くのが嫌だったら・・・って選択肢になる可能性が高いと思ってる。
リーマンのとき、高速通勤で豊田まで仲間がいるし。
そうなったら1時間強の通勤覚悟ですよ。でも食い扶持があるなら良しと思ってる。
それが、うちのグループの川上川の社員の強みだと思っていたりする。
まぁ、こんな恐ろしいこと考えてるのは、僕くらいでしょうけどね。
というものの、ただ工員でいるのもいいと思えない。
このままだと、なにかあったときのつぶしがきかない。
今の仕事、本来は高卒相当の仕事。別にこれで最後まで暮らしていけるならばこれでも後悔はない。
しかし、自分は通信で卒業したとはいえ大卒なのだ。
できることならば、なにかあったときの備えの為にも、なんとかして活かさないと。
この手痛い見合いをきっかけに
こういうこと考えるようになったのです。
しかし、見合いについては積極的にするべきだと思う。
年齢だけは絶対に取り返せない。
子どもや家庭を考えたら、ここ数年、40前まではいろんな意味で絶対勝負の年で間違いないから。
後から恋がついてくるなら構わない。
しかし、恋ありきは絶対アカン。
冷静に必要とすべき人、パートナーを見極め、勇気をもって捕まえないと、今回ばかりはいけない。
いままでみたく、なんとなく・・・は絶対ダメってのは痛感してる。
今回ついたバツ・・・
条件としては絶対不利。風当たりは厳しい。
初婚で家がなかったら、相手探しなんて極めて簡単。でもこればかりは致し方ない。
でも、自分自身は、人としては、他と比べて劣ることはないとは思う。
当然劣ることもあるだろうけれど、トータルでみて劣っていることはないはず。
むしろ、紆余曲折してきた人生、人としての引き出しは多いはず。
紆余曲折してきた経歴を否定されたら、それは仕方ないがそのことに関しては絶対の自信がある。
紆余曲折した経歴に手厳しい人は多いのもわかっている。
高校→大学→(大学院)→有名企業or公務員
こんなまっすぐな経歴だけしか認めない。世にはそういう方もいるってだけの話。
モノ自体を純粋に見て評価せず、ブランドや店の名、価格でものごとを評価する人もいますからね。
元嫁の父がまさしくそういう方で、
ブランド品しか買わない。高級車しか買わない。
飲食店も大衆店には一切行かない。
車など大物の買い物でもまったく交渉しない。値切らない。
自分からしたらありえねぇ。
どんなに金持ちになったとしても僕にはできねぇよ。
人に対してもそうだったからね。
やっすいものでも、いいものはいい。うまいものはうまい。
高いものでも、有名店でもまずいものはまずい。
わけ隔てなく人やモノをみて、わけへだてなく評価して付き合おうという自分とは対極だね。
そういう方もいるってこと。
そればっかりは個人の自由。仕方ないね。
とにかく自分は負けないように、くじけないようにしないとね