私にとって「表現する(書く)」ということは

自分の想い、感情をしまってあるハートに手を突っ込んで

そこから一部を取り出して、両手に乗せて差し出している

そんな感じなのです。



断片的に浮かんでくる短い文章や単語

それらは、繋がっていないので、

まるでパズルのピースを1つ1つはめていくようにして

ゆっくり時間をかけて組み合わせ、練り合わせ

ひとつの文章にしていくのが、わたしのスタイル。

 

出だしが決まるまでが、一苦労

そして、何を書くかにもよるけれど

 

・情感、情景が見えるか、感じられるか

・1つの物語のような感覚で読めるか

・出だしからラストまでの流れが滞っていないか

・同じ言葉が続いていないか

(例えば、「思います」と書いたら、次の文章には入れない)

・行間や文字のバランス

etc、、、

 

といったことを、何度も何度も確認しながら書くし、

書きたいので、とても時間がかかります。

 

 

なので、

授業中の作文は書き終わらないこともしょっちゅうだったし

今でも、その場で書くタイプのアンケートや

リアルレポ的なものを書くのはとても苦手です。

 

 

幼いころは、家に分厚い童話集が

本棚にぎっしりありました。

(イメージ画)

 

 

小学生のころから、新学期になり

教科書が新しくなるたびに

国語の教科書はその日のうちに読んでしまう


だからといって

文章が上手に書けたか、といったらそうではなく

読むのはそれなりに早かったけれど

書くのはとても遅い子でした。

 

 

 

1冊、お気に入りの本に出会うと

その著者の作品をしばらく続けて読むので

推理小説にはまっていた中学生のころは

山村美沙、西村京太郎、シドニーシェルダン
 

大学、そして社会人になってからは
山田詠美、京極夏彦、森瑤子、宮本輝

 

登場人物の心の機微やストーリーの紡ぎ方

読後感、余韻、、

 

さまざまな形で、私の心を揺さぶってくる

作家さんたちでした。

 

 

特に、京極夏彦さんは

ほんの脇役だった登場人物が

次々回作で、大きな役割を持ってまた再登場したりと

伏線の張り巡らし方の壮大さ、構築のすごさに

私の中では不動の1位で大好きな作家さんです。
 

 

 

振り返ってみると

文章や文体のスタイル、作り方や言い回しなんかは

今まで好んで読んできた本の影響を

少なからずうけているなあ、、と。

自分の読書の歴史がつまっているもんですね。

 

以前から、

表現のバリエーションの多さもさながら

それをさらっと読ませる力がある人だなあと思っていた

(ときに、ご家族との短いおもしろショートストーリーがあったりして緩急のつけ方もうまい)

 

君塚由佳さん にこちらの本をいただきました。

 

 

 

読書感想文は、苦手なジャンルなので

君塚さんの記事を読んでね♪

なのですが(おい)

>>私だけの言葉を紡ぐ方法

 

文章メソッドとはあるものの

文章の書き方や手法、というよりは

伝えたい!と思ったものを、どんな言葉で紡ぐか

その源である感情や感性の磨き方、拡げ方を説いている。

 

といった感じかな。

 

言葉を大切にして自分の想いを伝えたい、表現したい

というタイプの人にはじわじわ~と響いてくる本です。


 

だからでしょうか

ちょっとした言葉の使い方、使う場が違う!って思うと

イラッとするのは(笑)

 

例えばSNSでの投稿。

「成功」を「成幸」と書いていたり

「頑張る」を「顔晴る」とか

 

こういう文字を目にした時点で、興ざめする。

(お友達とのやりとりの中で、

あえておふざけで書いているとわかるものは別です)


その瞬間に、その人の文章は

心に入ってこなくなります。

どんなに素晴らしいことを書いていたとしてもね。

 

 

文章には、特に自分の想いや、伝えたいことを

発信しているものにはその人がにじみ出ると思っています。

 

上手だなあと思う文章でも

読後感として、ものすごく人間味を感じさせる人と

どこか無機質に感じる人といる。

心にひっかからないというかね。

 

 

そのセンサーは、人間関係にも役立つ。

 

この人の文章が好きだ、と思う人とは

どこかしらウマがあうだろうし

そうでない人とは、、、、、、、、ね(笑)

 

好きだと思うのはどこか感性が近い部分があるから。

 

センスがいいな、言葉の紡ぎ方が面白いな、
美しいなあと思う人たちの文章を浴びまくるのは
自分の言葉を紡ぐのに一役買ってくれると思います。
 

 

そして、

ちょっとの違和感を無視しない

自分の直感を信じる

 

ふと、見上げた空に、、

お友達との会話で、、

誰もいない部屋で一人すごしているときに

雑踏を歩いているときに

誰かの作った何かを目にしたときに、口にしたときに、、、、、

 

 

その瞬間、感じた何かは

当たり前すぎて、スルーしそうになるものほど

実は、持ち得ている感性から

産まれているのかもしれないから。

 

まずは気付いて、認めることが

「丁寧」に生きることにつながるのかな。

 

私の場合、美味しいものは絶対にスルーしないけど(笑)

 

 

書くことも、どんな人と関係を作っていくかも

どんな風に生きていきたいかも

「自分」という人間を表現するうえでは同じなのかもね。
 


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