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物書きしたい。
誰が見ても見なくてもいい。
モノカキがしたい。
そういうブログ。

母親を早くに亡くした理子にとって、料理をするようになったことは至極自然なことであった。

料理は一緒に住む祖母が作ってくれていたが、理子は幼い頃からよく手伝った。

「パパ、美味しいって言ってくれるかなぁ」

父親に髪をくしゃくしゃされながら褒められるのが、理子は大好きだった。

そんな理子に祖母は根気よく料理を教えてくれた。

その甲斐あって、中学の頃には自分だけでもそれなりの料理を作れるようになっていたし、

時には気になるサッカー部の先輩に手作り弁当を渡したこともあった。

(その時の恋は見事に敗れ去ったのだが、ここでは関係ないことだ。酸いも甘いも青春なり。)


大手食品メーカーに就職が決まった時に一番喜んでくれたのも祖母だった。

「理子の料理が世界中の人たちに届くかもしれないんだねぇ」と涙ぐんでもいた。

厳密にいえば、理子が作った料理が世界中の人に届くことはなかったのだが、彼女の料理はレシピ本となり、世界に向けて発信されているので、当たらずも遠からずといえよう。


彼に出会ったのは、そんな優しい、理子にとっては母親も同然の祖母が病気で亡くなった翌年であった。

理子は社会人4年目。

ちょうど仕事も覚えて、また、祖母の喪失感を埋める為に仕事に没頭していた時期でもあった。

どうしても、と人数合わせで連れていかれた合コンで彼と出会った。


彼は特段イケメンというわけでもなかったが、体育会系らしく短髪でさわやかな印象だった。

ただし、理子を惹きつけたのはその第一印象ではなく、彼の見事な食べっぷりだった。

彼は自分の前に女の子がいることなどあまり気にしていないようで、

余った食べ物を見つけるや否や、「これ食べていいすか?」とほぼ有無を言わさずに平らげた。

後で彼は「あんなに安くて美味しい居酒屋があるなんて知らなかったぞ」と興奮気味に理子に言ったが、

もちろんその店はこちらの幹事(つまりは理子の同期だ)が用意したものである。


彼が夢中に食べている様子は、理子にはどこか新鮮だった。

なぜだろう、人が食べている姿なんて毎日毎日見ているというのに。

こんなに美味しそうに食べる人は見たことがない。


合コンは何もなく終結したが、しばらくして、理子は自分にとって料理を作ることが仕事になりすぎていたことに気づいた。


新しいレシピを考えては作る。

作っては食べ、また、さらなる改良をする。

家でも父親を相手に新しいレシピを試しては感想を聞く。

最近はその繰り返しだった。


けれども、料理は美味しいことがすべてではない。

大切な人に美味しいって言ってもらいたいから。

大切な人に喜んで欲しいから。

大切な人に褒めてほしいから。

だから、料理を作りたいのだ。


理子はありがとうを言いたくて、彼を食事に誘った。 

それが二人のなりそめ。


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今回もモデルはいますが、実際のモデルの生い立ちとは随分違い、僕の創作となっています。



「あなた、変わったわ。


 随分と優しくなった。


 けど、迷って、焦っていたあなたのほうがずっと人間らしかったわ」




君が僕のもとを去った。


僕が就職して1年経った春の出来事だった。




僕らの出会いは大学の時にさかのぼる。


法学部のゼミに入った時、みんなが浮かれてはしゃぐその脇で微笑んでいたのが君だった。


僕も浮かれている一人だったけれど、その時の君のことはすごくよく覚えている。


なにしろ、その時から僕は君と近づくチャンスをずっと探し続けることになったのだから。




夏になり、秋になり、クラスの友達よりもゼミの仲間と過ごす時間が長くなった頃でも、君は話題の中心に上がることはなかった。


けれども、常に、みんなに、特に男子からは密かに視線を集める存在だった。


もちろんツヨシもコータも。


僕は二人の視線が強すぎて君に穴が開くんじゃないかと心配していたけれど、


君がいつの間にか耳にピアスをしていた時には、あぁやっぱりね、と思った。


僕はといえば、君を見つめることなんて絶対にできなかったのだけれど。




僕らは何度かニアミスしたけれど、ついに卒業まで僕がチャンスと思えるほどのチャンスはなかった。


君もツヨシもコータも就職を決めていくなか、僕は弁護士を目指して大学院に進むことにした。


僕はその頃、法律の仕組みが面白いほどに理解できるようになっていて、実際に成績だけでいえば、


そのゼミの中では1位、2位を争っていた。


そのうえ、ディベートクラブに入っていたこともあってか、随分とはっきりと物を言える人間になっていた。


今思えば、それも気が大きくなっていただけかもしれない。




大学院での勉強は想像していたものよりもずっとつらいものだった。


大学でいい成績をとることと司法試験でいい点数をとることは、違うようだった。


いつの間にかまわりには追い抜かされ、ついていくのでやっとだった。


なんとか挽回しようと頑張ったつもりだったけれど、まわりとの差は広がるばかりだった。




そんな時、ゼミの同窓会の帰りに、君を呼び止めて告白したのも、勉強から逃げる口実だったのかもしれない。


それでも、まさかと思ったけれど、君はOKしてくれた。


「なんだか守ってあげたくなっちゃったのよね」と君は後で言っていたね。




そのことを伝えたときのツヨシとコータの顔はおかしかった。


二人ともまんがみたいな顔になっていたんだ。




二人は卒業後も3か月に一回は飲みに誘ってくれたし、お金も払わせてくれなかった。


ありがたかったけれど、どこか社会人との違いを見せつけられたようで本当は嫌だった。


ツヨシがアメリカに留学することを決めたときにも、コータがベンチャーに転職を決めた時も、僕はあまり喜んであげられなかった。


僕がまだ大学院で、収入を得てもいないすねかじりなのに、二人が安定を蹴って、次のステップに飛び立とうとしているのは、許せなかった。


僕の方が成績がよかったはずなのに。


君を捕まえたのは二人じゃなく僕なのに。


そんな思いをよそに、二人は僕を放っておいてくれなかった。


二人が語る希望を、意地悪に批判するのが僕の役目になっていた。


そうして僕が司法試験をあきらめてなんとか就職を決めた後、二人からは飲みの誘いはなくなった。




君も、ツヨシもコータも。


僕が嫌いな僕を好きだったのかもしれない。




就職して1年。


僕は10キロ太った。


社会人をうまくやっていく為にニコニコと愛想を振りまくようにもなった。




僕はいま周りからは仏と呼ばれている。





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今回から新たな試みとして知り合いの誰かをイメージしてプチ小説を書くという試みをしています。


失礼があるかもしれませんが、これも古庄の為と思ってご了承ください。

さて、今週は中締めお題である、死生観について、を書いていきます。

なかなか重いテーマですが、生きている以上は避けずには通れない、そんなお題なのです。

"死ぬことについて考えることは、即ち生きることについて考えることなのだ。"

少し過激な内容になってしまうので、読みたくない方はどうぞここでやめておいてください。


さて。いきなりですが。


僕は死んだように生きるくらいならば、死んだ方がよいと思っている。

毎日、何の目的もなく、将来に何の希望を持つこともなく、生きる。

そんなのは正直にいって、つらいこと以外の何でもないし、そんな状況の人が仮に近くにいたとして、

「生きていれば何かいいことがあるって」

なんて空っぽの言葉をかけることはできない。


僕が医者だとして安楽死を望むおじいちゃんがいたならば、そっと協力しちゃうかもしれない。


だから、逆に、生きているように生きれている以上は、希望を持っていてほしい。

将来に希望をもって、何かを成し遂げたいという意欲をもって生きていてほしい。

なんとなく生きているなんてやめてほしい。


森山直太朗"生きていることがつらいなら"

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=f3cvboHrUoI



僕の近くに死神が来た瞬間。


おじいちゃんは僕が10才くらいの時に死んだ。

死ぬってことが全然わからなかった。


18くらいの時。中学の同級だった彼がバイクの交通事故で死んだ。

知っている人がいまこの世にいない。

なんだかとても不思議な感じだった。


おじさんが僕が20才の時に死んだ。ガンだった。

驚いた。

まだ50才になったばかりのおじさんが家族を残して死んだのだ。

お見舞いに何度か行った。

おじさんは最後まで美味しいものが食べたいといろんな美味しいものを取り寄せては食べられるようすりつぶして、美味しそうに食べた。

生きるってことは美味しいものを食べることかもしれないと思った。

自分は必死に生きなければならないと思った。

おじさんの分というわけでもないけれど、生きている以上は頑張らなくてはと思った。

翌年、会計士試験に合格した。



初めて死を考えたのは、それこそジャミラの授業だったかもしれない。

塾高の名物教師。

ウルトラマンに出てきた怪獣ジャミラ。

彼はもともと地球人であり、宇宙飛行士であったわけだが、不時着した水のない惑星で適応し、怪獣となってしまい、救助を出さず、見放した地球人に復讐をする。

そんな悲しい運命をたどったジャミラに感銘を受けたらしいジャミラによる死生観に関する授業が週に一回あった時期があった。


死を受け入れるための5段階、やらの説明を受けた。

その頃ちょうどミスチルにハマり始めた時期で、歌詞の意味を理解しようとしたりした若い時期だったわけで。

この曲に出会った。

"いつでも微笑みを"

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=oNHgmgbjJik


死神はいつ僕の首を取りに来るかはわからない。

病気ならばジャミラに教わったように死を受け入れていける時間もあるかもしれない、

けれど急な不幸があるかもしれない。


神戸で、そして福島で地震/津波による被害がたくさんでた。

この東京だっていつ大地震に見舞われるかはわからない。

僕自身、いつ死んでもいいように生きていたいと思ってる。


一方で、死に引っ張られる時間よりも生に引っ張られる時間を大切にしてほしいと思っている。

生きている人は死を深刻に考えるべきでないと思っている。

死んだ人とはもう二度と会えない。

疎遠になった友人とはもう二度と会わないかもしれない。

両者の間に実は大きな違いはないんじゃなかろうか。

そうか、あいつは旅立ったか。

それくらいに思うくらいが、残された僕たちにはちょうどいい。

そう、微笑むことも忘れずに。


夢をもって生きて。

微笑んで。


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死生観って何を書けばよかったんだろう。

これで合ってる?合ってるよね?


待たれよ、次号。