WRITE ABOUT

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物書きしたい。
誰が見ても見なくてもいい。
モノカキがしたい。
そういうブログ。

Amebaでブログを始めよう!

気づけば最後の更新から半年も経っている。(書評を除いて)

これは由々しき事態である。

もちろん考えるべきことは日々考えているのであろうが、頭の中で考えているだけではどうしても近い将来のことにしか目がいかない、近視眼的になる。

思考を整理するためにも「書く」ということがやはり大事だ。

だから今日という今日は書こう。

幸い台風が来るということで遠出することもないのだから。

テーマは働くことやそれに関する全般について。


9月のシルバーウィークに遅めの夏休みをとって、実家に10日間ほどいた。

その間一度も雨に降られず、親父と3日ゴルフに行き、家族と1日ドライブに行き、わざわざ兵庫まで来てくれた彼女と友人と1日ずつお出かけし、残りの4日をのんびりと過ごした。

ゴルフの日以外は毎日のように走り込み、体のキレも随分戻った。

実に充実した夏休みであった。

10日もあれば旅行に行けばよかったのに!と周りは言うけれど、個人的には旅はそこまで興味がない。

もちろん刺激を受けに違う環境に身を投じる必要はあるけれども、だからといってドコソコ行って、それから次はドコソコ行って、というような旅はしたくない。

それよりは一週間同じ場所に滞在して、特に何もせずに普通に生活してみる、そんな旅が好きだ。

リゾートなんかで朝からプール入って、疲れたらベッドに横になって読書してまどろんで、起きたらまたプールに入る、そんな旅がいい。

旅の為の旅は嫌なのだ。


さて全く働くことについて書いていないが、これから書くからご安心を。

まず田舎に帰って感じたことは空が広いこと。(待て、焦るな)

東京の空は狭い。

いや実際には広いのだろうけど、建物が立ち並び、また地下鉄に乗って通勤するような毎日を過ごしているとなかなか空を見上げる機会がない。

だからといって僕が言いたいのは「みんな!たまには空を見上げようよ!」ということではない。

空の青さも感じられないような生活ってどうなんだってことだ。

もちろん東京でしか得られない何かはあるだろうけど、そこまでして東京に固執する必要はない。

ベースは田舎に住んで、週に数日は東京に来る、くらいの生活ができないかってことだ。

今の職場のシステムじゃそれは容易じゃないけれど、そのシステムを変えられたら?変えられないとしたら、例えばそれができるような職場に転職したら?

あるいはもう完全に東京を離れることだって考えれないことはないかもしれない。

これだけネットが発達しているし、僕の仕事なんてパソコンで情報のやりとりができて、時たま電話で確認するくらいで仕事はできるのだ。


家族の問題だってそうだ。

東京で働くために地方から出てきた場合に(僕の場合は若干事情は違うけれども)定年するまでは東京にいなきゃいけないのだろうか。

家族なのにお盆とお正月の2回しか会わないというのはどういう事なんだ。

仕事だからしょうがない?

そんな時代はもう終わりなんじゃないのか。

はて、僕は甘ちゃんなのか。

甘ちゃんだと言われるなら甘ちゃんを貫いてやろうかと思う。

職ならどこにだってあるのだ。


さて、仕事の内容についても書いてみよう。

最近、少し面白い仕事ができてきている。

詳細は書けないのだけれど、与えられた仕事というよりは、自分で考えていける仕事だ。

本来、仕事とはこうでなくっちゃいけない。

現代社会の仕事は与えられるものがほとんどである気がしている。

というより、大企業の仕事は全部そうなのではと思う。

全ては上層部の数人が決めたことを他の大多数の働きアリが仕事を分け合ってそれだけをこなしているわけだ。

このタイミングで上司が変わってあるべき方向へ転換してきている自分はやはりツイている。

まずはやれるだけやってみよう。


仕事以外にもチャレンジしなければなるまい。

最近、そういった活動は随分長い間お休みしてしまっていた。

次の仕事につながる何かを見つけられるかもしれない。

もちろん見つけられないかもしれないけれど、何もしないと見つからない。


まずは一杯のカフェラテを売ってみることから始めよう。

 [ネタバレ注意]

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この「春の庭」という作品、一言でいえば実に何でもない作品である。小説にお決まりのものすごい事件が起きるわけでもなく、またドラマのようなラブロマンスもない。描かれているのは日常の延長程度の小さな冒険である(いや、小さな冒険ですらないかもしれない)。それでもこの作品には心に何かを残す力がある、ように思うし、芥川賞に選ばれるだけの何かも持っているのだ。

 物語は、主人公の太郎が、同じアパートに住む「辰」室の住人、西がアパートの隣にある水色の壁をした洋館をベランダからスケッチに取り、またその洋館の周りをいかにも怪しげに歩いているのを目撃するところから始まる。ここまで聞くと賢明な読者は事件の匂いを敏感に感じ取っただろうが、そうはいかない。事件は起きないのだ。聞くと、西はその水色の家を昔に写真集で見て、一度でいいから家に入ってみたい、叶うならば写真集で見たあの緑色のタイルの風呂場を見てみたいと言う。訝しく思う太郎を余所目に西は水色の家の住人と仲良くなり、家に入ることに成功する。だが、なかなかお目当ての風呂場に入るチャンスがない。そこで西は太郎に協力してくれるよう頼むのだが…

 

上記のストーリーには直接は関係ないが、この小説の背後には、父の死と家の死が大きなテーマとして横たわっている。そしてこのテーマが底流にあることでストーリーに不思議な重みを持たせている(ような気がする)。

小説の最後、太郎は父の遺骨を散骨する為に使ったすり鉢と乳棒を、住人が引っ越して、死を迎えた水色の家の庭、梅の木のもとに埋める。10年間の間、父がいたこと、そして父が死んだことを忘れない為に、ずっと食器棚に入れておいた、父の細かい骨が付いたすり鉢と乳棒を。きっとその骨が梅の木の栄養となることを信じて。

僕も4度(多分)親族の葬式に出たことがあるが、骨というものは、なぜ、ああも悲しい白をしているのだろう、と思った覚えがある。人が一人この世からいなくなって悲しみにくれているところに追い打ちをかけるあの白(…カラフルな骨が残っても、それはそれで空気読めてない感じがするけれども)。けれども、骨を埋めることで、人はある種のあきらめをつけられるのかもしれない。太郎も10年を経て、ようやく父の死を受け入れられたのだ。

そして、家の死。文中では、主人公が住むアパートが立退き後、取り壊される予定であったり、空き家だった水色の家に再び一家が住みだし、家が生き返っていく様が描かれている。実際、空き家も風を入れてやるとか手入れをしないとどんどん朽ちていくという。主がいなくなったから、なんていうとちょっと素敵だけど、実際は空気が澱むとカビなどの菌が家を蝕むからだそう(真実は知らない方がいいこともある)。ともかく、家ですら永遠でないってのは頭では分かっていても、なんだか寂しい。

人は死ぬ、住まれなくなった家も朽ちて死んでいく。それじゃあ、僕らは何に希望を見出せばいいのか。それはやっぱり新しい人が生まれ、新しい家が建てられることなのじゃないか。僕の住んでいるこの家の土地には、何人の人が住んできて、何回家が建て替わったのだろう。そんなことを考えさせられながら、ストーリーは淡々と流れていく。明るい小説が好き!という皆様もお盆くらいはこんな繊細な作品をご一読してみてはいかがだろうか。

「ついにここまできましたね、社長」遙ちゃんが感慨深そうに言った。見ると、目にはうっすらと涙を浮かべている。律子は、相変わらずかわいいなぁと場違いにも思ってしまう。世の男子諸君、美少女には涙も似合うのだ。

「そうね。ありがとう、遙ちゃん。本当に感謝してる。…っていうか、店長なんて呼ぶのやめてよね、恥ずかしい」と私。

「えー、だって本当に店長じゃないですかぁ」もうセンチメンタルモードはどこへやら、いつもの遥ちゃんだ。この子といると本当に楽だ。

「確かにそうだけど、恥ずかしいでしょ。今まで通り、リコさんでいいわよ」

「はいはーい、リコさん店長ぅ」

「もう。さぁ、明日はオープンなんだから今日はもうあがりましょ。軽く飲みいこ!」

「やったぁ、前祝ですね」

明日、自由が丘の駅前に私たちの本屋がオープンする。

本屋といってもカフェも併設されたブックカフェで、カフェでは専属のバリスタも雇い、本格的なカフェラテを飲みこともできる。

ずっと夢だった私の本屋だ。

遙ちゃんは会社の後輩で、プロジェクトが決まった時、まっさきに手を挙げてくれた。

このオープンにこぎつけるまでの間、この子の明るさに私がどれだけ救われてきたことか。

「かんぱぁい!」

女子ふたり、なみなみと注がれた中ジョッキを勢いよく胃に流し込んでいく。

二人はもはや行きつけとなった、新店舗から近い居酒屋に来ていた。

「かぁ!仕事終わりのビールは最高だぁ」遙ちゃんはその姿に似合わぬビール党だ。

そのギャップがまたかわいいと思えるのは私がおばさんに近づいているからだろうか。

「明日オープンだなんて夢のようですぅ」遥ちゃんが目をキラキラさせる。

「本当よねぇ。やっと社長に恩返しできるわ」

「ですねですね!!そういえばぁ、ずっと聞きたかったんですけどぉ、リコさんと社長ってどういう関係なんですかぁ?」

「あれ、まだ言ってなかったっけ?そうかぁ。私ね、前職の時に起業を目指す人の集まる社会人サークルに入ってて、そのサークルの飲み会で、そう、ちょうどこんな感じの居酒屋で社長に拾ってもらったのよ。その日のサークルで社長が講演しに来ててね、その後の懇親会で誘われたのよね」

そう、あの時。

私の人生は変わったのだ。

起業したいという気持ちは昔から漠然と持っていた。純粋に自分で何から何まで決めれるなんて、どんな素敵なことだろうと思っていた。


けれど、その頃の私は「起業することが目標!」って言い張って、周りから「かっこいい!」「リコちゃんてスゴイ!」ってちやほやされるのが気持ちよかっただけだったんだ、と今なら分かる。

自分は周りとは違う、特別な存在なんだと自分に信じ込ませていただけなのだ。そうでもしないと生きられなかった。

その癖、起業の為に、資格を目指すとかスキルアップするとかは一切していなかったのだから、全く、都合がいい。

起業サークルは正直にいって、そういう人たちの集まりだった。

本当に起業する人はごく一部で、ほかの大多数はベンチャーに関わっているという得体の知れない優越感に浸っていただけだった。

私は、自分には何にもできないことを誰よりもよく知っていた。

懇親会で社長は「あなたはどういうことして起業したいの?」と近くに座るメンバーに話しかけては、メンバーが語る事業プランに耳を傾けていた。

実務でバリバリ活躍している社長からすれば、メンバーが話すプランは薄っぺらい、理想だけの詰まった、流行りのプランに聞こえただろう。

それでも社長は否定もせず、的確なアドバイスをしていた。

私はその様子を見ていて、いてもたってもいられなかった。

こんなちゃんとした人に私たちの何の身もない話を聞かせるのはひどい罪悪感だった。

社長がグラスを持って席を立った時、嫌な予感がした。

「来ないで!」と瞬間的に思った。

けれども、社長は私のテーブルに座り込み、また同じようにメンバーに事業プランを話させるのだった。

後から聞いた話だけれど、社長は実際、若者の事業プランを聞くのが好きだそうだ。

「若者のプランはもちろん荒削りだし、実務のことなんかまったく考えられていない。でもアイデアはいい。それを実務に落とし込むのは私たちオトナが助けてあげればいい」のだそうだ。

そんなことも知らない私は、私の番が回ってくるのを戦々恐々として待つしかできなかった。

そうして「あなたは?」と社長に聞かれたときに。

「私には何にもありません」と消え入るような声で言った。

「何にもないのに、起業サークルに入ってるの?」

「何にもないけれど、起業したい気持ちは本当だと思うんです。…たぶん」

出来ることならば本当に消えてしまいたかった。穴があればもちろん入りたかった。

「そうなの。じゃあ、それが見つかるまでウチで働いてみない?」社長から誘われたのはこの時だった。

「へぇ!それで社長のもとで修業していたってわけですか!」遥ちゃんの大きい目がこれ以上なく大きく見開かれていて、私はうっとりしそうになる。

「修業っていうかお手伝いって感じだったけどねぇ」

「でもちゃんと起業にこぎつけたじゃないですかぁ!リコさん、すごいなぁ。社長に恩返しするためにも明日からもガンガン働きましょ!」

社長のもとで働くようになってから少し経った飲み会で、社長はこんなことを言ってくれた。

「人には向き不向きがあるでしょ。それは起業も同じ。初めから一人でできちゃう人もいれば、何度も失敗してようやく成功する人もいる。そうして、あなたみたいに何をすればいいか分からない人もいる。みんな、やり方は違っていいのよ。少なくとも、何もないって言ったあなたがあの中では一番信用できると思ったわ」

社長のもとで働いてるうちに色んな実務を覚えて、それでいて矛盾するけれども、何も知らなくてもいいのだということが分かった。

分からないことがあったら、知ってる人に聞けばいい、それだけなのだと。

「ようし!明日からの成功を祈って、もう一回乾杯しよう!」

「何回目ですかぁ!かんぱぁい!」

かつん!という大きな音が店内いっぱいに響きわたった。