ACT8 再生
そこは、遥かな宇宙空間だった。
静かではあったが、暗くはない。穏やかな光の満ちる、星のない宇宙であった。
そこに一人、猛が横たわっている。
遠くで微かにこだまする潮騒の音を聞いているのかいないのか、全てのものが浅いまどろみから覚めようとする今になっても、彼だけは、微動だにせず横たわっていた。
寄せては返す波の音。その音に混じって、パタパタと小さな足音がする。子供の足音だった。
(ねぇ、おにいちゃん、おきて、おきて。いつまでねているの? もうみんなめをさましたよ。ひとりだけねてるなんて、おかしいよ、おにいちゃん。)
側にやって来た小さな男の子は、やはり小さな手で、猛の頬を無邪気にピタピタと触ったが、猛はピクリともしなかった。
(猛! こんな所にいたのか。)
その傍らに、一つの影が、するり、と降り立った。剛也であった。
(このおにいちゃん、へんだよぉ。ぼく、おきてっていったのに。ちっともめをさまさないよ。)
見上げる無垢な瞳を優しく見返して、剛也は言った。
(いいんだ。色々あって、こいつはちょっと疲れてるんだ。でも心配はいらない。あるおねえちゃんが起こしに来たら、ちゃんと目が覚めるから。)
(ふうん。)
幼い瞳は、よくわけがわからないという光を剛也に投げ掛けた。
(ねぇ、そのおねえちゃん、びじん?)
(フフ。)
覚えたての難しい言葉を頑張って使ってみました的なその得意顔が可愛くて、剛也は微笑んだ。
(そうだな、とっても綺麗な人だよ。こいつは、その人のことが好きなんだ。)
(そっか。あいたいんだね。)
幼子は、初めて納得したように頷いた。それがとても愛らしかったので、剛也は、思わずその頭を撫でた。
(さあ、もうお母さんの所へ行っておいで。)
(うん!)
剛也は、母の姿を探して一直線に宇宙を駆けてゆく小さな光を、ほのぼのと見送った。
(剛也くん!)
それと入れ違いに、一つの光が剛也の元へ届いた。
(美央!)
剛也は、両腕を伸ばして、翔んで来る美央の体を抱き止めた。美央は、ためらいもなく剛也の胸に飛び込んでから、横たわっている猛に視線を移した。
(猛くん……。疲れているのね。)
(生真面目な奴だからな。自分を責めているんだろう。)
故郷の星と大切な仲間たち、そして愛する人を守ることができなかった、その後悔と哀しみに、猛は沈んでいる。二人は、少し辛そうな目をして、猛を見つめた。
(でも、大丈夫。ほら、皆が来る。舞も、もう来るわ!)
美央は、そう言って、遥かな宇宙を見上げて指差した。
幾つかの新たな光が、暗い宇宙を横切って翔ぶ。それらの光は、遥かに時空を駆けて、次々に猛の側に降り立った。
それは、飛翔と唯子であり、独と麗であった。
恭一郎であり、涼たち戦闘隊の仲間であった。
土方であり、佐渡であり、徳川だった。
そして、ルーナンシアのレムリアであり、ティアリュオンのアルフェッカと隼人でもあった。
皆一様に、少し心配そうに、だが、明るい顔で猛を見下ろしている。
宇宙に歌が響いた。
それは、宇宙に存在することを、宇宙に愛されることを喜びとする、生命たちの歌。舞が歌う、高らかな誇らかな歌だった。
(ああ、舞が来る。ここよ、舞!)
美央が手を振った。
暗い宇宙に光を撒いて、生命たちを眠りから覚ましながら、舞が翔んで来る。
(猛さん……。)
舞は、ふわりと降り立つと、猛の顔を見つめ、身を屈めてその冷たい頬に触れた。まだ涙の跡を微かに残す頬のその冷たさが、猛の絶望と悲しみを表しているようで、舞は、微かに眉根を寄せた。だが、それこそが、全てのものを再生へと導く原動力となったのだ。
(大丈夫よ、猛さん。もう何も心配はいらないの。だから、目を覚まして……。)
舞は、そう囁くと、猛の唇にそっとキスをした。
(う……。)
柔らかく温かい舞の唇のその温みが、水面の波紋のように次第に猛の全身に広がり、彼を冷たく暗い意識の底から引き上げた。
(猛さん。)
呼ぶ声に猛が目を開けると、その目の前で、舞が穏やかに微笑んでいた。
(舞……。)
もう二度と会えぬと思っていた舞の笑顔。猛は手を伸ばし、それをゆっくりと抱き締めた。
(もう終わったわ。そして、また始まるの。あなたが宇宙に暁を呼んだのよ。)
猛に抱き締められながら、舞がうっとりとそう告げた。
(猛。)
(猛!)
その周りで、懐かしい仲間たちが、口々に呼び掛ける。どの顔にも翳り一つなく、彼らが笑うたびに、水晶が弾くような透明な光が宙に散った。
失われたはずの大切な者たちが、蘇って笑い掛ける。その事態がまだよく飲み込めずに、猛は、茫然とした表情で身を起こした。
(猛。あなたも皆も、本当によくやってくれました。信じていましたよ、私は……。)
レムリアが艶やかに微笑んだ。
(猛。お前のお蔭だ。俺は、また唯子に会えた。)
飛翔が、唯子の肩を大事そうに抱いて、そう言った。
(猛。何も力になってやれず、すまなかった。)
もう長いこと会っていない兄がそう言った。
(兄さん。)
猛は、立ち上がって、兄の精悍な顔を見つめた。この兄の前では、いつも幼い弟に還る猛である。
(だが、お前に言うことはもう何もない。俺は、お前の兄であることを誇りに思うぞ。)
そう言って、隼人は、寄り添う妻と共に笑った。
土方や徳川、佐渡の面々も、無言の笑顔で猛を見守っている。
いつしか、集まった思惟は融け合い、緩やかに広がって行った。
だが、その繋がりの暖かさと優しさが、猛には苦しい。命を懸けて自分を信頼してくれた仲間たちの期待に応えることができなかった、その悔いと絶望は、猛の胸に、針のように鋭く突き刺さったままでいる。
(ごめん。皆……。結局、俺は、皆のために何一つできなかった……。)
猛が言葉少なにそう詫びると、
(何を言ってるんだ、猛。お前のお蔭で、俺たちはこうしていられるのに……。)
と、恭一郎が快活に笑った。その横で、
(まぁまぁ、猛は今目覚めたばかりなんだ。いきなりは理解できんさ……。)
と、涼が取りなし、
(そうだな。だが、すぐにわかる……。)
と、他の戦闘隊員たちが言い交わす。
仲間たちの不思議な会話を理解できずに、猛が黙って彼らの笑顔を見つめていると、
(猛さん、見て。夜明けよ!)
と、舞が彼方を指差した。
宇宙の地平に光が差す。
暗い宇宙がみるみるうちに茜色に染め上げられ、続いて、燦然と照る太陽のような金色の光が、地平線から姿を現した。
それは金の星である。
さらに幾多の光を引き連れるようにして、黄金の光は急速に上昇して行く。その上昇と共に、星々は光を取り戻し、再び宇宙をとりどりの色で彩り始めた。
(あれはイルーラ……、金の娘よ……。)
光に向けて手を掲げ、舞が言った。
(今度は、彼女も、己の使命を果たしてくれるでしょう。)
同じようにそれを見上げながら、レムリアが言った。蘇った星の光を横顔に受けて、仲間たちも、光の行方を仰ぎ見る。
猛は、そうした光景をぼんやりと見つめていたが、皆の神々しいまでに明るい、明る過ぎる、幸せそうな顔に、ふと、怒りを感じずにはいられなかった。
(死んで幸せになどなれるものか!)
自分たちは、人として、生きることを、その幸せを、不当に脅かし、奪い去ろうとする者と戦って来たはずだ。
それを果たせず、死んだ後で皆に会えたからと言って、何の意味があるのか?
それが何の幸せなのか?!
その怒りが、稲妻のように宇宙を走り、光と雷鳴とを轟かせた。その激しさに、仲間たちは、少し驚いたように猛を振り向いた。
(そうね、猛さん。)
舞がクスリ、と笑った。
(その通りですよ、猛。)
レムリアも、満足げに笑った。
(そうだな、猛。)
仲間たちも、頷いて笑う。その微笑みが、細波のように宇宙へ広がった。
(行きましょう、猛さん。)
舞が促した。
(行くって……。どこへ?)
猛が訝しげに問い返すと、舞は、悪戯っぽく笑って、それに答えた。
(決まってるわ。地球へよ。)
(地球へ……?)
地球は、敵の巨大戦艦によって、粉々に砕かれてしまったはずだ……。そう心配して、猛が、かつてその凄惨な光景を共に見たはずの剛也に視線を向けると、剛也は、
(大丈夫だ。心配するな。)
と、笑いながら首を振った。その隣で、美央が、やはり楽しそうにクスクス笑っている。
(猛さん、早く!)
もう一度舞に促されて、猛は翔んだ。懐かしい故郷の星に向かって。
仲間たちと、他の無数の光が、先頭をゆく二人に従った。ここでは、誰もが、心のままにどこへでも自由に翔んでゆけるのだ。
途中、銀河系をかすめるたびに、おびただしい光が謝意を述べて離れて行った。彼らもまた、愛する故郷へ帰って行くのである。そして、アンドロメダ星雲で、隼人とアルフェッカが名残惜しげに別れを告げた。
(来年、私たちの子が生まれるのよ。)
アルフェッカは、別れ際にそう言った。
(お前も叔父さんだな。)
隼人もそう言って、幸せそうだった。
(また会えるね、兄さん。)
(もちろんだ。会いたい時には、いつでも会えるさ……。)
二つの光がアンドロメダの星の渦の中へ消えると、なおも翔び続ける一行の前に、やがて美しく青く輝く惑星が現れた。
青き宇宙の女王、ルーナンシア。
破壊の限りを尽くされて、宇宙の藻屑と散ったはずのルーナンシア星が、昔と変わらぬ青い光を放って、そこにあった。
(猛……。舞……。)
レムリアは、慈しみのこもった瞳で二人を見つめ、愛しげに二人を抱き寄せた。
その微笑みには、逃れられぬ運命に傷つき、苦しみながらも、互いに手を取り合って、それを乗り越えて来た二人への労りが、存分に込められていた。
(暁のディオネよ、銀の娘レア・フィシリアよ。どうか幸せに。もうこれで、あなたたちに会うことはないでしょう。今の世でのあなたたちの使命は、終わったのです。遠い未来で、また会いましょう。)
女王レムリアは、祝福した。
(勇敢なる地球人たちよ。あなた方の未来に幸多からんことを、心から祈っています!)
そうやって別の宇宙に生きる人々と別れながら、地球を故郷に持つ人々は、風のように時空を翔んだ。
やがて、目の前一杯に、見慣れた銀河の渦巻きが広がった。宝石を撒いたような星々が、輝きを競いながら、彼らを出迎えている。
(見て、猛さん。私たちの銀河よ……。)
なんて美しい。
舞が、猛の肩にもたれて、夢見るように呟いた。
そこには、全てのものを祝福する鐘の音のような、生命の歌が高らかに鳴り響いている。
(急ぎましょう、地球はもう目の前よ。)
生命の歌に送られて、光の流れは星の渦へ突入し、さらに一万光年の時空を翔んで、懐かしい太陽の側へたどり着いた。
(ああ、地球が……。)
遂に目の前に現れた、青く輝く惑星の姿に、猛は目を見張った。
ほの暗い宇宙空間に浮かぶ、青い宝石……。
それは、元の姿のままの地球だった。彗星帝国に二つに割られ、木っ端微塵に破壊されてしまった形跡は、全くない。
光は、うっとりとその青さに見惚れると、雲を抜けて降下して行った。