ACT6 コンタクト

 イルーラは、久し振りの自分の部屋で、ゆったりと椅子に身を沈めていた。金の星捜索のために彗星を出て早数ヶ月、この部屋に戻るのは、本当に久し振りである。
 彗星の中に割り当てられた彼女の部屋は、広く、調度なども、豪華でかつ重厚な気品に満ちたもので統一されていた。それらは、彗星帝国がこれまでに侵略した文明から略奪した物なのだが、イルーラはそれを知らない。
 彼女を彗星深部のこの部屋まで自身で送り届けたアシュレイは、ようやくホッとしたように笑顔を見せた。そして、未だ不安げな表情を消さぬイルーラに、
「案ずるな。いかに銀の娘でも、ここまでは来られぬ。すぐ戻る。」
と言い残すと、グレゴリウスらにこれまでの経緯を報告するため、部屋を出て行った。
 イルーラは、服を着替え、豪華な刺繍が施された椅子にぼんやりと座っていた。頭がぼうっとして気だるく、何をする気力もない。ルルスに入った後はいつもこうなのだが、今日は、その上に頭痛がして、特に気分が悪かった。
(お姉様!)
 風のようなその声が、イルーラの脳裏を駆け抜けて行く。確実に己に触れて行ったその声が、イルーラの中でいつまでもこだまし続けていた。
 必死の思いが込められていたあの声は、誰が発したものだったろうか?
 すぐそこにいた、己を呼び続けた者。自分を姉と呼んだ。
 やはり、会うべきだったのか?
 しかし、こうして彗星に戻った今、二度と再び会う機会が訪れることはあるまい。
(これで良かったのだ……。)
 イルーラは、自身にそう言い聞かせていた。
 呼んでいるのは銀の娘。己の過去に繋がる者だ。会えば、失われた過去が蘇る。
 だが、過去を取り戻せば、現実は捨てねばならないだろう。過去と現実が両立しないものだからこそ、過去の記憶は失われているのだ。それが、イルーラの直観であった。
 帝国がイルーラに要求するのはルルスに入ることだけ、それ以外は、何一つ不自由することはなく、必要な物は全て与えられる。しかし、心の平穏を与えてくれるのは、アシュレイだけだった。
 ただ一人、アシュレイの傍らに在る時のみ、イルーラの心は安らぎに満たされる。過去を取り戻し、現実を捨てるということは、すなわち、そのアシュレイを失うことと等しい。それは、彼女にとって、想像するだけでも恐ろしいことであった。
 脱出艇に移るために、自分を抱き上げたアシュレイの横顔を見た刹那、イルーラは、己が何者であるか知りたい、その欲求よりも遥かに高く、強く、アシュレイを愛していると知った。
 アシュレイを失うくらいなら、過去はいらない。現在と未来だけがあればよい。過去を思い出したところで、時は決して戻りはしない。やり直すことはできないのだ。ならば、現在とは相容れぬ過去など、取り戻さぬ方が良い。
 良かったのだ、これで。
 だが、そう思う側から、風のように声が駆け抜ける。そのたびに、体の奥深くから、目の眩むような懐かしさが込み上げて、イルーラの全身を包み込んだ。
 一体、この懐かしさは何なのか?
 己にとって、もはや必要のないはずの過去。そこに繋がる者の呼び掛けを、なぜこれほどまでに懐かしいと感じるのだろう?
 そうした疑問や思いがどこまでも追い掛けて来るのを疎ましく思いながら、イルーラは、それらを振り払うように首を振った。そして、深く息を吐き出すと、自分が自分でないような曖昧な瞳で、彫像のようにじっと座り続けていた。
 その時、ドアの外で何か微かな音がした。アシュレイが戻って来るには、早過ぎる。イルーラが不審げに顔を上げると、突然ドアが開いて、見慣れぬ人影が飛び込んで来た。
 一人は男、一人は女。
 そのどちらもが、縋るような、それでいて刺すような、鋭い視線をイルーラに向けた。
「誰?」
 イルーラは、さすがに姫と呼ばれているだけあって、立ち騒ぐことなく、鷹揚に顔を上げた。青い海の瞳であった。
(これが金の娘!)
 飛翔は、足を止めて、思わず息を呑んだ。
 輝くばかりの黄金の髪と澄んだ青い瞳。その美しさと、いかにも王家の姫らしい優雅な気品が、見えない力となって二人を圧倒する。
(女王レムリア! 力をお貸しください!)
 舞は、一瞬目を閉じ、心にレムリアの面影を描いて、短く祈った。そして、これ以上はないというほどの速さで打ち続ける鼓動を鎮めようと努めつつ、一歩進み出て、イルーラの青い瞳をはたと見据えた。
 二人の視線が絡む……。
(これが銀の娘……。私の妹?)
 誰、と問うた後で、イルーラは、強い光を宿した褐色の瞳で己を見据えるこの少女こそが、自分を呼び続けていた銀の娘だと直観していた。
 二人の着ている服は、カーレルのモニターでもチラリと垣間見た、ハヤトの乗組員の制服である。それが、彗星最深部のこの場所に現れるとは、それ以外にはあり得まい。それにしても、どうやってここまでたどり着いたのだろう?
 とりとめもなく思いながら、イルーラもまた、舞の瞳を穏やかに見返した。
 あれほどに会いたいと願った銀の娘。
 遥かな時空を経て、自分を呼び続け、揺さぶり続けた者。
 それが、いかにも闊達な、生気に満ち溢れた美しい少女として、目の前に立っている。
 しかし、それにしては、夢見ていたような感激も感慨も湧いて来ず、イルーラがやや落胆に近い思いを抱いた時、ヘルメットを外しながら、舞がまた一歩、にじり寄った。長い髪がはらりと落ちて、弧を描く。
「お姉様!」
 それは、舞の中のレア・フィシリアが発した言葉である。訴えるような、縋るような、必死のその表情に、懐かしい面影を見たような気がして、イルーラは、青い瞳をわずかに見開いた。
「私です。レア・フィシリア!」
「レア・フィシリア……?」
 イルーラは、おっとりと首を傾げた。初めて聞くはずのその単語が、柔らかく己の心の奥底に触れるのを感じたからである。
 レア・フィシリア。聞いたことがある。
 それはいつだったのか? 誰の名だったのか?
「そして、あなたはレダ・フィオリナ。私の姉上です。私はあなたの妹、私たちは姉妹なのです。」
 語気強く言い放って、舞は、イルーラを見つめた。
 生気に満ちる強い瞳。こんな瞳をまた、どこかで見たことがある……。イルーラがそう思った時、舞のレア・フィシリアとしての思惟がその瞳からあふれ出て、イルーラに向けてグングンと迫った。
「あ……?」
 様々な光を放ち、きらめく思惟の流れ。それに応えて、己の身の内に、別の意識が浮上しようとするのを、彼女は知覚した。
 同時に、昔見たある情景が、懐かしさを道連れに蘇って来る。
 深い緑の木立から差す、柔らかな木漏れ日。
 辺りに満ちる花の芳香。
 花々の中で、二人の少女が遊んでいる。一人は金の髪、もう一人は銀の髪。
 銀の髪の少女が、自ら編んだ花冠を掲げて、金の髪の少女を呼ぶ。いかにも闊達な、弾むような声で……。
「お姉様! レダお姉様……!」

 それは、遠い遠い昔のこと――。
 ある星のさる王家に、美しい双子の王女が生まれた。後に、星の、宇宙の、行く末を左右することになる、運命の娘たちである。
 レダ・フィオリナ、レア・フィシリアと名付けられた二人の王女は、同じ日に生まれ出でた双子であるにも関わらず、その容貌も性格も異なっていた。
 姉のレダの髪は、陽光のように輝く豪華な黄金、妹のレアの髪は月光のしずくと呼ばれた銀。
 気性は、その外見とは逆に、レダはおとなしく、慎ましく、考え深く、レアはおきゃんで活発、困難を打ち破る行動力に恵まれていた。
 二人は、生まれながらに特別な力を持っていた。己の意思で、または、エネルギー解放装置ラ・ムーの星を使って、空間に漂う微小なエネルギーを集積し、解放する能力である。
 ラ・ムーの星を扱える者は、時空にほとんど無限と言ってよいほどに存在するエネルギーを自在に操ることができるため、二人は、その大いなる力を己の欲望を達成するがために得ようとする者たちにとって、喉から手が出るほど欲しい存在だった。
 特に、姉のレダは、ラ・ムーの星を抜きにして、己の意思だけで、莫大なエネルギーを解放する力を持っていたために、執拗に付け狙われた。二人の行く末を案じた父王は、いっそ殺すべきなのか、とさえ悩んだ末に、二人を城から出し、森の奥深く、信頼のおける者の元に隠したのである。
 半ば幽閉されるように育った二人は、いつも、どんな時も、一緒に過ごした。悲しみを、苦しみを、数少ない喜びを分かち合い、お互いの気持ちが手に取るようにわかるほど、心が通じ合い、信じ合っていた。
 そうした二人の周囲で、様々な人々や出来事が巡り、時を経て、美しい娘に成長した二人は、遂に運命の時を迎えた。星を揺るがす大きな争いの渦中で、レダは、己の運命に従って、その偉大な力を解放し、そのために、姉妹は離れ離れになったのである。
 しかし、遠ざかってゆく相手に向かって、二人は誓い合った。
 時の彼方で、必ずまた会うと……。

 金の娘レダと銀の娘レア。
 その数奇な運命の詳細は、また別の長い物語に譲るが、それ以来、二人は、宇宙の歴史の節目に必ず現れて、出会いと別れを繰り返しているのである。

「思い出した……。」
 微かな吐息と共に、イルーラが呟いた。
「お姉様!」
 舞の中のレア・フィシリアが、歓喜の声を上げる。
「私はレダ・フィオリナ。大いなる金の力を司る者……。」
 イルーラは、はっきりそう告げると、舞に向かって微笑み掛けた。
「ずっと私を呼んでいたのは、あなただったのですね。レア。私の妹……。会いたかった。」
 いかにも懐かしげな表情で、イルーラは立ち上がった。
(戻った!)
 舞と飛翔は、飛び上がりたいような気持ちを抑えて、心の中で叫んだ。
 イルーラは、金の娘レダ・フィオリナの記憶を取り戻したのである。
「お姉様。あなたのいるべき場所は、ここではありません。あなたは、その力で、宇宙の危機を打ち破らなければならないのです。さあ、一緒に行きましょう。」
 狂喜する心の動きを努めて隠して、舞は、イルーラの元に駆け寄った。
 それは、性急に過ぎたかもしれない。しかし、無理もないことだった。事態は、いつ、どう動くかわからない。イルーラは、シュナザードのイルーラとしての記憶より先に、レダ・フィオリナとしての記憶を取り戻した。それは、舞と飛翔にとって、この上なく理想的なことだったのだ。シュナザードのむごい記憶を封じたまま、レダ・フィオリナの記憶を取り戻したのであれば、その使命を果たすことも可能だからである。
 レア・フィシリアになら、レダ・フィオリナを覚醒させることができる。
 レムリアのその言葉は、仲の良い姉妹だったレアになら、シュナザードの記憶よりさらに深い場所に眠るレダの記憶を、先に呼び覚ますことができるかもしれない、という可能性を示唆したのだった。
 だが、イルーラは、ギクリと顔色を変え、後退った。
 いかに、シュナザードでのむごい記憶が未だ封印されたままであるとは言え、彗星帝国での記憶は鮮やかに残る。今の今まで、過去を取り戻すことは、アシュレイと別れることに繋がる、と考えていたところだったのだ。
 妹たるこの娘は、その恐れ通り、自分をここから連れ出そうとする。
 己の在るべき場所は、ここではないと……。
「お姉様。行きましょう。心配はいりません。私が一緒に行きます。私たちは、いつも一緒だったでしょう?」
 焦りをひた隠して、舞は、強引にイルーラの手を取った。
 なぜ、これほどに、帝国から離れることを躊躇するのか?
 何かある。彼女をこれほどまでに帝国と強く結び付けている、何かが。
 舞はそう感じたが、それ以上、深く考えている時間の余裕はなかった。
 イルーラは、未だ金の娘として完全に覚醒したわけではない。それも、ためらう理由の一つだろう。もどかしかったが、逆に言えば、却ってその方が好都合なのかもしれない。
 レダ・フィオリナの果たすべき使命と、紫色彗星帝国で己がして来たことを、真正面から突き合わせてしまったら、今度は、巨大な罪の意識が、激しくイルーラを苛むことになる。それも危険だ。とにかく、記憶が完全に戻ってしまったら、イルーラの身に何が起こるかわからない。今のこの状態のまま、一刻も早くハヤトに連れ帰る必要がある。
「レア……。」
 イルーラは、舞に取られた手から、レア・フィシリアの思惟が、再び強く流れ込むのを感じ、共に過ごした遠い日々を、鮮やかに思い出していた。
 父や母から遠く引き離され、自由もないに等しい日々だったが、己の置かれた境遇を不幸だと思ったことはなかった。それは、この妹が、常に側にいてくれたからである。
 か弱い自分をいつも守ってくれていた、妹のレア。二人の間には、いつも相手の幸せを願う暖かい思いだけがあった。レアの言うことに従って、間違ったことは一度もない。これほどまでに信じられる者は、他にはいない――。
「そうね……。私たちは、いつも一緒だった……。いつも、どんな時も……。」
 次第に鮮明に蘇って来る、平穏ではなかったが、不幸でもなかった、過去の思い出に甘く浸りながら、イルーラは呟き、夢見るような瞳で、舞に向けて一歩踏み出そうとした。
 その瞬間、二人の重なった意識を、ザザッという雑音が引き裂いた。
「イルーラ!」
 それは、ビームソードを抜いて部屋に踊り込んで来た、アシュレイだった。
「こんな連中にたぶらかされるな!」
 アシュレイは、何者かが彗星内に侵入している形跡があるとの情報を耳にして、妙な胸騒ぎを覚え、急いでここへ戻って来たのである。
 イルーラの部屋の前に、警備の兵士が倒れているのを目にしたアシュレイは、瞬時に、部屋の中で何が起こったか、起ころうとしているかを認識した。ビームソードを抜いて、ドアを開けると、イルーラの前に、見知ったハヤト乗組員の制服を着た男女が立っていた。
 その少女とイルーラの意識が、うっとりと溶け合っているのを、アシュレイは、本能的に知ったのである。
(銀の娘!)
 これも瞬時に認識して、アシュレイは逆上した。
 この少女こそは、銀の娘に違いあるまい。その銀の娘が、遂にこうしてイルーラの前に立つ。それは、愛するイルーラが奪われてゆくということに他ならない。
 アシュレイは、我を忘れて、舞に斬り掛かった。
「舞っ。下がってろ!」
 倒した兵士から奪ったビームソードを咄嗟に抜いて、飛翔が割って入った。
 ギン! ギン!
 二人のビームソードが重なるたびに、激しい火花が飛び散り、広い部屋に金属的な音がこだまする。戦う二人の男の瞳の中には、相手を倒そうとする者と、守ろうとする者の、命を懸けた炎がちらついていた。
 危うく難を逃れた舞は、イルーラを抱きかかえて、部屋の隅に身を避けた。
「飛翔!」
「あなた……!」
 イルーラは、重苦しい不快感を覚えて、思わず両手で胸を押さえた。
 二人の男が、剣を交え、死力を尽くして戦っている。
 同じ光景を、いつかどこかで見たような気がするのである。確かに。
 こんな風に、目を血走らせ、荒い息を吐きながら、男たちが戦う。
 あれは、いつのことだったのか? なぜ、彼らは戦っていたのか……?
「ああ……?!」
 ドクン、と、イルーラの心臓が激しく鼓動を打ち、固く封印された記憶の扉が微動した。
 ドクン!
 その激しい脈動は、彼女の脳裏にも炸裂する。
 記憶の扉のわずかな隙間から、別の記憶の断片が流れ出す。
 レダ・フィオリナよりも、もっとずっと新しい記憶――。
「イルーラは渡さぬ!」
 鬼神のような形相でアシュレイが叫び、イルーラはハッとした。
 イルーラは渡さぬ。
 あの時も、誰かがそう叫んだ。
 そう、誰かが、自分を渡すまいとして戦っていた。守ろうとしていた……?
 あれは、誰だったろう?
 イルーラがそう思った時、アシュレイの面差しが目に入った。その面差しに、別の面影が透いて見えたような気がして、イルーラはきつく目を閉じた。
 そう。男。あの男。アシュレイによく似ていた。アシュレイのように、大きな愛で自分を包み、いつも側にいて守ってくれていた……。
 あれは、誰?
「イルーラ! 見ては駄目!」
 舞は、イルーラの青い瞳に宿った異様な光に気付き、慌ててイルーラの前に立ち塞がった。惑星グラディオーナで、金の星の守護者ユリアナに見せられた、凄惨な光景が思い出されたからである。
 あの時も、イルーラの恋人は、最期まで彼女を守り、迫る敵と剣を交えて戦った。舞を守ろうと戦う飛翔の姿が、それを彷彿させる。今、彼女らの前で繰り広げられているアシュレイと飛翔の死闘は、シュナザードの悲劇の再現になり得るのだ。それが、イルーラのむごい記憶を呼び起こさないとも限らない。
 しかし、イルーラは、意外なほどの力で舞を押し退け、目の前の光景に見入った。
 確かにある。以前、こうした光景を見たことが。いつのことなのか? どこでなのか?
 ドクン!
 イルーラの脳裏に炸裂する脈動は、打ち合う剣の発する音に呼応するように、より速く、より激しく、最後の記憶の扉を押し開こうとする。イルーラの意識は、もうそれを拒もうとはしなかった。
 記憶の扉が開く。長い時の封印を、軋んだ音で破りながら――。
「ああっ?!」
 イルーラの口から悲鳴が上がり、華奢な両腕が喉元へ跳ね上がった。
 記憶の扉は完全に開かれた。彼女は、ここに至って、失われていた全ての記憶を取り戻したのである。

 あれは、邪悪な紫色彗星の出現を察知し、イルーラ一行が、金の星を授かるために、いよいよ惑星グラディオーナに向けて旅立とうという日の前日だった。イルーラを手に入れ、金の力を我が物にしようと、長年企んで来た奸臣たちによって、シュナザード星に突然の反乱が起こったのである。
 出立の準備に手を取られ、手薄だった警備の隙を突いて、反乱軍は、たちまち城の奥深く侵入した。不利な戦いの中で、イルーラが愛し、そして、イルーラを愛した、多くの者たちが、身を挺して彼女の盾となり、父が、母が、弟妹たちが、酷たらしく殺された。
 イルーラは、婚約者アレクセウス・ロッツァに守られて、燃え上がる城からの脱出を図った。しかし、多勢に無勢、最愛の恋人もまた、激しい戦闘の末に遂に力尽き、敵の刃に倒れたのである。
 その全ての原因が、己の持つ運命であったこと、己の力であったことに、イルーラは絶望した。
 己の存在故に、愛する者たちが死んでゆく。その絶望と悲しみが、故郷の星を太陽系もろとも吹き飛ばすエネルギーの発動に繋がったのは、金の星の守護者ユリアナが告げた通りである。

「そんな……!」
 イルーラは、ガクガクと震えると、怯えたように後退りした。
 イルーラが思い出したのは、故郷の星の悲劇だけではない。紫色彗星帝国に身を置いた自分が、これまで何をして来たか。その全てが、金の娘として真に覚醒した意識に、明瞭に映し出されたのである。
 宇宙を滅亡に追いやろうとする紫色彗星を倒すべき、レダ・フィオリナの使命。
 その使命を果たすために生まれた自分が、事もあろうに、倒すべき紫色彗星の手先となって、ルーナンシアを始めとする数々の星々を滅ぼして来たのだ。
 決して許されぬ、取り返しのつかない己の大罪に、イルーラは慄いた。
「イルーラ!」
 アシュレイが叫び、光剣を振りかざして、飛翔に斬り掛かる。
「あなた……。」
 イルーラは、幾筋もの涙を溢れさせながら、必死に自分を求めるアシュレイの顔を見返した。
 似ている。
 アシュレイは、愛するアレクセウスに、瓜二つと言ってよいほどに似ていた。
 だから、あれほどに懐かしく、幸福な気持ちになれたのだ。だから、あれほどまでに失うことを恐れたのだ。
 アシュレイは、失われたアレクセウスの代わりだったのである。
 だが、違う。見分けがつかないほどに似ていても、アシュレイはアレクセウスではない。本来ならば、敵とせねばならなかった男……。
 イルーラは、虚ろな瞳で、男たちの戦う様子を見つめていた。
 アシュレイが渾身の力を込めて斬り掛かり、飛翔がその激烈な太刀筋を受け止める。そうやって必死に舞を守る飛翔に、アレクセウスの姿が重なった。
 あの時も、アレクセウスは、そうやってイルーラを守って戦い抜いた。
 己の全存在を懸けて愛したただ一人の人、アレクセウス・ロッツァ。
 素晴らしい騎士だった。勇敢で何も恐れず、強く、優しく、常に心を高く保って生きた。いつも、どんな時も、イルーラの側にいて、その重過ぎる運命に背を向けることなく、彼女を愛し、支えていた――。
 心から愛し合い、信じ合った、優しく穏やかな日々。幸せだった。レダ・フィオリナとして、その重い使命を果たさねばならぬ自分の運命を、怖いと思ったことも、不安に思ったこともなかった。
 しかし、彼はもういない。二度と戻らないのだ。自分のせいで殺された……。
 イルーラは、両手で顔を覆い、力なく首を振った。
 いや、違う。アレクセウスは生きている。ほら、そこにいて、自分を呼んでいる。でも、なぜ、アレクセウスに斬り掛かっているのか……?
 アレクセウスと同じように舞を守って戦う飛翔に、アレクセウスと同じ顔をしたアシュレイが斬り掛かる。その矛盾に、イルーラは混乱した。
「ああ?! そんな……!」
 イルーラの横で、舞もまた愕然と立ち尽くした。飛翔に斬り掛かるアシュレイが、イルーラの恋人にそっくりなことに気付いたのである。
 イルーラは、この男を愛してしまったのだ。恐らくは、金の艦で、ずっと行動を共にしていたのだろう。この男は、彼女にとって、己のせいで失われたはずの恋人の再来、それを守るためならば、イルーラは何でもしたはずだ。彼女が、彗星帝国と必要以上に深い繋がりを持ってしまったのは、そのせいだったのだ。
 何という運命の皮肉……!
「間違っていた……。」
 青い瞳に虚ろな光を宿して、イルーラは呟いた。
 己のために、多くの愛する人々が殺された。その上、自分は、打倒すべき彗星帝国に救われて生き延び、その手先となって、もっと多くの人々を殺して来たのだ。本来なら、自分の生命を捨ててでも、そうした邪悪な力から宇宙を守る使命を帯びた自分が……。
 間違っていた。自分のして来たことの全てが。
 過去から目を背け続けたことも、そして、アシュレイと愛し合ったことも――。
 それは、イルーラにとって、決定的な絶望だった。
 こうして全てを悟っても、過去は戻らない。やり直すことはできないのだ。
 なぜ、己が力を持つ存在だったのか。
 己さえ存在せずば、このようなことにはならなかったろうに……。
 その思いは、シュナザードでの悲劇そのものである。
「イルーラ!」
 舞は叫んだ。事態が最悪の状態へ向かいつつあることは、もはや明白だった。
(お姉様!)
 舞の中で、レア・フィシリアも絶望の叫びを上げる。
 イルーラは、全てを思い出した。自分の犯したあまりに大き過ぎる過ちの全てを知ってしまったのだ。その瞳は、悲しみと混乱の中で、開ききっている。このままでは、精神が破壊されてしまうだろう。
「いけない!」
 イルーラの心がゆっくりと瓦解して行くのを知覚して、舞は手を伸べた。イルーラの全身を、仄かな金の光が覆い始めている。
「舞っ?!」
「イルーラ!」
 二人の異常な様子を察知して、男たちは、一瞬戦いの手を止めた。
「駄目! やめて!」
 だが、舞の声は届かなかった。
 イルーラの全身から発した金色の光は、あっと言う間に他の三人を包み込んで、部屋一杯に広がり、さらに爆発的な勢いで拡散して行った。