ACT5 夢

 猛は夢を見ていた。

 なぜか猛は暗い宇宙に一人で浮かんでいる。
 辺りは恐ろしいほどの静寂に包まれ、凍て付く星々が、ギラギラと射抜くような光を放っていた。
(俺はなぜこんな所にいるのか……。)
 そうぼんやり思いながら、しばらく宇宙空間を漂い続けていると、前方の空間が、まるで灯を灯したようにぽぅっと明るさを増した。
(?!)
 猛は目を凝らした。
 その光の輪の中に、誰かいる。誰だろう……?
(レムリア!)
 猛は思わず声を上げた。
 それは、ティアリュオンへの旅の途中窮地に陥ったハヤトを援助してくれた、ルーナンシア星の女王レムリアだった。
 誇り高く、慈しみ深く、美しいルーナンシアの女王。
 猛の心は、懐かしさに包まれた。
 だが、どうしたわけか、レムリアは、世にも悲しげな表情で泣いている。美しい青い瞳から涙が絶え間なく溢れ出て、それが水晶のように散っては、一瞬のきらめきを残して、宇宙空間に消えて行った。



(女王レムリア? 一体、どうしたのです。なぜ泣いているのですか?)
 いつも穏やかな瞳で、優しく微笑んでいたレムリア。そのレムリアの意外な涙に、驚いて猛は叫んだ。だが、レムリアはそれには答えない。黙って、しかし、何か言いたげに、じっと猛を見つめるばかりである。
(レムリア!)
 猛がもう一度叫んだ時、不意にレムリアの姿がかき消えた。と同時に、猛は、彼方から迫って来る何ものかの気配を感じて、身構えていた。
(な、何だ?! 何が来るんだ!)
 来る!
 宇宙の彼方から、得体の知れない何かが。
 それは、抗いきれない圧倒的な力と邪悪な意志に満ち、破壊と滅亡を従えている。地獄の底から響いて来るような低い笑い声を聞いた気がして、猛の全身は総毛立った。
(うわぁぁぁっ!)
 息つく間もなく、それはやって来た。
 それは、恐怖である。真の恐怖――。
 輝いていた星々が消え、辺りは真暗闇になった。猛は、一瞬にしてその強圧的な力に押し潰され、捻じ曲げられ、塵のように暗黒の中を落ちて行った。どんなにもがいても、その力に逆らうことはできず、猛は粉々に砕かれてゆく。

 愚かな者どもよ。己の無力を知るがいい。

 底知れぬ恐怖と苦痛に喘ぐ猛の耳に、そう嘲笑する何ものかの声が響いた――。

「……さん。猛さん!」
 舞の呼ぶ声に、猛はハッとして目を覚ました。
「どうしたの? 随分うなされていたようだけれど……。悪い夢でも見たの?」
 舞が微笑んで覗き込んでいる。買い物を終えて、起こしに来てくれたのだろう。
「ああ……。」
 猛は、ようやく半身を起こし、深く息を吐いて額の汗を拭った。
(夢だったのか。それにしてはリアルな……。)
 辺りを見回すと、そこは間違いなく自分の部屋であり、傍らには舞もいる。
 猛は、ホッと安堵した。しかし、夢を思い返すと、今でもその恐怖で身震いするようである。
 猛は、反射的に、昼間の輸送船団の接触事故を思い出していた。輸送船団を襲った重力波は、夢で迫って来た何かとよく似ていたし、重力波と共に猛をかすめて行ったもう一つの感覚は、なぜかルーナンシアを連想させるものだった。そのせいで、こんな夢を見たのかもしれない。
(だが、なぜルーナンシアなのか……。)
 猛は、その一点が心に引っ掛かるのを気にしながら、悪夢を振り払うように首を振り、汗で冷えたシャツを脱いだ。
「女王レムリアが……。」
「女王レムリア? ルーナンシアの?」
 舞は、猛に着替えを渡しながら、意外な名前を聞いたように、小さく声を上げた。
「うん。女王レムリアが、暗い宇宙に浮かんで、泣きながら俺を見つめているんだ。例えようもない悲しい顔で、何か言いたげに、でも、何も言わずに、ただ黙って……。」
 猛は、今見た夢の一部始終を、舞に話して聞かせた。
「変ね。女王レムリアが悲しげに泣いているなんて、想像もつかないわ……。」
 舞も、不安そうに眉をひそめた。
 ティアリュオンへの旅の途中、旅に疲れたハヤトを、暖かく迎え入れてくれたルーナンシア。その美しい草原や海、優しい人々を夢に見るのなら、話はわかる。ルーナンシアを訪れた者なら誰でも、あの美しい光景は忘れられるものではない。夢にさえ見よう。だが、その幸せな夢の中で、レムリアは、あの慈愛に満ちた瞳で、いつも穏やかに微笑んでいるに違いないのだ。
 それが泣いているとは?
(……ルーナンシアに何か?)
 直観的に、舞はそう思っていた。
 何の理由もなくこんな意味ありげな夢を見るとは、舞には思えないのである。だが、万一、ルーナンシアに何か起こったのだとすれば、自分に何もないはずはない、とも思う。
 舞にとって、ルーナンシアは、レア・フィシリアとしての辛い目覚めを体験した地でもある。舞とルーナンシアには、深い繋がりがあるのだ。そこに何かあれば、自分こそが一番に徴候を感じてよいはずである。しかし、舞には何の予感もない。
「ただの夢だといいんだけど……。」
 舞の方が心配そうな顔をするのを見て、猛は勢いよくベッドから飛び起きた。
「大丈夫だよ。ルーナンシアに何事も起こるはずがないじゃないか。帰りにアクシデントがあったし、ちょっと疲れていて、妙な夢を見ただけさ。」
 猛は、自らの不安も吹き飛ばすように、明るく笑ってそう言った。
 地球が散々に苦しめられたデイモスすら、あっさりと撃退したルーナンシアなのである。考えてみれば、何も起こるはずはないのだ。もし、何事か起こったとしたら、それこそ宇宙の終わりであろう。
 猛の言葉は、舞を安心させた。
「そうね、じゃあ支度してちょうだい。急がないと遅刻よ。」
「しまった、ちょっと寝過ぎたか?」
 壁の時計を見ると、皆との約束の時間が迫っている。猛は、微かな不安を振り払いながら急いで身支度をした。
 今日は、沖田の戦没記念日である。この日は、地球にいる元ハヤトの乗組員たちは、英雄の丘に集まることになっているのだ。彼らにとって、この集まりは、年に一度の大きな楽しみであった。
「行こうか。」
「ええ!」
 外は、既に日が傾きかけて、夏の夕方の涼しい風が吹こうとしている。二人は、手を取り合って英雄の丘へ向かった。
 英雄の丘が近づいて来るにつれ、二人の心臓は高鳴った。
 懐かしい仲間たちに会える。また、あの穏やかな人の繋がりの中に身を置ける。
 そう思うと、心が浮き立って来るのを抑えることができなかった。いつしか、不吉な夢のことは心の隅に追いやられていた。