ACT2 輸送船団護衛艦

 その頃、元宇宙戦艦ハヤトの戦闘隊長であり、艦長代理でもあった本城猛は、第三区輸送船団護衛艦艦長の任務に着いていた。
 暗黒の宇宙空間を、二十隻で編成された第三区輸送船団が、滑るように航行して行く。土星の衛星タイタンからの帰路であった。
 美しく隊列を組んだ船団の先頭を行く護衛艦『ゆきかぜ』の艦橋で、猛は、ゆっくり遠ざかって行く火星を眺めていた。
「ゆきかぜ」という名は、猛の兄、本城隼人が艦長を務めていた宇宙駆逐艦の名である。護衛艦の初代艦長として命名を許された猛は、あまり迷うことなく、兄の艦の名を取った。だが、宇宙駆ける鷹と賞賛され、勇猛果敢で鳴らした兄の指揮した艦の名は、やはりこの艦にはそぐわないのではないか、と猛は思う。
 この任務に着いてから、もうどれくらいになるだろうか……。
 外惑星とその衛星から運ばれる資源の数々は、今の地球の繁栄を支える糧である。言わば人類の生命線だった。それを守るべき護衛艦の任務は、確かに重要には違いない。
 しかし、猛は、時に物足りないと感じる自分を持て余す。宇宙にはまだまだ未知の部分が多いとは言え、一頃に比べれば、遥かに安全に出て行けるようになって来ている。こうした平和と繁栄の中では、護衛艦艦長の任務は、航行の過程を点検することに終始しがちなのだ。
(だが、それは贅沢というものだな。)
 あれほど望んだ平和な日々が手に入ったのだ。地球は救われ、人々は愛に目覚めて、より良い地球のために働いている。物足りないなどと思っては、罰が当たろうというものだ。
 それに、猛も宇宙に出るのは嫌いではない。星々の中で、遠いティアリュオンで幸せに暮らしているだろう兄とアルフェッカに思いを馳せたり、宇宙と人とのあり方について考えたりするのは、楽しいことだった。
 星の中の眠りは、いつも安らかである。だが、それもこれも、地球という母なる星が健やかであって、いつでもそこへ帰り着くことができるからこそなのだ。
 猛は思い直し、傍らの通信士に声を掛ける。
「火星を通過した。地球到着は、予定通り八月十七日の十四時三十分だ。諒、地球防衛軍司令部に連絡しろ。」
 通信士の神谷諒(かみやまこと)は、ハヤトで苦楽を共にした仲間の一人である。通信班長新命飛翔の下で第二艦橋勤務だったから、猛とも顔馴染みだった。かつての仲間たちも、今はそれぞれに様々な任務に着いて、このように一緒に勤務できることは稀だったが、そんな時は、やはり他の誰と組むよりも確かな手応えを猛は感じるのだった。
「了解! 連絡します。」
と、昔のようにピタリと呼吸を合わせて言ってから、諒はニヤリと笑って振り返った。
「他はいいんですか?」
 悪戯っぽい瞳が、猛を見上げている。
「他にどこがある?」
 今さら報告する部署を忘れるはずがない。猛は、訝しげに諒を見下ろした。
「防衛軍司令長官室……。舞さんが迎えに来るはずでしょう?」
 猛は、自席の写真立てにチラリと視線を投げた。美しい女性が、幸せそうな顔で猛を見上げて微笑んでいる。
 片桐舞――。
 舞は、ハヤトの通信班分析部門のチーフを務めた、気丈な娘だった。ハヤトの旅の成功は彼女の存在がもたらしたと言っても過言ではない。
 デネブ星域でデイモスの大艦隊と遭遇した際、相手の攻撃パターンを見破って、ハヤトに勝利をもたらすきっかけを作るなど、レーダー・解析の手腕を発揮する一方で、ルーナンシアで、レア・フィシリアとして目覚めた舞は、その過酷な運命に一度は押し潰され、自分を失うほどに苦しんだ。
 しかし、猛と仲間たちの助力を得て、彼女はその苦しみを乗り越え、身の危険も顧みずにラ・ムーの星でコスモエネルギーを解放して、人々に宇宙の愛を見せ、地球だけでなく敵であるデイモスさえ救った……。
 今や互いに深く信じ合い、愛し合っている、猛のただ一人の最愛の女性である。
 デイモスとの戦いで猛が得たものと言えば、舞の心とハヤトの仲間たちだけだったが、それは、猛にとって最高の宝と言えた。その舞は、地球で防衛軍司令長官郷田光雅の秘書をしているのである。
 だが、猛が愛する人に思いを巡らせたのもほんの一瞬で、すかさず叱声が飛んだ。
「余計なことを言っていないで、さっさと連絡しろ!」
 しかし、そう言いながら、猛の頬にはわずかに赤みが差す。ククク……、と、他の乗組員たちにも、忍び笑いの輪が広がった。
 元々、年令の割に妙に落ち着いている、などと評される猛なのだが、その傾向は、ティアリュオンへの旅を終えてさらに顕著になった。決して老成しているというわけではないのだが、同年代の者は、その物腰に自信に裏打ちされた迫力ある大人っぽさを感じて、憧れると同時にある意味で圧倒される。
 そんな猛の唯一とも思える弱点が、舞なのだ。冷やかしの一つも言ってみたくなる。元より悪意などない。猛と舞のロマンスは、皆にとって憧れの的なのだ。皆にしても、二人が幸せであるのは嬉しいことなのである。
 だが、
「艦長!」
と呼ぶ乾いた諒の声に、艦橋内に一瞬にして緊張が戻った。
「何か。」
「申し訳ありません。地球との交信回路が混信しているようで、何度やっても連絡が取れません。」
「緊急回路もか?」 
 念のために、猛は尋ねた。
「そっちもだめです。ノイズがひどくて……。」
 諒は懸命に調整を続けているが、思うように行かないらしい。彼とて、ハヤトの一員として、往復四百四十四万光年を飛んだベテランなのである。普通の電波障害なら、クリアできないわけがない。猛は、眉をひそめて、詳しい状況を聞こうと口を開きかけた。
「!」
 その時、猛は、彼方から迫り来る何ものかの気配を感じて、神経を集中した。
「来るぞ!」
 何が? というように、乗組員たちが怪訝そうな顔を上げた。辺りを見回したり、改めてレーダーに見入ったりする者もある。次の瞬間、艦は、横から大きな力を受けて、激しく振動した。
「何だ?!」
「どうしたんだ!」
 艦内が動揺する。乗組員たちは、体を固定しようと、咄嗟に辺りにしがみついたが、不意を突かれて、椅子から転げ落ちる者が続出した。
 猛は、椅子の背を強く握り締めながら、前方を映し出すスクリーンを見て、愕然となった。自動航行中の輸送船の一隻が、フラフラとコースを外れて護衛艦の方に突進して来るではないか。
「取舵一杯! 全速回避!」
 猛が素早く指示を出すと、パイロットも我に返って、機敏に操縦カンを操作する。みるみるうちに、輸送船は眼前一杯に迫って来た。お互い図体が大きいから、避けるのも容易ではない。
(間に合わないか?!)
 猛は、全身にドッと汗を吹き出しながら、パネルを凝視した。こういう時は、ほんの数秒が、何倍もの時間に感じられる。護衛艦は、左に左にと回頭して、ようやく輸送船を避けることに成功した。
 だが、ホッとしたのも束の間、後方の輸送船は、隊列を乱して、次々に接触事故を起こした。正面からぶつかって小爆発を起こすものがあれば、軽い接触で付属器官が吹っ飛ぶものもある。
(しまった!)
 猛は、唇を噛み締めながら、状況把握に務める。
「皆、怪我はないか!」
「大丈夫です!」
 辺りを見回すと、取り敢えず艦橋内の乗組員たちに大きな怪我などをした者はいないようだった。
「安全確認の後、大至急被害調査! レーダーに何か反応はなかったか。」
「了解!」
 応答が跳ね返り、乗組員たちは素早く作業に取り掛かった。
「被害状況、判明しました。本艦を含めて二十隻のうち、二隻に損傷あり、他は軽微。地球帰還には、影響ありません。」
「直前に、原因不明の重力波を横から受けています。通信回路のアクシデントも、これと何らかの関連があると思われます。」
 やがて、猛の元に報告が届けられた。
「重力波か……。よし、データは、地球に帰還したらすぐに、科学局の神宮寺主任の所へ提出できるようにしておけ。分析してもらう。」
「わかりました。」
 元ハヤトの科学技術長神宮寺独は、現在、地球防衛軍科学局の主任となっている。
 何にしろ、船団に大きな被害もなく、猛は席に戻って一息ついた。艦橋内にもホッとした雰囲気が漂う。
「艦長、さすがですね。例の『認識力』ってやつですか?」
 一通りの作業を終えて、諒が話し掛けて来た。
 こうした時の猛の冴えた指揮ぶりは、ハヤトに乗っていた頃と何も変わっていない。諒の顔が嬉しそうなのは、苦しくも充実していたハヤトでの日々が思い出されたからだろう。
「ん?」
「来るぞ、って。重力波が来るのがわかったんでしょう?」
「ああ、あれか。気配を感じただけだがな。久し振りだな、こういう感覚は。」
『認識力』とは、文字通り事象を認識する力なのだが、元ハヤトの乗組員たちは、その力が常人より遥かに鋭敏であるらしいと言われている。別に正式に調査したわけではないから、確かなことはわからないのだが、猛は、デイモスとの戦いで身に付いた、このある種の「カン」が衰えていないのに、ややホッとしていた。やはり、宇宙で生きて行くためには必要な能力なのだろう。
「平和にどっぷり浸かっていると、鈍るんですかねぇ。ハヤトに乗っていた時は、確かにもう少しカンが良かったような気がするのに……。今回は何も感じませんでしたよ。平和ボケってヤツですかね?」
 諒は、少し残念そうな顔をしてぼやく。猛は横顔で微笑んだ。
「鈍ってなんかいないさ。でなければ、咄嗟にあれだけ反応できるものじゃないよ。」
 言いながら、猛は、何ものかが来る、と感じた瞬間のことが妙に神経に触れているのが気に掛かり、椅子に深々と身を沈めて、思い出そうと努めた。
 来る、と感じたのは、重力波のことだったろう。だが、確かにもう一つ、猛の認識の角を横切って行ったものがある。それは、密やかだったが、確実に猛に触れて去った。
(あれは何だったのか……。)
 ふと、猛は、似たような体験の記憶を蘇らせていた。それは、かつてルーナンシア星の上空で猛と舞を駆け抜けて行った輝きと、非常によく似ていたのである。
(ルーナンシアか……。ルーナンシアに何か?)
 猛は一瞬思ったが、あまりの脈絡のなさと、
「地球が見えて来ました!」
という監視員の報告に、すぐに現実に引き戻された。
「地球か。」
 猛は、立ち上がって彼方を見やった。遙か彼方の暗黒空間に、宝石のように青く輝く、小さな点が見え始めている。
 地球は、すっかり元の青さを取り戻していた。乗組員たちも、皆、窓に張り付いて、嘆息しながらその光景を眺めている。地球人たちにとって、その美しさは例えようもなく、ルーナンシア星やティアリュオン星でもこれにはかなうまい、とさえ思われるのだ。
 猛は、初めて宇宙から青い地球を見た日の感激を思い出す。辛く苦しかった戦いの果てにようやく得られたこの美しい星を、永遠に失うことがないように、と、猛は心から祈り、また、そのために働いて行こうと誓ったものだ。
 あの青さの中では、舞が、猛の帰還を首を長くして待っているはずである。
(舞……!)
 心でそっと呼び掛けると、
(猛さん……。)
と、猛の意識に舞の声がこだまし、美しい面影が青い地球に重なった。それが単なる気のせいなどではないことを、猛は信じている。
 猛と舞の間には一本の線が引かれている。
 猛の最も信頼する仲間の一人で、元ハヤトの戦闘隊副隊長の加藤涼が、かつてよくそう口にした。それは、どんなに遠く離れても、決して切れることのない絆である。
「地球本部との交信、回復しました!」
 通信機の調整を続けていた諒が、振り返って呼んだ。
「よし、直接報告する。こっちに回せ。」
「了解!」
 猛は、パネルを見上げて、見覚えのある防衛軍管制室が映し出されるのを待った。