ACT5 プラネタリウム
ハヤト出航の準備は、既に各所で始められていた。猛もその日のうちにハヤト内部の居住区に移り、出航準備に奔走した。
技術者たちは最後の仕上げに忙しく、選ばれた乗組員たちは、部門間の打合せや種々のチェック作業で、朝から晩まで息をつく暇もない。その日の深夜、就寝前のわずかな時間を見つけて、猛は、ハヤトの一角にあるプラネタリウムへ足を運んでいた。
元々、脱出船として長期間宇宙を旅することを前提に設計されていたハヤトは、当初の目的が変更されて大宇宙戦艦に改造されてからも、往復四百四十四万光年という長い航海における乗組員の生活環境と居住性が重視されていることに変わりはなく、娯楽施設の充実などにも目を見張るものがあった。が、そうは言っても、ただのプラネタリウムを設置するようなスペースの余裕があるはずはない。
ハヤトの中心部に位置するこの部屋は、正確には『全天球レーダー室』と言う。ハヤトが宇宙を移動すれば、当然星の位置も変わるが、それらをコンピューターで自動的に計算し、レーダーによって探知したあらゆる方向の障害物と合わせて、半円球のドーム状の部屋の内部に三次元投影するという、ハイテクを駆使した設備なのである。
猛は、バラ撒くように置かれている幾つかの椅子の一つに腰掛けると、天井を見上げて伸びをした。広いドーム内はガランとして人影もなく、星々だけが静かに瞬いている。既に乗組員の間で「プラネタリウム」という通称で呼ばれているだけあって、地球を発つまでは、科学の最先端をゆくこの部屋も、幼い頃から慣れ親しんで来たプラネタリウムと何も変わりはしなかった。
何度か通ううちに、ここはすっかり猛の気に入りの場所になっていた。
床は平らなのだが、そこに本来なら見えないはずの裏半球が特殊な立体映像で描かれており、椅子さえも光を透過してほとんど透明であるため、座っていると、あたかも自分が宇宙空間にポッカリと浮かんでいるような錯覚に陥る。星のリズムに合わせて呼吸していると、心が解き放たれて行くようであった。
ハヤトに乗り組んで一週間。
猛を取り巻く環境は急激に変化し、その心身に様々な影響を与えていた。睡眠不足のせいもあって、肉体的には爪の先から頭のてっぺんまでを疲労が支配していたが、ただ苛々と過ごしていた日々に比べれば、精神的には遙かに充実している。
宇宙戦艦ハヤト――。
その名を噛み締める時、猛の思いはいつも兄の隼人へと飛んだ。同時に、艦長沖田充、デイモス、ティアリュオン、その女王のアルフェッカと妹のテティスなどが、とりとめもなく猛の脳裏に浮かび上がり、思考を混乱させたが、不快ではなかった。
(夢のようだ。)
猛は、目を閉じてひっそりと息をついた。
猛の意識にあった沖田へのこだわりは、ハヤトで過ごし、沖田の人柄に触れるうちに、霧が晴れるように薄らいでいた。
この場合、憎むべきはデイモスである、という正しい認識があったのは、猛にとって幸せなことであった。もし、猛に、兄を犠牲にして帰って来たということで、沖田を恨む気持ちが少しでもあったら、最も苦しんだのは猛自身だっただろう。なぜ兄を連れて帰って来てくれなかったのか、などと食ってかかるようなことにならずに済んだのは、物事の本質を見誤るな、と、常に示唆してくれた兄のお蔭である。その兄に、猛は心から感謝していた。
それに、傷ついた体で眠る間も惜しんで出航前の指揮を執り続けている沖田を見ていると、兄を始め、大勢の戦士が彼につき従い、それを守って死んで行った心情が、猛にはよく理解できるような気がした。
確かに、今の地球には、沖田以外にこの大計画の指揮を執れる者はいない。そして、何より、多くの若者たちが命を賭けて働くだけの抗い難い魅力が、沖田にはあった。
万に一つの可能性を見つけたら、それを信じて冷静沈着に行動し、それを実現してみせる。
沖田はそんな男なのだ。その信条に裏付けられた厳しい言動の中に、包み込むような大きさと何とも言えない暖かさがあり、それがひどく猛を惹き付けていた。
(なぁ、兄さんもそう思ってたんだろう?)
猛は、今は亡い兄の面影に話し掛けてみる。
人類の地球脱出計画が存在していたことを、猛は後で聞かされた。兄は、沖田に賭けていたのだ。沖田さえ生きて地球へ戻れば未来への希望が繋がる、と信じていたのだ。そしてそれは、ティアリュオンから救いの手が差し延べられたことで、より明るい希望となって実現しようとしている。
(宇宙戦艦ハヤト……。)
ハヤトという名は、沖田が命名したのだという。それを聞いた時、猛は、沖田の心中を覗いたような気がしていた。恐らく偶然ではあろう。だが、幾つかの候補の中からその名が選ばれたことに、猛は、隼人と他の大勢の戦士たちへの、沖田の深い愛惜を感じたのである。
若くして死んで行った者たちへの詫びと鎮魂、そして、その死を決して無駄にはしないという誓い。
ハヤトという名には、沖田の苦しい思いの全てが凝縮されているのだ。それが、猛には痛いほど理解できた。
何としても、兄の名前の付いたこの艦を地球を救う希望の艦にしたい。だが、その切なる願いに、ティアリュオン星までの二百二十二万光年という途方もない距離が、常に重くのしかかっていた。
当然、デイモスも黙ってはいまい。が、それ以上に、未知の宇宙の様々な自然現象が、巨大な障壁となって、ハヤトの行く手に立ち塞がることになるだろう。広大にして強大な宇宙と、その征服を企むほどの科学力を持つデイモス。この二つを敵に回して、果たしてハヤトは目的を達成することができるのだろうか。
それを思うと、猛の気持ちは時に暗く沈んだ。だが、それがどんなに苦しい旅であっても、今は行かなければならない。このままでは、黙って死んで行くだけなのだ。
(行ってみせる! 必ず!)
猛の胸に、決意と不安が交錯する。
出航まで残すところ一週間。
とにかくこれからが忙しい。健康チェックに武器関係の打ち合わせ、部門会議、スタッフ会議。こなさなければならないことが、山ほどあるのだ。
ふと見上げると、アンドロメダ星雲が微かに瞬いて、猛をいざなうようであった。今はもう、地球からはこの星空を肉眼で見ることはできない。だが、アンドロメダ星雲の放つ微かな光は、二百二十二万光年の時空を経て、今も変わらず地球へ降り注いでいるはずである。その光の中には、ティアリュオン星の輝きも含まれているのだろうか。
霞のような淡いアンドロメダ星雲の光は、猛にハヤトの第二艦橋で見たメッセージの映像を思い出させた。
遙かなティアリュオンの女王アルフェッカ。
やや寂しげな美しい横顔に、豪華な金の髪と深い紫の瞳が印象的だった。
二百二十二万光年の宇宙の彼方には、デイモスのように冷酷無比に地球を攻め滅ぼそうとしている者もあれば、地球の危機を見捨てておけず、自身の妹を危険な旅に立たせてまで、救いの手を差し延べようとする者もある。
その妹がデイモスに殺されてしまったことを、姉は知っているのだろうか?
孤独な宇宙をたった一人で渡り、故郷を遠く離れた見知らぬこの地球で死んだ、美しい異星人の少女テティス。あまりにも気高く、哀れなその死であった。
だが、カプセルは託された。命を懸けたその使命は果たされたのである。
猛は、鮮やかに記憶に残るテティスの面影を胸に描いて、心から冥福を祈り、必ずその厚意に応えてみせようと誓うのだった。
光る海 輝く空
水平線の彼方に きらめく銀河
と、その時、猛はどこからか細い歌声が聞こえて来るのに気付き、ハッと身を起こした。
(誰かいるのか?)
耳を澄ますと、落ち着いたメゾソプラノの美しい声が幻想的なメロディを奏でている。
それは、当時訓練生たちの間で好んで歌われていた組曲『銀河』の中の一曲、『銀河のきらめき』であった。
声のする方へ目を凝らすと、コントロールセクションの一角に、微かな人影が浮かんで見えた。
誰かが天を仰いで歌を歌っている。白い衣に身を包んだ背中まで届く長い髪の少女……?
「!」
猛は愕然とした。
暗いプラネタリウムの中のこと、その顔立ちまでがはっきり判別できるはずはない。にも関わらず、猛にはそれが見えた。だが、猛が愕然としたのはそのせいではない。
まるでほの白い光を発しているかのように、次第にくっきりと闇に浮かび上がる少女の輪郭。その美しい横顔は、あの異星人の少女テティスと瓜二つだったのである。
(まさか……。そんなバカな……。)
きらめく星々、流れる歌、今再び蘇る異星人の少女……。
猛は、信じられないものを見たような気持ちで、思わず立ち上がった。
すると、その気配に気付いたのだろう、少女はゆっくり振り向き、満天の星空の下で二つの視線が触れ合った。
(?!)
その時、二人の距離はどれほどであったろうか? 猛が座っていた位置からコントロールセクションまでは、優に二十メートルはあっただろう。なのに、猛には、少女が自分のすぐ目の前にいるかのように思われたのだ。
次の瞬間、猛は、手を延べれば届きそうなその距離へ向けて、己の意識が緩やかに流れ出そうとするのを感じていた。そして、少女の意識もまた、揺らめきながら自分に向けて流れ出そうとしている――?
それは、悠久の時を越えて再び出会った二つの魂が、互いに手を延べ、溶け合おうとした瞬間だった。だが、全ては一瞬のことで、その奇妙な感覚が、猛の中で明確に認識されることはなかった。後に彼は、この感覚を正確に理解することになるのだが、この時の猛は、少女がテティスに似ていることに囚われ過ぎていたのである。
(似ている……!)
澄んできらめく二つの瞳。
あの異星人の少女も、こんな目をしていたろうか……?
混乱した意識の中で猛がぼんやりとそう思った時、ふっと少女が微笑んだ。一面に花の咲く丘を連想させる、無垢な少女だけが持つ清純そのものの微笑みの中には、異性の放つあでやかな輝きが確かに存在し、それが猛を狼狽させた。
「き、君は……、」
誰だ、と問おうとして、猛が思わず一歩踏み出した時、電圧が下がったのだろう、すっと星明かりが消え、辺りは暗闇になった。一瞬の後にそれは回復したが、その時にはもう少女の姿は見えなくなっていた。
「消えた……!?」
ハッと我に返って、猛は周囲を見回したが、やはり少女の姿はなく、あの歌声も聞こえなかった。
あなたの記憶の宇宙に住むのは誰?
歌のその最後の節を残しただけで。
そして、これが、二人の出会いだったのである。