義実家へ帰る機会に、現役の皆さんと、望まざるコミュニケーションが求められるケースがあります。


 先日の訪問の際にも、そんな貴重な機会が与えられたことは、大きな特権でした😤

 そう。

 義親族家を訪れる霊的な姉妹達笑と、コーヒー片手に、噂話に花を咲かせたのです。はい。


 そこで話題になったのは、↓の記事でも書いた、某長老家庭の3世女子に関する話題でした。


『崩壊メカニズム』今日から5月ですね。 早いなー。 新しい生活を始めた方々も、そろそろ慣れつつ、しんどさが溜まる時期です。 皆さん、いかがお過ごしですか? さて。 先日、義父…リンクameblo.jp


 ↑の記事で言及した3世女子のメンタルはその後も一進一退との事ですが、なんとその家庭のもう1人の3世、妹ちゃんも現在心を病んで、不登校中だ、とのことで。残念でなりません。

 そして、妹ちゃんの不登校理由も見事にお姉ちゃんと同様に、部活をめぐる親とのトラブルが発端で。

 親に正式な許可を取らず、勝手に運動部に入部した妹ちゃんでしたが、週末の「霊的活動」を優先するとの公言を友人に出来るほど熱心党ではなかったため、家族や会衆の面々からの冷たい反応に加え、煮えきれない彼女の態度に業を煮やした先輩や同級生から冷遇され、学校での居場所も無くなってしまったようで。

 なんとも、気の毒です。


 そんな話を聞かされるワシの複雑な思いとは裏腹に、「霊性の高い」主婦達は、そんなメンタル女子2人を抱える長老家庭を批判的に論じ、「部活をさせるなら、子どもともっと話し合って、証言を条件にするとかしないとねぇー」と、盛り上がっております。

 現役婦人達は盛んに、親子のコミュニケーションを取るなら問題は未然に防げたはずで、組織もそのような「質の高い」親子関係を推奨している、と。

 聴くことに早く、憤ることや語る事には遅くあるべきだ、と。

 そんな薄っぺらなロジックを口角泡を飛ばして語り、大いに正義感を満足させている様子でした。


 いつものようにワシはもう、こーゆー連中の話を聞くとワナワナしてきてしまい笑

 

 最近では、わざと現役連中がワシの前でこの手の話題を選んでいるのではないか、と疑いたくなるくらいですが。

 我慢できず、「ちょっと待て」と✋を挙げて、その話題に切り込むのでした。


 ワシは、そのご婦人方に尋ねました。


 話し合いが大切とか、親子が納得の上で子どもの行動を決めていく、っていうプロセスを勧めることは、良い事だと思う。

 が。

 それは本当に話し合いなのですか?

 結論ありきではないのですか?

 話し合いをした結果、子どもがどうしても部活に入りたい、という結論を曲げなかった時、その結論を認めてやる覚悟は、親の側にあるのですか?

 皆さんは「話し合い」の結果、件の長老家庭の娘達が結局部活に入って、週末の集会を休むようになっても、そのプロセスを踏んだ事だけを持って、その結論を賞賛するのですか?


 答えを聞くまでもありません。

 違う結論を受け入れるような覚悟は、JWの親の側にはないのです。

 特に長老親なんて、子どもの気持ちを受け止める覚悟なんて、全くないでしょう。


 だからね。

 最初から皆さんの言う「話し合い」って、子どもの気持ちを尊重する事を前提としてないでしょう?

 組織の推奨する答えを導くための「戦略」じゃないですか。

 答えが決まってるなら、話し合いなんて無駄ですよ。

 まあ、気持ちを吐き出させる事で子供の気持ちが楽になることはあるかもしれん。

 でもね、子どもたちは、親や、会衆の面々が求めている答えが分かっていて。

 そして、自分の主張を聞く気がない事を知っているんですよ。

 だから!

 たから!黙って部活に入るんですよ!

 苦肉の策なんですよ!

 その時点で子どものSOSに気付いていない親なんて、親の資格ないですよ!

 部活に黙って入ることを暴挙のようにおっしゃいますが、子どもたちは、もしかしたらなし崩しに事がうまく進むかもしれん、という。

 一縷の可能性にすがり、それに賭けたんですよ。


 まあ。

 相変わらず、シーン、です。


 そこで1人の熱心党姉妹が、自分の子どもは運動部に入ったけど、入部を決める前に、長老だった父親と話し合い、「先生や友人に証言する事」「週末の霊的活動を優先する事」という条件付きで入部し、忠誠を全うした、的な抵抗笑をしてきました。


 あのなー。

 そーゆー子もいるし、そーじゃない子もいる、っていうだけよ。


 ワシは、身体の成長と共にこころの成長にも、各自大きな差がある、と。

 ましてや、信仰などと言う、普通の思春期が両立し得ない重荷を親の意志で背負わせておきながら、12、3の子どもに、一体どこまで求めるのか?

 皆さんは、人の信仰には個人差がある事や、自分の考えを他人に押し付けない事などを度々学んでいると思うが。

 だったらなぜに、子どもには13歳という決まった年齢において、全員同じ決定をするよう求めているのですか?


 抵抗してきたご婦人は憮然としておられましたが…

 

 親子のコミュニケーションをベースに、人生航路を定めていこう、という教えは立派だ。

 そして、本当にその教義を評価していると言うのなら、そのコミュニケーションを通じて導き出された答えをきちんと受け入れろよ、って話ですよ。


 コミュニケーションを勧めるくせに、親の思い通りの結論になる事しか考えないなんて。

 それは、自分の望む答えを手にしておきながら、なおかつその答えは親が押し付けたのではなく、「子どもが自分で決めたのだ」という、強制による罪悪感から逃れたいだけの、とんでもなく利己的な発想ですよ。


 コミュニケーションの結果、子どもが部活に入れ込んで、集会に来なくなっても、そのプロセスを踏んだ事をみんなで評価して、それこそ励まし合えるなら、素晴らしい事ですが、皆さんにはそんな光景想像できますか?


 ワシは最後に。

 皆さんは最近、ずーっと離れてても、大患難の直前に戻ってきた人をイホバは救ってくださる、的な事を学んだんでしょ?

 ならば、もっと鷹揚に構えてりゃええでしょーに。

 部活程度のことを禁止して、子ども達を病ませるのは、結局、子どもの人生を台無しにしてしまいますよ。

 最後に救われることが究極の目的なんであれば、その可能性のある子どもたちが、「最後」の前に少々信仰の弱さを露呈しても、大きく構えていればいいじゃないのよ。



 まあ、ご婦人方は不満げな表情をしつつも、断定的に話すワシにこれ以上言っても仕方がない、とでも思ったのでしょうか、それ以上抵抗はしてきませんでした。



 それにしても。

 よくもまあ、いつもこんな対決?姿勢での話ばかり現役さんとできるね?的な事を言われることがあるのですが。

 もちろん、こんな話ばかりしているのではありません。


 この日も、かれこれ4時間前後もこのご婦人方と他愛もない話をしており。

 その時間の中では、ワシの良心の許す範囲で彼らの信仰を褒めたり、励ましたりしつつやり過ごすピースタイムも多くあるわけで。


 だからこそ、時々ワシがいても現役さん達はある程度無警戒に、その交わり笑を繰り広げてくれるのです。

 どちらかと言うと、ワシが主張を始めるのはレアな部類なのです。

 ただ、ワシの前では、子どもの話は暫くしないかもですね。


 この会衆では、件の長老家庭の2人以外にも、同じ中学に通う別の女の子もメンタル不調で不登校になっているそうで。


 ホンマに、なんちゅう宗教や、と。

 学校で噂になっているのではないかと思います。



 という事で。

 親子のコミュニケーションをとれ、とか偉そうに他人に諭したり説教したりするなら。

 その結論を受け入れる覚悟くらいせーよ、という。


 至極当たり前の教訓?を。

 か弱き子羊達に授けてやった😤的な。


 ワシの「経験」でした。

 お粗末さまでした。