OSHOの講話より抜粋。
セラピーは基本的には瞑想と愛だ。
なぜなら愛と瞑想なしにはヒーリングの可能性はないからだ。
セラピストと患者が二つでないとき。セラピストが単にセラピストであるだけでなく、また患者がもはや患者ではないとき。その反面、セラピストがその人を治療しようとしないところで、自分と相手との深い関係性が起こり、患者がセラピストを自分自身と分離したものとして見ることがないとき。
――これらの稀なる瞬間にセラピーが起きる。セラピストが自分の知識を忘れてしまい、患者が自分の病気を忘れてしまったとき。そして対話、二人の存在の対話があるとき、その瞬間、二人の間にヒーリングが起こる。そしてそれが起こったときには、セラピストは、自分は神聖なる力、神聖なるヒーリングの媒介としてのみ機能したのだということをいつも知るだろう。セラピストは患者と同様にその経験に対して感謝するだろう。実際のとろセラピストはその経験から患者と同じくらいに多くのものを得る。
セラピストであるということはこの世で最も困難なことのひとつだ。なぜならあなたは助けるために知らなければならず、他方で助けるために知ったことの全てを忘れなければならないからだ。
あなたは助けるために多くを知らなければならない。そして助けるためにその全てを忘れなければならない。
セラピストは非常に矛盾したことをしなければならない。そしてそのときにのみセラピーが起こる。愛が流れ、セラピストが非常な注意を持って患者に耳を傾けるとき。そして患者もまた自分自身の内なる存在、自分自身の自己への無意識の語りかけに耳を傾けようとするとき。この聴くことが起こるとき、次第に、その深く耳を傾けることの中で二人の人はいなくなる。
二つの両極はあるかもしれないが……
あなたが私に耳を傾けるとき、いつもヒーリングが起こっている。あなたが無心、無思考となり、あなたがそこにいないといえるほどに注意深く私に耳を傾けるとき、あなたはただの耳となり、ただ耳を傾け、吸収する。そして私はまったくここにいない。
あなたが私に耳を傾けるとき、いつもヒーリングが起こっている。あなたが無心、無思考となり、あなたがそこにいないといえるほどに注意深く私に耳を傾けるとき、あなたはただの耳となり、ただ耳を傾け、吸収する。そして私はまったくここにいない。
そしてある稀なる瞬間に、あなたもそこにいないとき、ヒーリングがある。突然あなたは癒される。あなたの知らないうちに、あなたは毎日癒されている。あなたの知らない内に、ヒーリングがあなたを取り巻き、ヒーリングの力があなたを取り巻く。
あなたの傷が癒され、あなたの暗闇が消え去り、あなたの限界が壊される。これがセラピーなのだ。
あなたの傷が癒され、あなたの暗闇が消え去り、あなたの限界が壊される。これがセラピーなのだ。