こんにちは。会田です。^^
私は、野球が強かった高校に行きました。
当時、山形から甲子園に行く代表校は、東海大学高等か日大大学高等でした。
今でも、母親から、「たかしは変わっていた」と、言われる出来事があります。
授業の中で、野球部の試合を応援に行くのがありました。
自分はどうしても行きたくなくて、休みました。
絶対に行かないと思っていました。
担任からしつこく電話がかかってきて、親にも授業だから行けと言われて、無理にタクシーにのせられて、野球場に行ったことがあります。
ものすごく、嫌でした。
見たくないとか、行きたくないと思うのには、理由があって。
自分は、小中と野球少年で、中学ではエースピッチャーをやっていました。
ひじが痛くなったのとか、坊主するのが嫌になったとかで、野球から離れたのに。
人の野球している姿を見ても、面白くはありませんでした。
自分も頑張ってきたからこそ、見たくないなという気持ちもあったと思います。
同じクラスには、県外から、野球をするためにきた野球部のやつらがいました。
体育の時間で、野球部のやつより、短距離は自分の方が速かったりしました。
運動能力では、負けてない、そんなことも思ったりしました。
部活に打ち込んでいる人を見て、消化できない気持ちがあったと思います。
嫉妬心とか劣等感とか。
高校一年生の時、バンド組んで、ドラム叩いて。
三年生になる前に、ダンスを始めて、クラスのやつとダンスチーム組んで踊って楽しくなりました。
自分が満たされはじめていきました。
そのころには、野球部の人に嫉妬もなく、クラスメイトとして、普通に仲良くなっていきました。
その時のあだなは、「おやじ」とみんなに呼ばれていました。童顔なのに^^;
一学年、11クラスで400人以上いました。
野球部とか、いろんな部活に打ち込んでいる人達、ヤンキーとか、まじめな人達、面白い人達、音楽とか、自分たちのようなダンスやっている人達、いろんな人がいて面白かったです。
「なんで学校行かないの?」とか、その人には、その人なりの理由があります。
でもそれも、ちゃんと伝えないと、相手にはわかりませんね。
自分も当時、ぐれたり、つっぱったりしないで、素直に自分の気持ちが言えればよかったなと思いました。
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