先日の記事の続きになります。
僕は、挨拶しない人が嫌いでした。
すごく気になります。
話しかけて、話さない人も苦手でしたが。
ジムのインストラクターやバイトの子で、
挨拶できない(しない)人見ると、
「なんで、この人、挨拶しないの?」 と思い、気になっていました。
「嫌な感じだな~」と。
まず、この時点で見えるのが、
僕の中に 「人は挨拶するべきだ」という観念・思い込みがあります。
「するべきだ」までいかなくても、割と強く「挨拶はしようよ」と思っているところがあります。
自分が気を付けているので、そうじゃない人を見ると、ひどく不愉快になるというのもあります。
でも、認めたくありませんが・・
自分の中にも同じ要素があるからこそ、その人のことが気になります。
そうなんです。。認めたくはありませんが・・
僕の中にも「挨拶しない」という傾向があったんです。
別のジムに行った時など、知ってる顔と会っても、
なんか面倒で、「知らないふり」をしたり。
無意識で、そういう傾向を持っていたんです。
嫌いな人、気になる人というのは、
自分の中にもその要素があり、まだ認めていない部分を、見せてくれるために表れます。
怒る人がでてくるということは、
自分の中にもその要素があり、まだ認めていない部分を、
見せてくれるために表れます。
もし、周りに嫌いな人がいるなら、 その人の何が嫌なのか、書き出してみて下さい。
・怒る人が嫌い
・いつもつるんでいる人が嫌い
・挨拶しない人が嫌い など。
認めていないだけで、自分にも同じ要素がありますから。
挨拶しない人が嫌いで、 「挨拶するべきだ」と思っている人の場合(僕です^^;)
だいたい、自分が過去に、挨拶できなかったので、
「挨拶するべきだ」「挨拶はきちんとしよう」 と思いました。
そして、自分がそう心がけているからこそ、
挨拶しない人を、「何だこの人」と気になるわけです。
こう考えていくと、外には他人はいなくなります。
全部、自分の内を見ている事になります。
また、この話は続きます。