2009年3月3日。
父は、私の勤務する病院を受診しました。

私は勤務を休めないため、姉が同伴しました。しかし、私も時々外来に顔を出し、アルコール科医師の診察時は私も同席するつもりでいました。

午前中、外来に到着した父は、車椅子に座り、ガタガタ震えています。インフルエンザにかかっていたのです。父は入院中です。移動はタクシーで30分。病院を出発するときは、発熱していなかったのでしょうか?様々な疑問が頭をよぎっていました。

アルコール科の受診前に内科の診察がありますが、その時は姉だけが同席しました。その時の話を聞くと、不思議な答えが返ってきました。「手術した腸が上に上がって来ている。もう残り少ない人生なのに、今更、酒を止めてどうするのか?」

意味がわかりませんでした。

その意味が分かったのはアルコール科受診の時でした。今度は私も同席して、医師の話を聞きました。

医師は父のレントゲン写真を見せました。左肺上部に白く影が広がり、右肺には丸い影が点在していました。

医師は「これは、メタです」。その後、メモ用紙に「直腸癌」と書きました。メタは、転移のこと。直腸癌が再発し、既に肺に転移していたのです。

変な咳の原因はこれでした。しかし、入院中の病院でレントゲンを撮っているはずなのに、何故、発見され、連絡が来なかったのか?

何がなんだかわかりません。

とにもかくにも、アルコール医療以前に癌の方を治療しなければいけないことになり、入院中の病院に戻って相談することになりました。

2009年2月23日。

父は、かかりつけの病院に入院しました。


朝から準備も不十分で、母が入院の準備を手伝うでもないので、中身をとりあえず確認して、時間も入院時間に間に合わないので、タクシーを呼んで一緒に病院に向かいました。


入院に必要な書類なども、きちんと揃っていなかったため、私が病院で記入したり、お金の管理の方法なども看護師と相談して、必要最低限のおこづかいと、テレビカードだけ残して他の父のおこづかいは自宅に持ち帰りました。


担当医に会い、今回の入院の目的は血糖のコントロールであると伝えられました。どうも、インスリンがきちんと打てていないので、血糖値が悪くなっているようなので、今後退院をしたら、家族にインスリンの接種をお願いするかもしれない、とのことでした。私たち家族にそれができるのか・・・心配なので、今後どうしていくか、考えなければいけないと思っていました。私の中では、糖尿病にアルコールが問題だとういうことが頭にあったので、私の職場に父を入院させることを考えていました。私の職場に入院させれば、入院期間が3か月になるので、その間に介護保険を取って、在宅サービスを導入しようと計画しました。担当医にも、入院中に受診させたいので、お願いし、その旨了解してもらいました。


それから、もうひとつ気になっていた、変な咳については、担当医に伝えそびれてしまいました。ただ、看護師にレントゲンをこれから撮ると聞いていたので、それで何かあればわかるだろう・・・と、思っていました。


しかし、そのレントゲンは撮影されたのか、撮影しただけで担当医が読んでいなかったのか、この病院でその重大な結果について告げられることはなかったのです。

2009年2月18日(水)。


この日は勤務が通常6時間の日でした。

しかし、この週は何かの都合があったか。

そこは記憶は定かではありませんが、8時間の勤務に変更したのです。


しかし、大切な用を忘れていました。

大学院で研究指導を受けることになっていたのです。

17:30から、今年卒業する院生と一緒に受けることをすっかり忘れていました。


当日気がつき、仕事を変更する余地もなく、教授に連絡をとり、ひた謝りして授業をキャンセルしました。


これが不幸中の幸いでした。


この日、21時頃のことです。


自宅の2階で過ごしていました。

そのとき、1階から父親の大きなうめき声のようなものが聞こえてきました。

父親はもともと声が大きいので、何か話しているだけなのだと思っていました。

しかし、その声が言葉になっていないようなのです。


様子だけでも見に行こうと思い、1階に降りていきました。

父の声がする部屋に入ってみると。


父は布団の上で手足をばたばたさせながら、大声で言葉にならないうめき声を発していました。


何が起こったかわからない私は

「お父さん、どうしたの。どこか痛いの?私の言っていることわかる?」

父の顔を見つめながら、ひたすら声かけをします。

しかし、父は何かを言おうとすればするほど、言葉にできず、あいかわらず手足をばたばたさせ、うめいています。


その時母は。


「酒ばっかり飲んでるからだ。苦しめば良いんだ」


母は今、認知症です。まだこのころは診断は受けていませんでしたが、認知症であろうことは日ごろ様子でわかってはいました。しかし、認知症とはいえ、何とも母らしいものの言い様だと思いながら、その言葉を聞き流していました。


「これから救急車を呼ぶから」


誰に向けて言うでもなく、こういいながら、私も気が動転している中で119番通報をしました。


「すみません。救急です。83歳の父です。布団の上で足をばたばたさせて、うめいています。こちらが声かけをしても意思の疎通ができないんです。持病は糖尿病があります。かかりつけはS病院です」


救急隊が自宅に向かう間に、S病院に電話をするように指示をされました。

「すみません。そちらに通院している者の家族です。父に意識障害があり、布団の上でばたばたしながら、うめいています。意思の疎通ができないんです。父がそちらに通院しているため、救急隊から電話するように言われたんです」


電話で話している途中で救急隊が到着しました。私の説明では、話を了解できない、かかりつけ病院に、救急隊の方が私に代わって電話で説明をしてくれました。


救急隊の方の説明では、どうも糖尿病の低血糖状態のようだ、とのこと。

父を救急車に運び、私が一緒についていくことになりました。


救急車の中でも、質問が続きます。

典型的な低血糖の状態ですね、今までこのようなことは? いえ、私はこのような状態を見るのは初めてです。

お酒を飲んでいましたか? はい、ワインを・・・。

夕飯後インシュリンを打ちましたか? いえ、私はそれは見てはいなかったのですが・・・。


救急車で運ばれる10分程度の間に父は静かになっていきましがが、救急隊の方によれば、意識レベルが低下しているとのこと。


病院に到着し、すぐさま処置室へ。家族はそこには立ち入れませんが、中から血糖が30代まで下がっていること、「変な咳をしている」という声が聞こえてきました。


しばらくして、医師が説明をしてくれました。

「糖尿病の低血糖状態になっているので、点滴を3時間くらいします。、このまま入院することはベッドの都合上できませんが、ちょうど明日が外来日になっているので、必ず来るようにして下さい。ここで私は失礼しますので。」


医師は丁寧に説明をしてくれて、その後父の点滴が終わるまで私は病院で待つことになりました。

灯りのほとんどついていない待合室で、糖尿病のパンフレットを見ながら、糖尿病にアルコールが及ぼす影響、低血糖を起こしやすくなることを知り、漠然と糖尿病にアルコールが悪いということしか知らなかった無知さ加減を恥じました。そして、何かの病気で父が亡くなるのは寿命であるとしても、低血糖発作に誰も気づかず亡くなるようなことがあったら・・・、そちらの方が後悔する。アルコール医療が必要だと思いました。


もう一つ気になったこと。それは「変な咳」でした。

去年あたりから、咳込むことが多くなり、痰を吐く回数が増えました。たばこを吸っているわけではないのに、何なのか気になりました。点滴を時折確認しにくる看護師さんに、「なんか、変な咳をしてるって話でしたが・・・」「一度、レントゲンを撮るなり、検査した方が良いかもしれないですね」。


3時間の点滴を終えた時には、午前1時をまわっていました。意識をすっかり回復した父とともに、タクシーに乗って自宅に戻りました。


これがすべての始まりでした。