時計を見ると時刻は12時13分。あと2分もしないうちにチャイムが鳴るだろう
チャイムさえ鳴ってしまえば授業は終わり、給食の時間だ
橋本は時計の針をにらみながら、その瞬間をじっと待っていた
「キーンコーンカーンコーン」
時は満ちた。
チャイムの音を聞くなり、他の生徒も一斉に席を立ち、慌ただしく給食の準備にかかった
そんな中、橋本は一人の生徒に目が行った。最前列の一番窓側の机に座っている小野寺だ
足元を見ると上履きを履いていない
きっと忘れてしまったのだろう。月曜日というのはなにかしら忘れてくるものである
現に橋本も、いつもは右のポケットに入っているはずのハンカチを今日は家に忘れてしまった
橋本が配膳台を用意していると、早いことにもう給食当番が到着してしまった
けれども消毒していないこの配膳台の上に給食を置かせる訳にはいかないのだ
食器係からの強いブーイングを背に配膳台を拭いていると、下の方に上履きを見つけた
「5年2組 小野寺」と書いてある
なんだ。忘れた訳ではなかったんだ
そう思い橋本は小野寺に上履きを渡した
時計を見ると時刻は3時48分。あと2分もしないうちにチャイムが鳴るだろう
チャイムさえ鳴ってしまえば授業は終わり、下校の時間だ
「キーンコーンカーンコーン」
チャイムの音と同時に一斉に生徒が帰り仕度を始める
橋本も負けじと急いで仕度を済ませ、教室を出ようとしたその瞬間、担任に呼び止められた
そのまま職員室に連れて行かれると、そこには小野寺がいた
先生は橋本に問う
「橋本。お前が小野寺の上履きを隠したというのは本当なのか?」
橋本は混乱した
「隠された人の気持ちも考えなさい。二度とこんなことしないように。いいな?」
先生はそう言った
橋本はまだ状況が把握できていなかった
自分は上履きを見つけて本人に渡しただけだ。隠してなんていない
けれどもその場ではなぜか「ごめんなさい」としか言えなかった
やりきれない気持ちのまま下校していると、通学路の途中にある公園で小さな子が泣いていた
辺りを見渡しても親らしき人はいなかった
その子に近づくと、おでこに立派なたんこぶが出来ていた。おそらく転んだりでもしたのだろう
ハンカチで涙を拭いてあげようと右ポケットに手を入れるも、なにも入っていなかった
そういえば今日は忘れてしまってたんだった
少しすると、一人の女性が小走りでこっちに向かってくる
きっと母親だろう。橋本はほっとした
母親は子供を抱き抱えると、橋本のことを睨み付けながらこう言った
「うちの子になんてことするの!」
橋本は驚愕した
人のために良かれと思って行動しても、誰も自分を褒めてはくれなかった
かえって悲しい思いをするだけである
それならなにも行動しない方がましだろう
そしていつしか橋本は大人になり、会社に勤めていた
ある日、いつも通り定時で帰ろうとすると、まだ作業を続けている同僚の姿があった
明日までにまとめなければいけない資料があるらしい
少し覗くと、資料の中に間違いを見つけた
けれど同僚は気付いてないみたいだ
このまま気付かずに提出したらきっと問題になるだろう
しかし橋本はそのままなにも言わずに会社を後にした
翌日、同僚は顔を真っ青にして「資料にミスがあった」と言ってきた
昨日見つけた間違いがまさにそれだった
けれどもそんなこと橋本にはなんの関係もなかった。どうでもよかったのだ
所詮は赤の他人だ。どうなろうと自分には知ったこっちゃないのだ
その日の帰り、駅のホームで電車を待つ
寒空の下、自販機で購入した缶コーヒーを握りしめ、暖をとりながらボーッと前を眺めていた
すると、視界の中に急に人影が現れた
その人はやたら薄着で、髪もぼさぼさだった
寒さに震えながら一枚の切符を握りしめ、同じく前を見つめていた
時折、辺りをキョロキョロと見回したり、何かぶつぶつ呟いていて見るからに挙動不審だった
少しすると、駅員のアナウンスが聞こえた。特急電車が通過するので黄色い線より内側にお下がり下さいとのことだ
しかしその人は一向に動こうとしなかった
橋本は嫌な予感がした。ひょっとして飛び込むんじゃなかろうかと
けれど、そんなことある訳ない。仮に飛び込んだとしても自分には関係のないことである
そうこうしているうちに電車はすぐ近くまで来ている。その人は未だに下がろうとせず、ただ前を見つめていた
そして、一歩踏み出した
その瞬間、橋本は確信した。と同時に走り出した
考えるより先に体が動いていた
駅のホームに大きな破裂音がこだました
間に合わなかった。橋本の目の前で一人の人間が飛び込み自殺をしたのだ
けれども他の人は違った
「あの人が押した」「人殺しだ」などと口々に言う
橋本は泣きながら「ごめんなさい」とだけ呟いた