FM250_01 黒船を予言したオランダ人 (Ⅰ) ◇商館長ヘンミイの人となり 2026/08/02
ここ掛川(宿)にはかつてのオランダ使節ヘンミーが葬られている。
(シーボルト『日本』第二版「1826年の江戸参府紀行」より)(*1)
長崎から江戸へ、東海道の掛川到着の段、1826年(文政九年)4月1日〔和暦二月二十四日〕の項である。
ヘイスベルト・ヘンミー Gijsbert Hemmij (1747-1798) は、長崎出島のオランダ商館に1792年(寛政四年)商館長として赴任した。江戸参府からの帰りみち、遠江の掛川で急逝した。1798年6月8日(寛政十年四月二十四日)のことである。(*2)
(ヘンミーの墓 ⇒ FM243「オランダ商館長の遺跡◇静岡県 掛川 天然寺」2026/05/06 へ)
『日本』初版にある「1826年の江戸参府紀行」第一章「通常行われている江戸参府旅行の概要[章題後略]」に(第二版では省略された)、墓参りの記述がある。
斎藤信訳によって記せば、つぎの通り。
「翌日、われわれは天竜川(人びとはここが京都と江戸のまんなかだと思っている)を渡り、見付を過ぎて掛川 Kako gawa に至り、一七九八年この地で死去した商館長ヘンメイ(12)の墓に参る。」(*3)
この訳注(12)が同書 p.165 にある。
「ヘイスベルト・ヘンメイ Gijsbert Hemmy (1747-1798)
「出島商館長。在任中二回江戸参府。フランス革命の影響で対日貿易が困難となったが。[sic] 輸出銅の量や輸出商品額をふやすことに成功し、また館長の毎年交替制を五ヵ年在勤に改めた。しかし他方では館員俸給の着服、島津氏との密取引、さらには一七九八年参府不在中、出島商館の焼失などがあり、収拾しがたい状況にあった江戸からの帰途、遠州掛川で病死し、同地の天然寺に葬られた。」
長崎の商館長として在任したヘンミーのこと、日本語による文献はすくない。オランダ語ないし英語の資料をさがしてみる。長崎に来航する以前の経歴を中心として、東インド会社における活動をも記述した論文がある。(*4)
ヘンミーとはいかなる人物であったのか。手がかりをもとめよう。
(大井 剛)
【見出し画像】 阿蘭陀入船図 錦絵 長崎:大畠豊次右衛門
*国立国会図書館デジタルコレクション [webpage] dl.ndl.go.jp/pid/1307087/
(*1) シーボルト、フィリップ・フランツ・フォン『日本』第二版のうち、第四編「1826年の江戸参府紀行」、第八章「京都から江戸への旅」、4月1日〔和暦二月二十四日〕の項。
Hier liegt auch Hemy, ein früherer niederländischer Gesandter, begraben.
[1. April.] Wir setzen die Reise nach Kakegawa fort, halten Mittag zu Mitsuke und gelangen unter heftigem Regenwetter gegen 6 Uhr in Kakegawa an. Wir kommen an der ehernen Pforte mit zwei ehernen Feuchttürmen — Gōsintō und Tōro — vorbei. Diese Gottespforten sind die Säulen der Japaner, zeigen den Weg zu den Tempeln und sind oft schon viele Meilen weit von diesen errichtet. Der Tempel, zu dem sie führen, heifst Akiwasan-dai-gongen, d. i. Herbst-Blatt Berg der grolsen strengen Tugend. — Hier liegt auch Hemy, ein früherer niederländischer Gesandter, begraben.
シーボルト『日本』雄松堂書店 1978年版、第三巻、斎藤信訳「1826年の江戸参府紀行」p.42 より。
「四月一日〔旧二月二十四日〕 掛川への旅を続け、見附で昼食をとり、雨がはげしく降るなかを六時ごろ掛川に着く。われわれは御神燈 Gōsintō または燈籠という青銅製の二つの燈明台が両側にある青銅造りの門〔鳥居〕の傍らを通り過ぎた。この神門は日本人の記念柱で神社への道を示し、ときには数マイル離れたところに立っていることがある。これをくぐってゆくと秋葉山大権現という神社がある。この宿場にかつてのオランダ使節ヘンメイ〔*〕が葬られている。」
オランダ使節への注記〔*〕は「第二巻、165頁、訳注(12)を参照」である。
(*2) 田中裕介「静岡県掛川市天然寺ゲイスベルト・ヘンミイ墓 -客死したオランダ商館長の墓地-」『史学論叢』No.51、別府大学史学研究会、2021年3月、pp.139-151.
Gijsbert Hemmij's death. In : Shared Cemeteries.
Written by Leon Bok & René ten Dam on 2020/11/16. Last updated on 2023/11/01. [English version]
[webpage] sharedcemeteries.net/en/cemetery-information/gijsbert-hemmij-death/
(*3) シーボルト『日本』雄松堂書店 1978年版、第二巻、斎藤信訳「1826年の江戸参府紀行」p.142 より。
(*4) ヘンミーの伝記論文。
Gysbert Hemmy from Africa : a reappraisal.
Written by Mansell George Upham.
Originally published in the Quarterly Bulletin of the National Library of South Africa, vol. 63, no. 1 & 2, 2009/01;06, pp. 16-30.
[webpage] mansellupham.wordpress.com/2019/08/16/this-corner-of-the-world-smiles-for-me-above-all-others/
(更新記録: 2026年8月2日起稿、8月23日公開、8月29日修訂)

