FM262 心の旅路◇賤母 東山魁夷の作品展示館 2026/10/09
美術学校へ入って最初の夏休みに友人と共に、木曾川沿いに八日間のテント旅行をしながら、御嶽に登ったのが、私を山国に結び付ける第一歩でした。
(東山魁夷 平成七年(1995年)八月)(*1)
国道19号(中山道)が木曾谷から恵那の盆地にくだる、その谷あいに賤母(しずも)の地区がある。道の駅 賤母の敷地内にある東山魁夷(1908-1999)の作品展示館は、まえから気にとめてはいたが、きょうまでふみいる機会がなかった。
(写真は岐阜県中津川市山口にて2026年10月9日撮影)
道の駅 賤母は、旧中山道が国道19号から馬籠峠越えの山道にわかれたさきの木曾川沿いの谷にある。要するに起伏のすくない川沿いに国道バイパスをひらいたのであるが、かつての木曾路は賤母山すそが木曾川の岸にせまる危険な隘路をさけて、安定した山道をえらんだわけである。近代にいたり、結果として馬籠、妻籠の宿場町が観光地になった。
駐車場から一歩はなれて静かにとびらをひらいている「中津川市東山魁夷心の旅路館」*である。2026年度第Ⅲ期展「白馬-心の風景」*(会期:2026年9月10日-12月22日)をみた。
連作「白い馬の見える風景」をめぐる「心の祈り」の作品がならぶ。
「緑の詩」(1983年)は所蔵品のうち最大のリトグラフで、展示室のもっとも奥の壁面にかかる。「緑響く」に似た背景に白い馬があゆむ。
その「緑響く」の2000年版があった。「魁夷木版」の朱印があり、あらためて木版画であることに思いいたる。初版(1972年)がゆくえ知れずになったので、後年つくりなおした。(*2)
(緑響く ⇒ FM244「「緑響く」◇霧の奥蓼科 御射鹿池」2026/05/22 へ)
画伯がこのんだという白樺の樹がたてもののまえにたつ。
館の竣工記念に画伯夫人により植えられた樹である。そういえば東山夫人すみさんとともにうつる写真が多いような気がする。
画伯は自身の「青春時代の地」である長野県木曾郡山口村にリトグラフや木版画などの作品を寄贈した。村は同地に「東山魁夷心の旅路館」を建設した。寄贈の翌年、1995年(平成七年)開館。
長野県山口村が「青春時代の地」であるというのは、学生のころから信州の山をあるき、風景画家として出発する基礎をすえたからであった。「描くことは祈ることである」を信条とする東山魁夷の誕生である。
館内には当時の旅程とともに画伯の断章がちりばめてある。山口村は現在中津川市に属し、館もおなじく中津川市の名を冠している。
美校(東京美術学校)入学時の学帽をかぶった写真や、ドイツ留学(1933年から)のさいの證書などの展示もある。署名が Higashiyama Shinkichi (東山新吉)であるのが印象ぶかい。
館内には「心の旅路」の揮毫がかけられ、前庭に石碑がある。碑文も画伯の筆跡で、
「歩み入る者に やすらぎを / 去り行く人に しあわせを / 魁夷」
とある。
注意書きは「◎マムシが出ます/ご注意ください!! (夏から秋は要注意)」。
そのうち「熊が出ます」がならぶかもしれない。
(大井 剛)
(*1) 「東山魁夷 木曾へのメッセージ」ポケット版。東山魁夷心の旅路館にて配付。p.6. 冒頭引用のつづきを転記する。
「この旅の途中、山口村(現中津川市)の賤母の山林で大夕立に遭い、麻生の村はずれの農家に駆け込んで、一夜の宿を求めました。そこで私は思いがけないほどの温かいもてなしを受けたのです。
「この旅で、それ迄に知らなかった木曾の人たちの素朴な生活と、山岳をめぐる雄大な自然に心を打たれ、やがて風景画家への道を歩む決意をしました。」[下略]
(*2) 「展示作品紹介 2026年度 第Ⅲ期展 白馬-心の風景」。東山魁夷心の旅路館にて配付。p.4. 「緑の詩(みどりのうた)」の解説。「出典」として「東山魁夷 風景との邂逅<郷愁編> 日本美術教育センター」をあげる。
『東山魁夷 風景との邂逅』郷愁編、憧憬編(全2冊)、東山すみ監修、谷岡清著、日本美術教育センター、奥付に刊行年なし、著作権2001年設定。
(更新記録: 2026年10月9日起稿、10月12日公開、10月13日修訂)





