FM188_01 小野神社◇信濃国二之宮 長野県塩尻市 2024/07/11
 
人を見たけりゃ諏訪御柱 綺羅を見たけりゃ小野御柱
(俗諺)(*1)
 
諏訪大社の御柱祭(おんばしらまつり)はよく知られている。「七年ごと」というが、六年に一度、寅と申の年におこなわれ、見物人もあわせておおぜいの人があつまる。次回は「令和十戊申年 諏訪大社式年造営御柱大祭」として西暦2028年に予定されている。
 
いっぽう小野神社の御柱祭は、諏訪大社の祭のあくる年、卯と酉の年におこなわれる。遷宮祭と御柱祭にくわわる人人の衣裳が目をうばう美しさであると、さきの俗諺はいうのである。
 
塩尻から南に善知鳥(うとう)峠(標高約870m)をこえると道は小野宿のある盆地にはいる。伊那につづく谷の北のはじにあたる。いま国道153号三州街道と鉄道中央本線が通じている。いにしえの東山道である。
 
小野神社と矢彦神社が位置するのは、小野盆地のまんなかやや北寄り、西からながれくだる川のつくる扇状地にあり、あたりは巨木のしげる平地林をなしている。東からの小野川をあわせて南流する川すじは、やがて天竜川となる。
 
小野神社の境内の北門が駐車場のちかくにあった。とりあえずそこから境内へまいる。
(写真は長野県塩尻市北小野字頼母にて2024年7月11日撮影)
 
池をめぐりて北から南へとあるく。庭園は大正時代の造営。(*2)
 
「一之柱」とある御柱(画面右端)。令和五年(2023年)の寄進。赤松の材である。
うしろのたてものの額に「小野神社」の文字。
 
社殿の正面。東向きの拝殿である。したがって正面の鳥居も東をむいている。
 
拝殿にちかづく。
 
なかをのぞいて鏡を拝する。
 
左方に目を転ずると、なにやら古式の建築物がならぶ。手まえは勅使殿。たてものはいづれも北向き。
 
手まえに勅使殿。後方の右に八幡宮本殿。中央が本殿。左は副本殿。これら3棟は南北方向に横ならび。
 
たてものは寛文十二年(1672年)火災により失われたが、同年九月までに松本藩主水野忠直により本殿二社、八幡宮本殿、勅使殿が再建された。(*3)
 
本殿、副本殿などのうしろは板塀でしきられ、その外に御柱がたつ。「三之柱」である。
 
「二之柱」。
 
正面からみて右に一之柱があり、左に二之柱がたつ。後方、左に三之柱、右に四之柱ときて、とけい回りに一巡するわけである。
 
上の写真の画面左に目をこらすと、結界がはられている。
 
「神鉾社」。「おぼこ」社とふりがな。石柱に「おぼこさま」とある。
 
「おぼこさま」の正体は。立て札に「伝 古代祭祀遺跡」とあった。
 
社宝に鐸鉾(さなぎのほこ)があり、塩尻市有形文化財の指定をうけている。これは鉄鐸十一個と多数の麻幣をむすんだ鉾で、奥社御射山(みさやま)社で毎年八月二十六日におこなわれる御射山祭にもちいられる。その御狩の神事にさいし氏子総代はかの神代鉾(鐸鉾)を奉事して山中の祭場におもむき、翌日還御する。この種の鉾や鐸は諏訪神社系の祭具である。(*4)
 
さらに南にゆくと、池があって、
 
そこには祠がまつられる。
 
その南に深い溝が東西にはしっている。
 
「社地境界標」である。東西の溝の両側、北と南の石垣が小野神社と矢彦神社とのさかいになっている。
 
FM188_02「矢彦神社」につづく。
(大井 剛)
 
(*1) 俗諺は塩尻市ウェブサイト、文化財情報、小野神社御柱祭り。(2026年7月11日閲覧)
 
(*2) 庭園の案内解説板。
 
(*3) 勅使殿のわきにたつ案内板(小野神社社務所)。
 
本殿ほか建築物(長野県宝)の案内解説板(長野県教育委員会・塩尻市教育委員会)。
 
(*4) 神代鉾、鐸鉾について。
『日本の神々 神社と聖地』第九巻、美濃・飛驒・信濃、谷川健一編、白水社、1987年。
「小野神社」同書 pp.379-381. 東筑摩、小野神社。
 
(更新記録: 2024年7月11日起稿、2026年7月12日公開)