FM244 「緑響く」◇霧の奥蓼科 御射鹿池 2026/05/22
それは、心の祈りを現わしている。
(東山魁夷『画集 白い馬の見える風景』より)(*1)
北八ヶ岳の丸山(標高2329.9m)、中山(2496m)にみなもとを発する渋川が西にながれくだる、標高およそ1500メートルの段丘上に小さなみずうみがある。御射鹿池(みしゃかいけ)という。
本州を通過する低気圧の影響で、前夜は音をたてて雨がふった。ふりやみに奥蓼科高原の道にわけいった。霧がたちこめる。山にかかる雲のなかに入ったのである。
(写真は長野県茅野市豊平奥蓼科にて2026年5月22日撮影)
はじめ目のまえの木木さえかすんでいた。茫然とたちつくすうち、しだいに視界がひらけ、みなもが見えてきた。(12時36分撮影)
あおあおと草が生いたっている。むこう岸はまだ雲の底がながれている。
なにかが息づいていそうな茂み。
堤の切れ目から水がながれ出ている。谷をせきとめた、ため池であった。
「「御射鹿池」の名は、この地域が神野(こうや)と呼ばれ鍬を入れることも許されなかった神の御狩場であり、諏訪大社上社の御頭祭(おんとうさい)の時に神に捧げる牝鹿を射る神事(御射山御狩神事)があったことに由来すると伝えられてい」る。(*2)
(御頭祭 ⇒ FM241「御頭祭にゆきあう◇諏訪上社 本宮」2026/04/15 [準備中] )
長野県道191号「渋の湯堀線」を走りくだると、茅野市堀地区で国道299号「麦草峠越え」にであう。はんたいにのぼれば、「渋の湯」温泉にいたり、そのさきは登山道となる。
霧がはれるとは、このことだ。(12時48分撮影)
もうひと息、風よ吹け。
東山魁夷が「緑響く」の材を取ったというけしき。(12時51分撮影)
「白い馬の見える風景」連作18点のうちの一点「緑響く」は1972年(昭和四十七年)の作品であった。(*3)
茅野のまちにおりて蕎麦屋による。十割そばにてんぷらをそえた。
(大井 剛)
(*1) 『画集 白い馬の見える風景』東山魁夷、新潮社、1973年。
(*2) 農林水産省*ウェブサイト(農村振興局 整備部 防災課)「ため池百選」のうち「御射鹿池(みしゃかいけ)」。
長野県土地改良事業団体連合会*ウェブサイト「水土里[みどり]ネットながの」のうち「四季を映す水面 御射鹿池(みしゃかいけ)」に類似の記事がある。
解説は言い伝えとするだけで、その根拠は明らかでない。
現在、御射鹿池は下流の笹原地域の水田をうるおす灌漑用水をたたえる溜池である。本文冒頭にしるしたように、この池は渋川の段丘上、標高およそ1500メートルの地にある。
農林水産省サイトによれば、渋川流域の「標高1,100mを越えるこの地域は、かつて3年に1度米がとれればよいといわれた冷害常習地で」あった。しかも水源の渋川の水は冷たく、奥蓼科温泉郷の源泉をかかえる故に「強酸性で」ある。
昭和八年(1933年)に「完成したこのため池で、水を希釈し温めることによって農業用水として使えるようになり、水稲の収穫量や作柄は大きく改善され」た。
「湖水はpH4前後の強酸性であることから、湖底には酸性水を好むチャツボミ苔が繁茂し、また湖面には木々がきれいに映ると言われてい」る。
(*3) 東山魁夷作「緑響く」。「弦楽器の合奏の中をピアノの単純な旋律が通り過ぎる」。モーツァルト作曲ピアノ協奏曲イ長調(K488)第二楽章をさす。
作品の画像は、所蔵者である長野県信濃美術館 東山魁夷館*ウェブサイトにある。1982年(昭和五十七年)、作者七十四歳のときに再制作されたもの。
本作をふくむ「白い馬の見える風景」連作18点は、「1972年に描かれ、翌年秋の展覧会で発表。同時に画集として刊行された」。
『東山魁夷 Art Album 第二巻 森と湖の国への旅』東山魁夷著、東山すみ監修、講談社、2008年。同書 p.75 図版95 注記による。
図版95 (pp.74-75 見開き)は、1982年にパリで開催された「白い馬の見える風景展」のために、同年に再制作されたもの。長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵。紙本彩色。法量 84.0×116.0cm。
註(*1)前掲『画集 白い馬の見える風景』(1973年、pp.6-7)につぎのように記されている。
「この小さな白い馬は、はじめは風景にアクセントを与えるために、偶然に現われたのかもしれない。事実、これらの風景は、白い一点を入れることいよって生新さを加えたと思われる場合もあった。しかし、戦後、点景を排除した風景を描き続けてきた私にとっては単純に画面効果のために、白馬を添えるということは考えられない。しかも、十八点の全ての風景にということになると、なおさらである。白馬は、明らかに点景ではなく、主題である。そこには、やはり必然的な動機が内在していると、思わないではいられない。それは、心の祈りを現わしている。描くこと自体が、祈りであると考えている私であるが、そこに白馬を点じた動機は、切実なものがあってのことである。しかし、ここから先は、私自身に問うよりは、この画集を見る人の心にまかせたほうがよいと思う。」
この文章は、つぎの展覧会図録の解説に引用されている。
『生誕100年 東山魁夷展』日本経済新聞社、2008年。東京展:東京国立近代美術館、長野展:長野県信濃美術館。同書「特集3 白馬のいる風景」p.94。図版50 (p.95)は1982年制作のもの。
『もっと知りたい 東山魁夷 生涯と作品』鶴見香織著、尾崎正明監修、東京美術、2008年。引用は第11刷(2019年)より。
同書の解説(p.58)によれば、「白い馬の見える風景」連作は「本制作13点、習作6点、 計19点」とする。同書の図版「緑響く」(p.59)は1972年(昭和四十七年)制作のもので、法量 65.0×92.0cm である。十年後の1987年制作のものより小さい。
晴天の御射鹿池。蓼科観光協会*ウェブサイト所載の画像を縮小。
(更新記録: 2026年5月22日起稿、5月24日公開)








