旦那さまがね
以前、UPしてくれた
ブログの中で
さだまさしさんの
道化師のソネットの歌詞を
引用してくれたのですが…
作曲:さだまさし
作詞:さだまさし
作詞:さだまさし
笑ってよ君のために
笑ってよ僕のために
僕達は小さな舟に
哀しみという荷物を積んで
時の流れを下ってゆく
舟人たちのようだね
君のその小さな手には
持ちきれない程の哀しみを
せめて笑顔が救うのなら
僕は道化師になれるよ
笑ってよ君のために
笑ってよ僕のために
きっと誰もが 同じ河の
ほとりを歩いている
僕等は別々の山を
それぞれの高さ目指して
息もつがずに登ってゆく
山びと達のようだね
君のその小さな腕に
支えきれない程の哀しみを
せめて笑顔が救うのなら
僕は道化師になろう
笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
いつか真実に 笑いながら
話せる日がくるから
笑ってよ君のために 笑ってよ僕のために
笑ってよ君のために
笑ってよ僕のために
私は
私はずっと ずっと
小さな頃から
道化師だった
そうでないと
生きてこれなかった
それが自分だと 私だと
そう思ってた
「裸足でアルプスに登る
ようなものだ!」
要は無謀な事だ!
無謀な事をしていたら
長続き出来ない!
と、言う事の例えだったの
ですが、
障害者(児)相談支援従事者初任者研修で
そう言われた事がある
(当時、県の研修部会に
精神障害当事者の当事者講師
として入れてもらっており、
研修内容を決める部会で
お世話になった相談員の方です)
当事者だからこそ
わかる現実 気持ち 立場
当事者だからこそ
当事者でないと…
そんな気持ちで
突っ走っていたのだと
思います。
その反面、
看護師として働けていた事
おねぇーちゃんを産め
育てることが出来た事
主婦が出来ていた事
一人親となり
おねぇーちゃんを育てながら
看護師として働け
生活出来ていた事
小さい頃からの理不尽な
虐待や様々な被害
精神障害当事者となった
現実
10年近いひきこもり
辛い事も 楽しい事も
苦しかった事も etc...
みんな私自身の現実であって
それは、
私自身の強みだと
そう感じていました。
「裸足でアルプス… 」って
言葉は とても胸に刺さり
あっ、、 「登れない
進めない」って
でもね、
次の瞬間には
言ってくれている事は
分かるけれど
でも、それくらいでないと
生きていけない
生きてこれなかったよ
そう思ってしまった。
でもね
道化師じゃなくても
いいって
自分のために生きて
いいって
無理に笑ったりしなくても
いいって
旦那さまが
そう言ってくれた
そう教えてくれた。
自分のために生きるって
意味がわからなくて…
一緒にいて身をもって
教えてくれた
今、わたしは
生きてきて初めて
喧嘩ができるようになり
文句を言えるようになり
怒鳴る事ができたり etc...
旦那さまが
私のために道化師になって
くれる事があり
また、私もね
旦那さまの為に道化師に
なれる
一人の人として…。